1話 王国の英雄たち
自警団が王国に帰還して数日。その間に、自分たちがいなかった時に起こっていた出来事についてニールの耳に色々と入ってきた。
エルトマイン公爵の目的は病床の国王亡きあとに玉座を奪うことだった。そのために邪魔な存在であった留学中の甥――アレクサンドル王子へ、国王の体調は快方に向かっていると虚偽の手紙を送り続けて、彼がイルバニア王国へ早々と戻ることのないよう仕向けていた。
その間に一部の貴族や今の騎士団の体制に不満を持つ騎士たちと結託し、虹石によって魔物を操る方法の研究を密かに進め、竜人たちも支配下において大陸全土を手に入れようとしていた。
ニールたちが竜人の国に逃亡している間に、王都で虹石によって体を歪められた魔物たちが暴れ回ったらしい。だがそれから民を守ったのは、現騎士隊長――ベルモンド、エカテリーン、ユーリウスに従い現国王に忠誠を誓う騎士たちだった。
ベルモンドの計らいで、留学中のアレクサンドル王子の元へ真実を知らせる書簡が届けられた。それを受け取った王子は急いで帰国の準備を始め、先日王都に到着したという。だが叔父の野望により発生した被害や、それに加担した貴族や騎士に対する処遇について確認するのに時間を費やすことを余儀なくされている。
そして、王都やその近隣に魔物が現れることもなくなった。戦地から騎士たちも続々と帰還し始め、ニールたち自警団の主な仕事は魔物に荒らされた場所の復興の手伝いとなっていた。
そしてニールたちの帰還から七日後。自警団一行は再び、王城に招かれていた。
一点の曇りもない大理石の床と、見上げるほどに高い天井の謁見の間。ニールたちはそこに横一列に並び、イルバニア王国の次期国王――アレクサンドルと相対していた。
「自警団諸君、貴殿らの活躍については彼らから聞かせてもらったよ」
ニールの目の前に立つ太陽のように輝く金髪のすらりとした若者は、そう言って背後に控える三人の騎士隊長に目をやった。
「貴殿らの尽力がなければ、私は何も知らされぬまま苦しむ民を見過ごすところだった。今後は、私が責任を持ってこの国をより良いものに導くと約束する。改めて礼を言わせて欲しい。本当にありがとう」
「は、はい!」
ニールはそれだけ答えるのが精いっぱいだった。自警団一行を王城に招きたいという王家からの手紙が月の雫亭に届いた後、あらためてルメリオにみっちり叩き込まれた礼儀作法は緊張のあまり既に頭から吹き飛んでいた。
「王家からの感謝と敬意を示す証として、貴殿らに渡したいものがある。どうか受け取って欲しい」
四角い銀盤を持った従者が王子の隣にやって来た。王子はその銀盤からきらきら輝くものをそっと手にとり、ニールに向かい差し出した。
それは獅子が彫られた金色の台座の中央に、透明な石が埋め込まれたブローチだった。さながら獅子が透明な石を抱え込んでいるかのように見える。
王子は仲間たち一人ずつにそれを手渡すと、再びニールの目の前に戻った。
「これは名誉ある行いや優れた功績をうち立てた者に、王家から渡される証だ。中央に使われているのは虹石だよ」
それを聞いたアロンは興奮気味に声をあげた。
「じゃあ、これは英雄のあかしってことか!」
ルメリオがたしなめようとしたが、王子は笑って頷いた。
「そうとも。貴殿らは我が国の英雄だ」
「やったぁー!」
喜びのあまりアロンはその場でぴょんぴょんと跳ね出した。申し訳ございませんとルメリオが頭を下げると、王子は構わないと優しい笑みをアロンに向けた。彼はとても度量のある人物らしかった。
「貴殿らは虹石を危険なものと考えているかもしれないが、使い方さえ誤らなければ害のないものだ。この証に使われている虹石は、強く握ると色を変える程度の力しか持たない。よければ今、試してみるといい」
ニールは証を両手で包むようにしてぎゅっと握った。十数秒の後、手を開いて見てみると――王子の言った通り、中央にはまっている透明な虹石は、澄んだ青色に変わっていた。
「青くなった……」
隣にいたフランシエルがニールの持つ証を覗き込み、目を丸くした。
