タイムテレフォン
あの時、ああしていたら……。過去を変えたい。それができないなら、記憶を消したい……。思い出すたびに、声を上げたくなる……。
そういった思いは誰しもが抱えているだろう。時折嘆きはするが、折り合いをつけて生きていくものだ。
だが、その男はよく立ち止まっていた。彼にとって、過去を思い出すことは地雷原を歩くようなものだ。ふとした時に踏み、そして悶え苦しむのだ。
ゆえに、その噂を耳にした瞬間、彼はすぐに飛びついた。
一笑に付すようなその都市伝説の内容とは、ある数字を先頭に、次に年月日と時刻、そして当時の自分の電話番号を入力すると、そのとおりに過去の自分と電話がつながるというものだった。
そして、それが本当だと知った彼は、驚きのあまり、手からスマートフォンを落としそうになった。
『あの、もしもし? なんですか? いたずらかな……』
「あ、ああ、ごめん。その、君は高校生の頃のおれだよね? いや、信じてもらえないかもしれないけど――」
彼が状況を説明し、過去の自分を納得させることは、それほど難しいことではなかった。誰よりも自分を知り尽くしている。特に彼の場合は恥ずかしい思い出を鮮明に覚えていたのだから。
「だから、あそこで変に調子乗っていなければ、おれは、ああぁ……」
『おれが知らない思い出で落ち込まないでくれよ。でも、そうなったらと思うと恐ろしいな……』
「だからさ、そうならないように気をつけてほしいんだよ」
『ああ、わかったよ。あんたの、いや、おれの言うとおりにする』
彼はほっと胸を撫で下ろし、電話を切った。そして、ああ、あれも言っておくべきだったか、これも言っておくべきだったか、しかし、あまり先のことを言っても覚えていられないか、いやメモしてもらえばいいか、と早速、彼は得意の後悔をした。しかし、その表情は明るかった。
なに、また電話をかければいいんだ。いくらでもやり直せる。彼はそう考え、またやり直したい日の朝の自分に電話をかけた。
「やあ、ちょっと前にも電話したんだけど、いや、そっちは時間が経っているか。まあ、おれだよ」
『ああ、どうも……もしかして、また?』
「そうなんだよ。ははは、頼むね」
『いいけど、日付までよく覚えてるね』
「それはわかるだろ? おれなんだから。ほら、幼稚園の時さ」
『ああぁ、あれかぁ、っていいよ。恥ずかしい思い出を共有するのは』
「はははっ、つい他に話せる人がいないものだからさ。さすがに幼稚園まではやり直しできないだろうし」
彼はその後も過去の自分に電話し、警告した。さすがに日付までは覚えていないようなささやかなことは、こういった状況になったら気をつけてくれと告げ、『いや、多すぎない!?』と笑われ、彼も笑い、話すたびに心は軽くなっていった。しかし……
「……あれ?」
一度電話を切り、また次の過去の大きな失敗を修正しようと思い、彼がスマートフォンの画面に触れようとした時だった。
指が震え、うまく伸ばすことができない。それが怪我の後遺症であることは明らかだった。大きな手術痕が見る見るうちに浮かび上がり、手の自由を奪っていくのだから。それだけでなく、彼は体の節々に変化が訪れていくのを感じた。しかし、それさえも今の彼には気にする余裕がなかった。
「こ、ここ、どこだ……」
彼がいた部屋そのものが変化していたのだ。広いとは言えないが小奇麗なアパートの部屋から、こちらもアパートではあるが、ボロく、汚らしい部屋に。
過去を改変したせいとしか思えない。しかし、なぜこうも悪い方向へ変化したのだろうか。失敗をなかったことにしたことで、新たな失敗を呼び込んだのだろうか。だとすれば、おれは今……と、彼は考えた。その時、手の中のスマートフォンが震えた。
着信だ。彼も震えながら、通話ボタンを押した。
『あああ、繋がった繋がった。ぜんぶぜんぶぜんぶ、お前のせいだぁ……お前が余計なことを言わなければぁぁ……殺してやる殺してやる殺してやる殺してや――』
彼が電話を切ると――