19話 騎士たるもののすべきこと
住民や旅人が行き交い、店主が客を呼ぶ声がいつも響いていた王都の大通り。そこに今、人の姿は一人もない。代わりに我が物顔で歩き回っているのは恐ろしい魔物たちだ。姿かたちは様々だが、共通点が一つある。額や喉元などに、不気味に光る石が埋め込まれていることだ。
魔物たちはうなりながらそこら中を嗅ぎまわり、壁を伝って屋根へ上る。建物の扉に鉤爪や牙を差し込み、何とかこじ開けようとする。
戦う術をもたない民たちは屋内で身を寄せ合い、神に祈るしかなかった。王都内に魔物が出たことは何度もある。だがその度に戦っていた自警団は何日も前に姿を消した。だが彼らがいたとしてもたった八人で、強力な魔物を相手に勝てるはずもない。
誰もが希望を失いかけていた。しかし、小さな希望の光を繋ごうと勇気を奮う者たちもいた。
「やあっ!」
テオドールは剣を手に、猛然と魔物に突っ込んでいった。その巨大な体躯にとってはかすり傷程度の一撃しか食らわせられなかったが、騎士になりたての頃を思えば大きな成長だ。
王都に残っていた騎士団剣士隊の副官、ヒューバートの指揮のもと、待機となっていた騎士たちが総動員で防衛にあたっていた。数は百人にも満たない。強力な魔物から広い王都を守りきるにはあまりにも心もとない人数だったが、全てが魔物に蹂躙されるのを黙って見ていられるはずもない。何一つ守ろうともしない者が騎士など名乗れない。
魔物が長い牙を見せて吠える。鼻先に埋め込まれた黄色の石が不気味に光った。己の何倍も大きな相手に圧倒されるテオドールの脳裏に、青い髪の青年の顔がよぎる。
ニールは無事に仲間たちと共に逃げられただろうか。いや、必ず生き延びているはずだ。鼻につくほど真っすぐで、呆れるほどしぶとい彼が約束を違えるはずがない。
ならば、自分も生きなければ。生きてニールと再会しもう一度剣を交えて、そして今度は彼を打ち負かす。こんなところで魔物に八つ裂きにされるわけにはいかない。
テオドールは己を奮い立たせ、魔物に向かい走った。地面を蹴って跳び剣を振りかざしたところで、魔物の鋭い爪が生えた前足に阻まれた。固い甃に叩きつけられたテオドールの手から剣が滑り落ちる。拾うため立ち上がろうとしたが、衝撃でめまいを覚え思うように動けなかった。
テオドールの視界の端で、魔物が再び前足を振り上げた。この状況を脱する手を思いつけないまま惨めに命を散らす――そう思ったのと、魔物が甲高い悲鳴を上げたのはほぼ同時だった。
魔物のこめかみに一本の矢が深々と突き刺さっていた。傷口から血を流しながら喚き散らす魔物を呆然と見つめるテオドールの手を誰かが掴み、固いものを押し付けてくる。先ほど取り落とした剣の柄だった。
「ほら、立って立って」
言われるがままよろよろと立ち上がったテオドールは声の主の顔を見て目を見開いた。弓矢を携えた、長い金髪の少年――弓術士隊の長、ユーリウスだ。
「ユーリウス隊長!?」
目の前で暴れ狂う魔物など気にも留めず、名前を呼ばれたユーリウスはにこっと微笑んだ。
「よく頑張ったね。援軍を連れて来たからもっと肩の力抜いて戦いなよ」
テオドールは辺りを見回した。大勢の騎士たちが魔物に向かっていくのが見えた。竜人族との戦に赴いていたはずの騎士が戻ってきたのだ。だが、なぜ王都が危険な状態に陥ると同時に現れたのだろう?
