17話 竜人族の住まう場所
フランシエルの案内を受けてニールたちがたどり着いたのは小さな集落だった。丸太を組み合わせて作られた家がぽつぽつと並ぶ中、十頭ほどの魔物の群れを、武器を持った三人の竜人族たちが相手している。男性が一人、残りは女性でいずれも若い。
剣を手にした竜人の女性が魔物に斬りかかるが、相手の牙がそれを阻んだ。その隙に別の魔物が女性に忍び寄る。
「危ないっ!」
女性の周りをルメリオが作った魔法のつる薔薇の壁が取り囲み、魔物の牙と爪を弾く。突如として現れた助っ人に戸惑う竜人たちを守るように、ニールたちも戦いの輪に加わった。
「他の魔物がここまで来ないように、セイレムが別のところで戦ってるはず!」
フランシエルが言うのを聞き、ニールはさっと状況を見回した。魔物の群れはすでに劣勢に追い込まれている。セイレムの援護にまわった方がよさそうだった。
「ルメリオ、エンディ、アロン、ここを守ってくれ!」
「分かりました、お気をつけて!」
残った仲間を引きつれ、ニールはフランシエルに続いて山道を下っていった。
いつでも魔力を放てるようにしながら、ルメリオは自警団の仲間の方へ目をやった。魔物の体に矢を撃ちこむアロンを、魔法の大鎌を持ったエンディが援護している。すっかり戦い慣れた二人に急ぎの支援は必要なさそうだった。
その時、魔物の吠える声が左方に響いた。そちらに顔を向けたルメリオの目に、得物を取り落とし地面にうずくまる竜人の女性とそれを狙う魔物の姿が映る。
魔物の爪が女性へ届く前にルメリオは魔法の茨を魔物の体に絡みつかせ、身動きがとれなくなった隙に竜人の女性を背にかばうようにして立った。
「あんた……」
女性の声にルメリオは振り返り、帽子を脱いで片目をつぶって見せた。
「ご安心ください、貴女のような美しい方をお守りするのが私の使命ですから」
***
木々の間を抜けて進むニールたちの耳に、やがて怒号や唸り声が届き始めた。
「セイレムか?」
ニールが問うと、フランシエルは頷いた。それから間もなくして乱れ戦う魔物と数人の竜人が見えた。その中にセイレムもいる。二振りの戦斧を両手に持ち、魔物と果敢に対峙していた。
「助けるぞ!」
ニールが言うや否や、ギーランが我先にと駆け出していく。
「どけ、俺が全部やってやらぁ!」
存分に力を振るえない日が続いた彼が、先ほどの集落での戦いで満足するはずがない。驚く竜人たちなど歯牙にもかけず、次々と魔物を戦斧の餌食にしていく。
「気を付けてくださいね。その脳筋オヤジ、敵と味方の区別がつかないときがありますから」
ゼレーナが竜人たちに告げ、魔法球を掲げる。一瞬にして生まれた氷の刃が魔物めがけて飛んでいく。その間にもイオは疾風のように駆け抜け、別の魔物を葬り去った。
ニールとフランシエルは武器を構え、セイレムの両隣に立った。彼がニールを睨む。
「何のつもりだ、お前たちは」
「あたしが呼んだの!」
「勝手なことをしてごめん。でもあんたたちを助けたい」
ニールは答え、フランシエルと共に魔物に向かっていった。魔物たちはいずれも骨のある相手だった。ここで取り逃がして先ほど通った集落に入ることを許してしまったら、戦えない老人や子供に危険が及ぶ。
セイレムはニールたちを追い出そうとはしなかった。自らも魔物に飛び掛かり、二振りの戦斧を振り下ろす。
「止まるな、竜の力を見せろ!」
彼が声を張り上げると、現れた人間に気をとられていた他の竜人たちが雄叫びをあげて戦いの中に戻った。男性も女性も勇ましい戦士だ。ニールたちに後れをとるまいと魔物をなぎ倒していく。
やがて最後の魔物が倒れ、辺りは静けさを取り戻した。
「やったねニール、ありがとう!」
「ああ、勝ってよかったな!」
フランシエルとニールがぱちんと手のひらを合わせ喜んでいると、セイレムが二人のもとへ歩み寄ってきた。フランシエルが一歩前に進み出る。
「セイレム、全部あたしが悪いの。ニールを怒らないで」
「責めるつもりはない。俺たちだけではこうはいかなかっただろう。ただ……」
セイレムは言葉を切り、周りを見回した。他の竜人たちが訝し気にニールと仲間を見つめている。武器を向けてくる者はいないが、信用もしていないようだった。
「セイレム、こいつら何なんだよ?」
「あんた何か知ってるの?」