「えっ? あたしのは白くなったよ」
「おれのは黄色!」
アロンが自分の証を高々と掲げた。
仲間たちに渡された虹石は、それぞれすべて違う色に変わっていた。ゼレーナは緑色、エンディは藍色、ギーランは赤黄色、ルメリオは赤、そしてイオは紫――ニールは竜骨の塔での戦いを思い出した。確かあの時も、この虹石と同じ色の光が力を貸してくれた。
その様子を見て、王子は感心したかのように声をあげた。
「全員が違う色になるとは……珍しいこともあるものだな」
「この色には、どんな意味があるんですか?」
エンディがおずおずと問う。
「虹石はそれを持つ者の、最も強い心の力を象徴する色に変わる。貴殿らはまるで本当の虹のようだな。ばらばらの色が集まって、美しい一つの光になった……八色の虹だ」
王子は目を細め噛み締めるように言った後、ニールたちを見て微笑んだ。
「色が示すものを一つずつ教えよう。まずは――」
***
王子アレクサンドルは自警団一行の活躍を称える晩餐会をぜひ開かせて欲しいと言ったが、ニールは丁重に断った。王子にはやるべきことが山積みのはずだ。自分たちに時間を割いてもらうのは申し訳ないと思ってのことだった。
ならば代わりに金銀宝石を褒美にとも言われたが、それも断った。虹石が使われたブローチだけでもかなりの価値があるはずだ。国の財産は困っている人のために使って欲しいとニールは頼んだがなかなか王子は納得せず、押し問答の末にせめてこれだけでもと袋にいっぱいの金貨を受け取ることになった。これだけでも八人が一か月は何もしないで過ごせる。今まで手にしたことのない大金だ。
王子は行きと同じく帰りも馬車を用意しようとしてくれたが、王家の馬車に乗るのは緊張する。月の雫亭へはそこまで遠い訳でもないので、ニールたちは王子にしっかり挨拶をして王城を後にすべく正門へ向かっていた。
「……ごめん皆。晩餐会、俺が勝手に断っちゃったけど良かったかな」
いいんじゃないですか、と隣を歩くゼレーナが言った。
「また毒を盛られたらたまったものじゃありませんしね」
「これだけの金貨があれば、王都のどこのお店でも皆お腹いっぱいになるまで食べられるよ」
と、エンディ。
「それもいいけど、あたしはやっぱりジュリエナさんとリーサが作るごはんが食べたい」
そう言ったフランシエルに対し、ニールはそうだなと頷いた。
「今までのお礼も兼ねて、月の雫亭で思いっきり奮発しようか」
その時、不意に背後で声がした。
「ニール」
足を止め振り返る。そこに立っていたのは騎士隊長のベルモンドだった。
一体なんの用だろうか。ニールが戸惑っていると、ベルモンドは真っすぐニールのもとへ向かってきた。
「ベルモンド隊長?」
「まず、王国を救ってくれたことの礼を騎士団を代表して言わせて欲しい。感謝する」
「ええっ、そんな、とんでもないです! 俺たちはただ、困っている人の力になりたくて」
あわあわとするニールに対し、ベルモンドは神妙な顔つきになった。
「お前の耳にも届いていることと思うが、今回の件では騎士団から多くの裏切り者が出た。責任は、部下をまとめきれなかった我らにある」
「そんな風に思わないでください。ベルモンド隊長のせいじゃありません」
「……ニール、今のお前に騎士団はどのように映っている?」
ニールの目をじっと見据え、ベルモンドが問う。
「騎士団は、騎士は今も俺の憧れです」
ニールははっきりと答えた。
「ベルモンド隊長の言う通り、色んなことに納得できなくてエルトマイン公爵の味方をしてしまった騎士も確かにいます。でも王国が危なくなった時、命を懸けて戦った騎士がたくさんいることも俺は知ってます。そっちの事実の方を大事にするべきだと思います」
ベルモンドは何かを考え込むかのように目を伏せ、またニールと視線を合わせる。
「今までの経験を経てお前はこの先、どのような人間でありたいと思う?」
すべてを見透かすかのような瞳の前に、嘘や下手な取り繕いは通用しない。
無論、ニールにそのようなことを並べ立てるつもりはなかった。上手く話せないかもしれない。だがベルモンドに、考えていることのありのままを聞いて欲しい。ニールは口を開いた。
