11話 夢のひととき
王城の中はニールが以前に訪れたことのある騎士団本部よりも、更に天井が高くきらびやかな印象を与える。上下左右あらゆるところを見すぎてニールの首はやや痛くなっていたが、全く気にならなかった。
マークスはニールたちを両開きの扉の前まで案内した。
「こちらでエルトマイン公爵閣下がお待ちです」
この奥が晩餐会の会場らしい。エルトマイン公爵はどのような人物なのだろうか。
「教えた通り失礼のないように」
ルメリオに小声で言われ、ニールは背筋を伸ばした。鼓動が速まるのを感じる。マークスが扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。
「ようこそいらっしゃいました」
部屋に入るなり、ニールたちを丁寧に迎えたのは十人の使用人だった。男性と女性が半分ずついて、皆一様に黒いお仕着せに真っ白な前掛けをつけている。
会場である食堂は白い壁と赤褐色の床が広がる部屋だった。壁には等間隔で燭台がかかっている他、天井からも豪華なシャンデリアが吊るされているためかなり明るい。
部屋の中央に真っ白なクロスがかけられたテーブルが陣取っており、既に人数分のカトラリーが準備されていた。クローシュが被せられた大皿、その邪魔にならない程度に、美しい花が生けられた花瓶がテーブルの中心と右寄り、左寄りの位置に置いてある。椅子はテーブルを挟むように四脚ずつ、隣同士が近すぎず遠すぎない間隔で並んでいた。
そして、そのテーブルの最も上座にあるもう一脚の椅子に、一人の男がかけていた。ニールたちの姿を見て彼はすっと立ち上がり近づいてきた。
「我が城へようこそ。私がジルヴェスタン・エルトマインだ」
エルトマイン公爵は穏やかな笑みを浮かべた。後ろに撫でつけた髪や整えられた顎髭には白いものが混じっている。紺色を基調とした礼装に肩章と飾り紐が彩りを添え、毛皮で裏打ちされた真紅のマントが理知的ながらも堂々とした印象を与えている。
「お目にかかれて光栄です。エルトマイン公爵閣下」
ルメリオが率先して帽子をとり、片膝をついて頭を垂れた。続いてゼレーナとエンディが姿勢を低くし、ニールと他の仲間も頭を下げた。
「このような場をご用意くださり、恐悦至極に存じます」
ルメリオの声色に緊張がにじみ出ている。それに対しエルトマイン公爵は気さくに答えた。
「そう畏まる必要はない。さぞかし空腹なことだろう。顔を上げて席につくといい」
使用人が各々椅子を引き、ニールたちを座らせる。マークスの出番はここまでのようで、ごゆっくりお楽しみくださいと一礼して出ていった。
エルトマイン公爵も先ほどまで座っていた椅子にかけ、使用人に向けて言った。
「私は葡萄酒を貰おう。他に酒を嗜む者はいるかな?」
「さ……」
酒と聞いたギーランが爛々とした目で声を上げかけたが、ルメリオに睨まれて呻きながら口をつぐんだ。それを見たエルトマイン公爵がくっくっと笑う。
「せっかくだ。私が気に入っている葡萄酒を出そう。それでいいかね?」
ギーランが頷く。では私もとルメリオも同じものを頼んだ。
「他の者には……そうだな、城に置いてあるジュースを全種類持ってこさせよう。好きなものを好きなだけ飲みなさい」
それを聞いた使用人たちが食堂の奥にある台所へと向かい、様々な色の瓶を持って戻ってきた。林檎、葡萄、苺など、果実の絞り汁だけで作られたジュースは貴族でもなければ到底口にはできない。それがなみなみと注がれたグラスが今はニールの目の前にある。
飲み物が全員に用意されたところで、既にテーブルの上に置かれていた大皿のクローシュが外された。薄く切って薔薇のような形に盛られたハムや様々な種類のチーズ、万遍なくソースがかかった魚の切り身、瑞々しい野菜をゼリーのようなもので固め、四角く切ったもの――美術品のようにも見える料理が輝きを放っている。
「わぁ……」
ニールが呆気に取られている間に、使用人たちがそれらの料理をさっさと全員分の小皿に取り分けて目の前に置いた。
「さあ、遠慮せずどんどん食べてくれ」
エルトマイン公爵に促され、ニールはごくりと喉を鳴らしてテーブルの上のカトラリーに手を伸ばした。
「外に置いてあるのから使う……」
ルメリオに叩き込まれた食事の作法を小さく呟き、ニールは震える指先で並んだカトラリーのうち、一番外側に位置するナイフとフォークをつかんだ。