竜人が口々に声を上げる。セイレムは目を伏せて何か考え込んでいるような素振りを見せ、やがて決心したかのように顔を上げた。
「この人間たちは敵ではない」
迷いのないはっきりした口調だった。
「今、見ていて分かっただろう。彼らは俺たちにも劣らない勇敢な戦士だ。勇気あるものには敬意を払う。それが誇りある竜の生き方だ」
セイレムはニールの方を向き、握り拳にした両手を突き合わせた。それを見たフランシエルの顔が輝き、ニールの肩に手を乗せた。
「ニールたちのこと、認めてくれるって」
この仕草が竜人たちの、相手を称える印なのだろう。セイレムのその姿を見た他の竜人も同じようにした。彼らから疑いや戸惑いの感情が消えていく。
「ありがとう、セイレム」
「礼を言うのはこちらの方だ。集落に残った仲間がいたはずだな? 戻ろう」
セイレムの表情は、初めて会った時と比べれば驚くほど穏やかだった。もしかするとこちらが彼の本性なのかもしれないと考えつつ、ニールは彼の後について集落への道を行く。道中、他の竜人たちも労うようにニールの肩を叩いてくれた。
***
ギーランと、彼に負けず劣らず立派な体格の竜人ががっちりと組み合う。武器を持たず己の肉体のみで行われる戦いを、周りで見ている竜人たちがやいやいと盛り上げる。
「斧のおっさん、あんたの本気見せてくれよ!」
「バルディン、竜人の生きざまを人間に教えてやりな!」
バルディンと呼ばれた竜人の男はかなりの力自慢らしいが、ギーランもがんとして退かない。
繰り広げられる戦いの外側では、竜人の子供たちが追いかけっこをして遊んでいる。その中にはアロンも混じっていた。
魔法の力を持つエンディも竜人の若者の注目を集めていた。得意とする生成魔法で空中に竜の姿を描く。半透明の小さな竜はその場でばさばさと羽ばたき、口を開けて吠えるような仕草をした。それを見た竜人たちが一斉にどよめく。
「どうかな? 竜を作るのは初めてなんだけれど……」
「すげぇなお前! 細っこいくせにこんな芸当ができんのか!」
「なあ、他には何が出せるんだ?」
「えーと、後は……」
エンディの魔力が再び動き、馬に乗った甲冑姿の騎士が現れる。また大きな感嘆の声が上がった。
ルメリオは先ほど助けた竜人の女性と、彼女の友人たちに囲まれていた。
「驚きました。竜人のお嬢さん方がこんなにも素敵な方ばかりとは……貴女のその角、真珠のように輝いて何とも美しい」
「あはは、お嬢さんだって。そんな風に呼んでくる男なんてここにはいないよ」
「ねえねえお兄さん、あたしの角も褒めてー」
ニールはゼレーナ、イオ、セイレムと共に集落の隅でその様子を眺めていた。
「……俺が聞いていた人間というものに比べて、お前たちは……何と言うか、変わっているな」
セイレムが呟くように言った。ええ、とゼレーナが頷く。
「揃いも揃って変わり者ばかりですよ」
「でも、皆すごく良い奴なんだ」
被せるようにニールが言うと、鱗が散りばめられたセイレムの表情が和らいだ。
「そうだな。こんなにも俺たちに馴染むとは思っていなかった」
彼は仲良く遊ぶ竜人の子たちとアロンに目をやった。追いかけっこは終わり、今度は輪になって飛んだり跳ねたりしている。
ニールはセイレムに声をかけた。
「俺も、竜人がこんなに気さくな種族だなんて知らなかったよ……ちょっと怖いのかなって思ってたんだ」
ニールが直接に戦ったことはないとはいえ、竜人族は王国の敵だ。人間に対し憎悪をむき出しにしてくるかと思っていた。しかし実際の彼らはやや口調や態度に荒々しさはあるものの、素直で親しみやすい。
「……ここにいるのは反戦派だ。戦に前向きな奴らなら、迷わずお前たちを皆殺しにする」
「えっ!?」
驚くニールなど気にせず、ゼレーナはほぅ、と興味深げな様子を見せた。
「竜人族も一枚岩じゃないってことなんですね」
「竜人はかつて、人間の奴隷として生きていた時期があった。そのことで今も人間たちを恨んでいる奴らもいる。しかしそれはもう百年以上も前のことだ。今の俺たちには力がある。過去の恨みを晴らすのではなく今を、この先をよくしていくにはどうするか。それを考えるべきだと思っている」
「あなたの爪の垢を煎じて、うちの国の能無し貴族どもに飲ませてやりたいですよ」
それを聞いたセイレムは眉間にしわを寄せた。
「爪の垢……?」