「俺は……ここに来て思いました。世界って俺が思ってるよりずっと広くて、色んな人が生きているんだなって……当たり前のことなんですけれど、でもずっと気づけなかったんです」
自警団の仲間たちや今まで出会ってきた人は、立場も考え方も様々だった。すべてを平等にして暮らす小さな村の生まれのニールには、それすらも新鮮なことだった。
「その中には自分のことしか考えられなかったり、他の誰かのことを平気で傷つけるような人もいました。けれど、悩んだり苦しんでも、立ち向かっていく人たちもたくさんいるんです。そこには騎士とか貴族とか、身分なんて何にも関係なくて……だから俺は、信じてもらえる人間になりたいです。どんなときでも『あいつなら正しいことをする』って皆から思ってもらえるように、生きていきたいです」
身分や種族を超えて様々な人の心に触れたどり着いた、本当になりたい姿。それは今、固い決意とともにニールの胸にある。この先、自警団が必要でなくなりただの村人に戻ったとしてもずっと、この決意は揺らがない。
「……そうか」
ベルモンドはただ一言だけそう返すと、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「引き留めてすまなかったな。ここに来たのはお前に渡したいものがあったからだ」
そう言ってベルモンドは懐を探り、一通の封がされた手紙を取り出してニールに差し出した。
「使うかどうかはお前に任せる。だが必要になるときまで失くすことのないように。再発行はできかねるのでな」
「え? は、はい……」
「では、達者でな。自警団」
手紙を受け取り立ち尽くすニールをよそに、ベルモンドは赤黄色の外套を翻し王城へと戻っていく。
その姿を見届けた後、フランシエルがニールの手元を覗き込んだ。
「ニール、何を貰ったの?」
「分からない……開けてみようか」
ニールは慎重に手紙の封を切った。中に入っていた便箋には短い文がしたためてある。
『ブラウ村のニールを騎士たる器と志を持つ者と認め、騎士隊長ベルモンド・ヴァンゲントの名においてイルバニア王国騎士団剣士隊へと推薦する』
「こ、これって……」
「やったね、ニール!」
エンディがニールの腕に飛びついた。
「騎士団への推薦状だ。ニール、騎士になれるんだよ!」
「俺が……騎士に……」
あまりに突然のことでニールの声が震える。いま手に持っているのは、しっかりとベルモンドの署名がされた騎士団への扉を開く鍵だ。
すべてが夢なのではないかと錯覚しかけた時、フランシエルに肩を叩かれた。彼女がニールの目をまっすぐ見つめ微笑む。
「ニール、おめでとう! ……夢、叶って良かったね」
「ああ……」
ニールは一人ずつ、仲間たちの顔を見た。目にうっすらと涙がにじむ。
「ありがとう……皆がいなかったら、絶対に叶わなかった。本当に、ありがとう……!」
たった一人きりだったニールの元に集まった仲間たち。意見の食い違いもあったが、助けられた時のほうが圧倒的に多い。彼らがいなければニールは今、ここにはいない。
「ニール、あのすっげー騎士のおっさんみたいにぴかぴかの鎧きて、背中に布つけてたたかうんだな!」
「うーん、あの恰好がニールに似合いますかねぇ……」
「はは、ゼレーナさんは相変わらず手厳しい。いつかはきっと着こなせますよ。おめでとう、ニール」
「……ぼんやりしていると推薦状を失くすぞ」
イオに言われ、ニールははっとして推薦状をきっちりたたみ、大事に懐へしのばせた。
「失くさない、絶対に失くさないよ」
それじゃ、とフランシエルが笑った。
「今日はすっごいお祝いだね! 貰ったお金でいっぱい食べて飲もうよ!」
「お、酒か? 酒だな?」
王城に招かれてから今まで、終始何にも興味を持たなかったギーランが前のめりになる。
「もう、ギーランったら。ほどほどにしなきゃ駄目だよ、主役はニールなんだから!」
「いや、いいよ」
ニールは笑いながら言った。
「俺だけじゃない。全員が主役だ。皆で思いっきり楽しもう」