先ほどユーリウスが射抜いた魔物が再び彼とテオドールに狙いを定める。だがそれはテオドールの脇をすり抜けて飛んできた矢によって阻止された。喉元を貫かれ、魔物がこと切れた。
「さすがはロイド!」
駆け寄ってきた弓術士隊の副官は、ユーリウスの呑気な声に顔をしかめた。
「もう少し危機感を持ってください」
低い声でたしなめられ、ユーリウスは笑い声をあげて弓の弦を軽く指ではじいた。
「怒られちゃった。さて、頑張ろうじゃないか見習い君。僕たちで王都を救うんだ」
「は、はい!」
テオドールは剣を握りしめ、苦戦を強いられていそうな味方の元へと走る。迷いは無かった。経験も実力も圧倒的に足りていないが、闘志だけは誰にも負けない。
その後ろ姿を見届け、ユーリウスは弓に矢をつがえて上空に放った。空を飛んでいた魔物が翼に傷を負い地に堕ちる。
「さあロイド、どっちがたくさん倒せるか勝負だ! 僕が勝ったら林檎のパイ奢ってね!」
副官が何やらぶつぶつと呟くのを聞きながら、ユーリウスはまた矢筒から矢を引き抜いた。
***
魔術師隊の長、エカテリーンは副官のフェリクと共に、薄暗い王都の地下水路を進んでいた。二人の足音以外に聞こえるのは、水滴が床に落ちる音だけだ。
援軍を連れたエカテリーンとユーリウスが王都にたどり着いた時には、すでに魔物が街中を我が物顔で歩き回っていた。しかし手遅れになることだけは避けられた。地上はユーリウスが率いる援軍に任せ、エカテリーンは地下水路にまだ潜んでいる魔物がいないか調査に乗り出した。
「何もいないね……」
フェリクが小声で言った。魔術の才をもつ者は、持たざる者よりも魔物の気配に敏感だ。迷宮のような道をひたすら探ってきたが、ネズミ以外に出会うことはなかった。
そろそろ見切りをつけ、地上に戻ってユーリウスや部下たちを助太刀するか――そう考えたところで、かすかな物音がエカテリーンの耳に入った。
「……何か聞こえた」
隣にいるフェリクの魔力以外は感じ取れない。潜んでいるのは魔物ではないようだ。しかし、人が好き好んでこのような場所に寄りつくだろうか。
「誰かいるのか」
暗がりに向かい、エカテリーンは声をあげた。危険なものが飛び出してきても対処できるよう、魔力を練る。
やがて足音と共に、地下水路に人影が揺らめいた。現れたのはエカテリーンが想像もしなかった者だ。
「君たちは……」
甲冑を着た、二人組の若い騎士だった。帯剣しているのを見るに、剣士隊の所属だろう。
「ここで何をしているんだ。エルトマイン公爵の陰謀で凶暴な魔物が地下から湧いて出てきているんだ。君たちだけでは危険だぞ」
騎士たちは顔を見合わせ、くっくっと笑った。エカテリーンは眉をひそめた。
「何がおかしい?」
「騎士隊長さまも不甲斐ないな。戦争のことでいっぱいいっぱいで、肝心なことは何も分かっちゃいない」
「言っている意味が分からない。この地下で魔物を見かけたのか? 見ていないのなら即刻、地上に出て仲間を手伝ってくれ」
二人の騎士はエカテリーンの呼びかけに応えることなくへらへらと笑うばかりだ。エカテリーンは前に一歩踏み出した。
「所属が違っても隊長の指示には従うのが規則のはずだ」
「……エカテリーン、彼らは君の言うことを聞きはしない」
黙って成り行きを見ていたフェリクが口を開いた。
「フェリク?」
「彼らを従えているのは君でも、ベルモンド隊長でもない……」
そこでエカテリーンは全てを悟った。怒りのままに騎士たちへ向けて魔法を放ちそうになるのをぐっとこらえる。
「貴様らも加担したというのか! エルトマイン公爵の計画に!」
「ああ、そうだよ。俺たちの他にも大勢いる。もちろん魔術師隊の奴もな」
騎士の一人が涼しい顔で答えた。
「うんざりなんだよ、何が楽しくて傭兵あがりの言うことなんか聞かなくちゃならないんだ?」
傭兵あがり――剣士隊を束ねるベルモンドのことだ。
「あんたもあんたさ。才能を持って生まれたって、所詮は女なんだ。そのくせいっちょ前に隊長なんか気取って、全員があんたをその器だと認めてるとでも思うのか?」
エカテリーンは奥歯を噛み締め、拳を強く握った。授かった子供たちの中で魔術の才を持つのが自分だけだと知った時の、父親の表情は今もよく覚えている。誰よりも魔力を意のままに操る父の姿は、エカテリーンにとって憧れだった。彼を失望させたくなくて、また彼の名誉を地に堕としたくなくて、懸命に努力してきた。たとえ女のくせに生意気だと陰で囁かれようとも、その悔しさをばねにして来る日も来る日も修行を重ねてきた。その姿は国王に認められ、父の後を継ぐことができた。
だが血反吐を吐くような日々の果てに、国王への裏切り行為に加担する者を生み出してしまった。