実際にナイフを用いて食事をするのは初めてのことだ。ニールがどぎまぎしていると、またもエルトマイン公爵の笑う声がした。
「畏まる必要はないと言っただろう。作法なんて気にせず食べなさい。今日の目的は皆に楽しんでもらうことなのだから」
「え、で、でも……」
本当にそれでいいのかと、ニールは斜め向かいに座るルメリオの顔を見た。彼は逡巡の後、公爵の方に向かって座ったまま礼をした。
「寛大なお心に感謝致します。エルトマイン公爵閣下」
顔を上げたルメリオがニールに頷く。作法については気にしなくていいという合図だ。ニールはナイフを置いてフォークだけで、目の前の皿に盛られたハムを口に運んだ。
「美味しい……!」
紛れもなく、ニールが今まで食べた中で一番美味だった。普段口にするハムより塩がきつくないのに臭みもまったく感じない。
一度食べ始めたらもう手が止まらない。ニールを皮切りに他の仲間たちも思い思いの方法で食事を始めた。
それから、テーブルの上から料理が消えることはなかった。前菜を一通り食べ終えると次には湯気を立てるスープ、そして焼きたてのパンが運ばれてくる。パンはニールたちが普段口にするような硬めのものだけではなく、白く柔らかい食感のものから生地に砕いた胡桃や干し葡萄が練りこまれたものなど種類が豊富だった。中に詰め物をして丸ごとこんがり焼いた鶏肉、たっぷりのバターを使用して香草をまぶし焼き上げた魚、蒸し焼きにされた牛肉の塊――どれも舌が蕩けそうな程の絶品で、ニールは夢中でそれらを味わった。今日ほど胃が二つあれば良いと思ったことはない。
ギーランの元に運ばれてきた葡萄酒が何杯目なのかもう定かでない。フランシエルは料理の名前や調理法をあれこれ使用人に尋ねている。戦争中に有力貴族がこのような場を設けている場合ではないのでは、と言っていたゼレーナも豪勢な食事の前にすっかり陥落しているようだった。
エルトマイン公爵は終始穏やかに、料理に舌鼓を打つニールたちを見つめていた。時折、自警団の普段の活動について尋ね、武勇伝を誇らしげに語るアロンの話に耳を傾けたり、公爵という立場の人間がどのような生活をしているのか、というエンディの問いに快く答えた。
会話の合間に、公爵はニールに尋ねた。
「ニール、自警団を発足したのは君だというが、なぜそうしようと思ったのかね?」
「ただ、困っている人を助けたかったってだけです。俺は騎士じゃないから大したことはできないけれど……俺たちがいることで安心してくれる人がいるなら、そのために頑張りたいなって」
「ふむ……君のような者こそ、騎士団に入るべきかもしれんな」
ニールの頬が熱くなる。ここで公爵に頼めば騎士として推薦してもらえるだろうかとも思ったが、それは温かな料理と一緒に飲み込んだ。ここまでもてなしてもらえるだけでも夢のような話だ。これ以上を望むなど許されないだろう。
ニールたちが全員満腹になったところで料理は片付けられ、今度は食べやすく切られた果物や様々な種類のケーキ、王都に暮らしていたとしても食べる機会はそうそう無い氷菓が次々とやって来た。料理に負けず劣らずの味で、既に腹がはち切れそうな程食べているのに手が止まらない。
存分に食べて飲み、行儀が悪いとは分かっていながらもニールは椅子の背もたれに寄りかかった。もう一歩も動ける気がしない。
「いやはや、実に良い食べっぷりだった。見ていて気持ちが良かったよ」
「ありがとうございます。本当にすごく美味しかった」
「もっと食べたい……けど、これ以上はお腹が破れちゃいそう」
フランシエルが名残惜しそうに言った。文字通り葡萄酒を浴びるように飲んだギーランは、顔を赤くして眠りに落ちかけている。
もうすべての品が出尽くしたものと思ったが、使用人たちがまた人数分のカップを運んできた。それぞれの前に置かれたのは、湯気が立つ茶だった。白色の小さな花が浮かべられている。
「消化を良くする作用がある茶だ。二日酔いを予防する効果もある。これを飲んで明日からもしっかり頑張りなさい」
「ありがとうございます、頂きます」
どこまでも行き届いた気遣いに感服しながら、ニールがカップに手を伸ばした――その時だった。
「待て、飲むな!」
鋭い声が部屋中に響き渡る。その主はイオだ。口数こそ少ないものの食事を楽しんでいたように見えていた彼だったが、今は険しい顔で出された茶を睨んでいる。
