貴族令嬢、ゼムリア大陸に異世界転移する
ゼムリア大陸は実在する。
若く美貌の貴族令嬢こと黒い安息日は、とある新作ゲームの発売を楽しみにしていた。2024年9月26日(木) 日本ファルコムから発売予定のRPG「界の軌跡」は、彼女が愛してやまない軌跡シリーズの最新作である。
この貴族令嬢、ふだんは全くゲームをしない。運動神経は致命的に低いためアクションは苦手、シューティングは一面を越したためしがない、シミュレーションもRPGも最後までやり通す根性がない。
唯一格闘ゲームは思い入れがあって好きなのだが、それでも得意と言うにはほど遠く、使える連続技はキム・カッファンのしゃがみ小キックから飛燕斬とパイ・チェンの連環転身脚だけ。あなたには功夫が足りないわ。
そんな彼女だが軌跡シリーズだけは別物である。かつて大病を患い、寝たきりで動けなかった時期(入院と自宅療養込みで2年半くらい)に老執事が差し入れてくれたPSPのRPG「空の軌跡」に没頭して以来、入手可能な全作品のクリアはもちろん、間を置いて再クリアを何度も挑戦するほど沼にはまっていた。
「軌跡シリーズ、新作が楽しみですわ……」
2024年の春に日本ファルコムから軌跡シリーズの新作「界の軌跡」の発売日が告知されたとき、貴族令嬢がどれほど喜んだことか。一秒でも早くやりたいためにダウンロード版を予約、私生活のスケジュールも調整。
「はやくゼムリア大陸に転移したいですわ……」
貴族令嬢は待った。
その日を待った。
ひたすら待った。
2024年9月26日、ついにその日は訪れた。
さっそくゲームをダウンロード……できない!
世界的な人気シリーズ(一部誇張あり)の最新作だから全人類のアクセスが集中してサーバーでも落ちたのかしら?しかしインターネットで調べようにもネタバレが怖くて見れないし、口座からお金は引き落とされているので購入できているはず。貴族令嬢は待つことにした。
彼女は1日待った。
貴族令嬢は2日待った。
黒い安息日は3日待った。
4日目にして限界を超えた。
貴族令嬢・黒い安息日はPSN (プレイステーションネットワーク) に電話した。最初はチャットで解決方法を聞こうとしたが、定型文を繰り返すだけのAIのチャットポットでは話にならない。割れんばかりにスマホを握りしめ、令嬢怒りの直電である。
トルルルル……トルルルル……
「はやく電話に出やがれですわ! きぃーーー!」
ただいま電話が込み合っております……
「いつまで待たせますの! うっきい!」
怒りのあまり人類から猿人へ退化した貴族令嬢が待つこと数十分、アウストラロピテクスとなって手に持つ黒いスマホがモノリスと見分けがつかなくなった令嬢に、ようやく電話がつながった。
「もしもし、まいどPSNカスタマでおます」
「ウホウホ! ウッキッキ!」
「なんや? イタズラ電話やったら切るで」
「こほん、失礼あそばせ、実は斯々然々ですの」
事情を説明する貴族令嬢、するとPSNは調査するから折り返し連絡するとのこと。翌日もらった内容をかいつまんで話すと、入金の確認が取れないという。あまりの事態に気を失う令嬢を老執事が後ろから支えた。
「お嬢さま、気を確かに!カード会社に連絡致しますぞ!」
爺やがカード会社に問い合わせたところによると、よくわからないけど20日後に返金してくれるという。それは良しとしてもゼムリア大陸は待ってくれない。界の軌跡のネタバレがネットで拡散されるまでに初回クリアを果たさなければ、怖くてネットを見ることができない。10月3日早朝11時20分、彼女は動き出す。
「爺や、馬を用意せよ!」
「かしこまりまして、お嬢さま」
貴族令嬢の居住する城の駐輪場に放牧されていた愛馬アドレスV125を道路まで押して連れ出すと、令嬢は颯爽と跨りセルをまわしてエンジンをかける。なお、駐輪場でエンジンをかけると1階の住民にめっちゃ怒られる。
キュカカ……カシュ。
「あれ?」
カシュ。 カシュ。 カ。 ……。
セルが回らない。長く乗っていなかったのでバッテリーが上がったらしい。余談だが、この時点で貴族令嬢はこの一連の出来事をなろうに投稿することを決めた。
つまりこれらは実話なのである。出来過ぎた話なので嘘松認定されても仕方ないとは思うが、残念ながられっきとした事実なのである。残念ながら……
貴族令嬢らしからぬ必死の形相でキックを踏む黒い安息日。キックスタートでエンジンをかけるなど何年ぶりだろうか。十数回目にしてエンジン始動、キックスタートマイハート、気分は既にワイルドサイド。
♪界の軌跡を 買いに来てみた
ゲームショップでMeはショック
あるぜ新品 払うぜ現金
後は自宅でインストール
家まで原付キャノンボール
……おっと、家に帰る前にアドレスV125のバッテリーを買って帰ろう。たしかネットで3,000円くらいだったはず、店頭だとさらに安いだろう。
ついでに交換もしてもらおうか。爺やにやってもらえば済むことではあるが、いつも苦労をかけている我が執事を少しでも楽させるためには1,000円ちょっとの工賃など惜しまない。
貴族令嬢は帰り道にあったバイクパーツのお店へ立ち寄った。店員に車種を伝え、バッテリーコーナーへ案内されて値段を見れば15,000円。まじで?
結局アマゾンで3,000円の中華バッテリーを購入することにした。誰が取り付けるのかって?そんなもん爺やにやらせとけばよろしいのではなくて?ホーホホホホ!
【 終 劇 】
──追記
というわけで暫く更新は途絶えましてよ、ホーホホホホ!