「エルトマイン公爵は約束してくれたんだ。この計画が成功すれば、相応の地位をやるってな。あんたらの言うことをいちいち聞かなくてもよくなるんだ」
今エカテリーンの目の前にいる二人組、そしてエルトマイン公爵側についた騎士たちはみな現隊長を疎んじ、ただ地位だけを求める者たち――本当なら騎士と呼ぶに値しない。
だが、己の信念も彼らに通ずるものがあるのではないか――エカテリーンの心に揺らぎが生まれる。父と同じように魔術師隊の長になる、それは地位を求めたのと同じではないのだろうか。
「エカテリーン、迷わないで」
副官フェリクがきっぱりと言い放つ。彼は騎士たちを見据え、言葉を続けた。
「騎士として目指したいものは、それぞれに違っていても構わない。地位や名誉でも、大切な人の傍にいることでも、何だっていい。だが、騎士を名乗るなら絶対に持っていなければならないものもある。それをお前たちは捨てた。もう僕はお前たちを仲間とは思わない」
怒気をはらんだ声で話し続ける従兄を、エカテリーンはただただ呆気にとられて見つめた。記憶の中の彼は、いつも穏やかで優しかった。これほど感情を露わにするのは初めてだ。
「エカテリーンだけじゃない。ベルモンド殿、ユーリウス殿……隊長がたがどれほど悩み苦しみながら努力してきたか、ほんの一瞬でも想像したことのない奴が分かったような口をきくな!」
思わぬところから説教をくらい、騎士たちは面食らったような顔をした。一人が舌打ちをし、背後の暗がりに顔を向ける。
「おい、まだか!」
「もうすぐだ!」
呼びかけに応える声が奥から響く。裏切った騎士がまだ潜んでいるようだ。
次の瞬間、エカテリーンは全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。フェリクも同じのようだ。得体の知れない力を持ったものがこちらに近づいて来る。
やがて、通路の奥からさらに一人の騎士が小走りでやって来た。エカテリーンの知っている顔だった。魔術師隊に入隊してまだ浅い男だ。
「悪いな。時間稼ぎはもう十分だ」
剣術士隊の二人がエカテリーンとフェリクを見てにやりと笑う。
「さすがの隊長さまも生きて帰れるか分からないぜ。何せ『とっておき』だからな」
「さあ行け、あいつらを食い殺せ!」
どういうことだとエカテリーンが問う前に、三人の騎士たちは身を翻し、地下水路の奥へと逃げていく。それと入れ替わるように、暗闇にぎらりと光る目が浮かび上がる。ひりつくような魔力を体からまき散らし、天井ぎりぎりまで届く大きな体の持ち主が姿を現した。
それはエカテリーンが今まで対峙した魔物など比べ物にならないほどの狂気を宿していた。自然発生した魔物とは考えにくい。エルトマイン公爵の手により、不自然にすべてを歪められた魔物だ。こんなものが地上に出てしまえば、死傷者はゆうに百を超えるだろう。
「……フェリク、逃げた彼らを追って欲しい」
魔物から目を逸らさないまま、エカテリーンは副官に呼びかけた。
「でも、エカ」
「こんな程度、わたし一人で十分さ」
口角をあげ、明るく言ってみせる。
「……死なないでくれ。絶対に」
フェリクが言い、逃げて行った騎士たちを追って駆け出す。魔物の注意がそちらへ向いた。すかさずエカテリーンはその顔めがけて火球をぶつけた。
「貴様の相手はわたしだ!」
背中に括り付けていた杖を手にとり、エカテリーンは声を上げた。
もう迷うことなどない。確かに自分は父の後を継ぎ、魔術師隊の長となることを目標に生きてきた。だが、それよりもっと大切なことがあるのも知っている。騎士たるもののすべきこと、それは己の矜持のすべてを賭けて、人々の明日を守ることだ。
魔物が吠え、無数の棘のようなものを飛ばしてきた。エカテリーンは魔力の盾を生成し、それらをすべて弾いた。間髪入れず、杖を掲げて魔力を動かす。炎がらせん状に渦を描き、魔物の体を包み込んだ。
魔物がもがき苦しんでいる間に、炎を絶やすことなく別の魔法を使う。魔力でできた槍が空中にいくつも生まれた。
「……努力してきて良かった」
額に汗をにじませながらエカテリーンは呟いた。魔力の槍が魔物へと一斉に向かって行く。体中を貫かれ、魔物は断末魔を上げて動かなくなった。
エカテリーンはゆっくりと魔物に近づいていった。短時間に多くの魔力を消費し軽いめまいを覚えたが、休んでいる場合ではない。
騎士隊長たちのもとに転がり込んできた男、グレイルの言う通り、この魔物は人の命令を受け、エカテリーンとフェリクに牙をむいた。竜人との戦の最中にこのようなおぞましい実験が行われていたことを知り、エカテリーンの胸にふつふつと怒りが沸いてくる。
魔物は完全にこと切れていた。だがこれで終わりではない。エカテリーンは呼吸を整え、副官がいるはずの地下水路の奥を目指し駆けて行った。