「ああ、こちらで使われる言い回しです。とにかくあなたの考えを見習ってほしいですよ」
「セイレム、俺たちとほとんど年が変わらないのにすごくしっかりしてるんだな」
「そりゃそうさ、セイレムは次の長だからな」
近くにいた竜人の若者が口を挟んだ。
「長っていうのは……」
「さしずめ竜人族の王といったところか」
セイレムに代わってイオが答える。ニールは驚いてセイレムを見た。
「えっ、そ、そうなのか!? すごく偉いんじゃないか!」
セイレムはややばつが悪そうにニールから目を逸らした。
「……そんなに大層なものじゃない。親父からすれば、俺は戦嫌いの腑抜けだ。長の座を渡されるかどうかも怪しい」
先ほど会話に入ってきた竜人族の若者が再び話し始めた。
「そんなことないさ。頭の固い長たちよりセイレムの方が立派だよ。だってセイレムが魔物狩りを進んでやってるから、チビ達や爺さん婆さんが安全に暮らせてるんだぜ」
セイレムは人間と争うことに疑問を持つ、主に若い竜人を集めて魔物の脅威から戦う術を持たない仲間を守っているのだという。
ニールは彼に笑いかけた。遠く離れた地で、同じ志を持つ者に会えるとは思っていなかった。
「じゃあ、俺たちと同じだな。俺たちも魔物の被害に苦しむ人たちを助けて回っていたんだ……ちょっと訳があって王国を出て行かないといけなくなったんだけど」
ところで、とゼレーナが声を上げた。
「セイレム、あなたフランの従兄なんですよね?」
「……ああ。フランシエルの母親は、俺の親父の妹だ」
つまり、フランシエルは長の血族だ。ニールは驚いて目を見開いた。以前にエンディが彼女のことを「どこかの王女かもしれない」と言っていたが、あながち間違いではないということになる。
「あいつの母親……シルヴァーナは、生まれた時から足が悪かった。そのせいで身軽に動き回ることができず、山のふもとでの生活を余儀なくされていた。親父もそんな妹をよく思っていなかった。竜人なら皆、誇り高き戦士として生きるべきだと考えていたからな」
「シルヴァーナさんはずっと独りぼっちでいたってことか?」
ニールの問いにセイレムは頷き、話を続けた。
「だが、どのような経緯かは分からないがシルヴァーナは人間の男と通じ、フランシエルを生んだ。そのことを知った親父はひどく怒ってシルヴァーナにその人間の居場所と名前を吐けと迫ったが……シルヴァーナは最後まで言わなかった」
ニールの脳裏に、魔物を操る男の姿がよぎる。
「俺たちの掟で、同族を殺めることは何があっても許されない。シルヴァーナはその後もフランシエルと山のふもとに住み続けたが、程なくして亡くなった。もともと体があまり強くなかったせいだろう」
「……そんな生い立ちで、よくもまああれだけ屈託のない子に育ったものですね」
ゼレーナがぽつりと言った。その言葉に棘はなく、純粋に感心しているようだった。
「いや、この山に住んでいた時のフランシエルはもっと大人しかった。察しはつくだろうが……やはりあいつはずっと浮いた存在だったからな。突然出て行ったときはどうなることかと思ったが、フランシエルにとってはいい経験だったんだろう。お前たちのお陰だ」
「俺も、フランにはすごく助けられたよ」
「まあお転婆な子でしたけど、不思議と嫌味が全く無いんですよね。あれは天性の才能ですよ」
ゼレーナはそう言うと、おもむろに魔法で手のひらに乗る程の氷塊を生み出した。それを持ち、竜人族の女性に囲まれたルメリオの方にずかずかと歩いていく。
服の中に氷をねじ込まれたルメリオが悲鳴を上げた。
「ゼレーナさん!? なぜいきなり」
「何だか無性に腹が立ったので」
それを見ていた竜人族の女性たちがけらけらと笑った。
「どうしたの? 妬いちゃった?」
「あはは、お兄さんったら恋人怒らせちゃ駄目じゃーん」
「大丈夫だよお姉さん。このお兄さん面白いけどあたしの好みじゃあないから」
「恋人ではありませんし妬いてもいません! ただこの人がへらへらしてると苛つくんです! それだけです!」
その様子を笑って見ていたニールのもとに、フランシエルが現れた。
「お待たせ、ごはんできたよ! お腹すいたでしょ?」
それを聞き、ニールの腹がきゅう、と音を立てた。ここ数日はしっかりした食事をとれていなかったため余計に食欲が増す。
「ありがとう、フラン!」