「イオ……? どうしたんだよ、急に」
戸惑うニールや仲間たちをよそにイオは席を立ってカップを持ち、それを逆さにした。茶が零れ、真っ白なテーブルクロスに染みが広がる。
ルメリオが蒼ざめた表情で絶句する。畏まった作法が身についていなくても、少なくとも出されたものをわざとひっくり返すなど決して許されることではない。
イオの暴挙を見ても、エルトマイン公爵が取り乱すことはなかった。
「お気に召さなかったかね?」
「とぼけるな。これはシャスカの花だ」
イオは冷ややかに言った。
「シャスカの花びらが落ちた水は猛毒に変わる。一口飲んだだけで死に至る」
混乱して、ニールはイオとエルトマイン公爵の顔を交互に見るしかできなかった。公爵がニールたちに毒を盛ろうとした? 到底信じられない。しかしあらゆる任務を全うするために豊富な知識を得て育つ刃の民の中で、とりわけ毒や薬になる草花の扱いに長けていたというイオの見立てが外れているとも思えなかった。
「一国の貴族が何も知らないまま出すようなものではないはずだ。何を企んでいる」
なおもイオは厳しく公爵を問い詰める。しかしエルトマイン公爵は変わらず冷静で堂々としている。
「何なの……どういうこと……?」
フランシエルが不安そうにニールの顔を見た。ニールはおずおずと公爵に問いかけた。満腹感から来る心地よさはとうに失せていた。
「エルトマイン公爵……イオは、こんなところで嘘をつくような奴じゃありません。このお茶は」
「残念だったな。こんなに勘のいい仲間がいなければ、幸せなまま死ねただろうに」
どういうことですか、とニールが聞く前にエルトマイン公爵が手を二回叩く。すると食堂の入り口が開き、武装した騎士たちがなだれ込んで来た。抵抗する間もなくニールたちは椅子から引きずり落とされた。三十人ほどの騎士が自警団の一人ひとりを押さえつけ、あるいは得物を突き付け、武器を取り上げて両手に枷をはめる。
「こんなもの……!」
そう言ったゼレーナが悲鳴をあげ、組み伏せられながら苦し気にもがいた。
「無駄な抵抗はやめることだ。自分の魔力に殺されたくなければな」
先ほどまで自警団と共に楽しく食事をしていたはずのエルトマイン公爵の表情は、仮面のように冷たいものになっていた。ニールたちにはめられた枷には特殊な細工がしてあるらしい。魔法を使って外そうとすると、それが本人に跳ね返ってくるようだ。
「クソっ、ふざけんな、放しやがれ!」
激しく暴れるギーランを押さえつけるのに、甲冑を着こんだ騎士が三人がかりでも苦労していた。イオも拘束を解こうと己を押さえつける騎士の腕に食らいつく。大人しくならない自警団に対し、エルトマイン公爵が言い放った。
「抵抗するなら今ここで一人殺す。子供からだ」
アロンの小さな体を一人の騎士が持ち上げて、喉元に剣を突き付ける。ぎらりと光る刃にひっ、とアロンは息を飲んだが、公爵を睨みつけた。
「お、おれはこわくないぞ……」
しかしその声は震えている。大切なクロスボウを奪われた彼はただの非力な少年だ。公爵が本気であることを悟ったらしく、ギーランは悪態をつきながら暴れるのをやめた。イオも悔しそうな表情を浮かべながら動きを止める。三十人の騎士を相手に仲間を助けて逃げきることは無理だと判断したのだろう。
「どうして……こんなことを……」
床に押し付けられながらニールは声を絞り出した。一体、自分たちが何をしたというのだろう。エルトマイン公爵は最初から、ニールたちを葬るためにここに呼び寄せたというのか。
「お前たちに出しゃばられると困るのだ。所詮はただの賤しいものの集まり。死んだところで大した損にはならん」
「この屑……! あんたみたいな腐れ貴族に比べたら、貧民街で物乞いしながら生きてる子供の方がよっぽどましですよ!」
憎々し気に放たれたゼレーナの言葉も公爵には届かない。彼は心底馬鹿にしたような様子で鼻で笑った。
「溝鼠の言葉など聞く価値もない」
エルトマイン公爵はその場を動かないまま、騎士たちにそいつらを連れていけ、と指示をした。騎士たちは自警団一行を引っ張り上げるようにして立たせ、食堂の外へと連れ出す。ニールはそれに従うしかなかった。抵抗すれば他の仲間の命が危ない。
「安心しろ、自警団は魔物と勇敢に戦いその役目に殉じたと広めておいてやる……」
勝ち誇ったような公爵の言葉を最後に、食堂の扉が閉まった。




