10話 王城への招待
「グレイルはまだ戻らんのか」
執務机にかけたエルトマイン公爵は、目の前に立つ側近を睨みつけた。
「ええ、はい、申し訳ございません……」
側近の男は痩せた体を更に細くして消え入りそうな声で答えた。主の不機嫌な獣に似た唸り声を聞き、肩がびくっと震える。
「まさかくたばったという訳でもあるまい……」
そう呟いたものの、グレイルが己の従える魔物に喉を食いちぎられたという可能性も捨てきれない。だとすれば最も忠実な駒を失くしてしまったことになる――公爵は苛立たし気に人差し指で机を叩きながら、側近に再び鋭い目を向けた。
「もういい。待つだけ無駄だ。あやつ抜きでやる」
「な、何を、でしょうか……?」
「自警団とやらを始末する」
彼らは取るに足らない存在のはずだった。しかし王都中の、公爵の息がかかった者たちから集めた噂によれば、彼らは虹石と魔物の頻繁な出没に何らかの関係があるのではと感づきつつある。運よく魔物に喰われてくれないかと思ったが、未だに自警団は全員生き残っているという。根無し草とはぐれ者の寄せ集めが脅威となることが、公爵には許しがたかった。ちっぽけな存在によって己の計画が崩されるなどあってはならない。
「今夜実行する。『こちら側』の騎士たちを集めろ。それから私の名を出して、自警団を誘い出せ」
「お、仰せの通りに」
「……せめて、苦しむことのないようにしてやろう」
エルトマイン公爵が口の端を吊り上げる。その表情は側近の目には、慈悲深さと残酷さが入り乱れた異様なものに映った。
側近の男は青ざめた顔で一礼し、半ば逃げるように執務室を出て行った。
***
ニールたちは再び王都を拠点として、現れる魔物たちを討伐してまわる日々に戻っていた。それと並行して魔物を操る男を見かけなかったか聞き込みも行ったが、有益な情報は得られなかった。彼の姿は、先日のフランシエルを巻き込んだ一件以来見ていない。
フランシエルは明るく振舞っているが、内心は穏やかではないのだろう。ふとした瞬間に物憂げな表情を浮かべることが多くなった。エンディやアロン、そしてニールができるだけ傍についているが、それでは根本的な解決にはならない。
そんな中ニールの元へ客人がやって来たのは、朝早く自警団が宿屋「月の雫亭」に集ってすぐのことだった。自警団を訪ねて来た痩せた男は、一目見ただけで良い品だと分かる絹製の衣服に身を包んでいた。
「お初にお目にかかります。私はマークス・ヘンデルソンと申します」
恭しく頭を下げるマークスに、ゼレーナはやや訝し気な目を向けていた。
「ジルヴェスタン・エルトマイン公爵の使いとして参りました」
「エ、エルトマイン公爵の!?」
フードを下ろしているエンディが、灰色の目を見開いた。その名前にぴんと来ないニールたちに向け、彼は早口に説明を始めた。
「エルトマイン公爵は王様の弟なんだ」
「皆様のご活躍は、我が主の耳にも届いております。弱き民の味方になりたいと願う志の高い方々の集まりだと」
マークスはにこにこと話し続ける。
「ですので、是非とも皆様を労うための晩餐会を王城にて開きたいと仰せです。急ではございますが、今夜に」
「え、い、いいのか!?」
思わず丁寧な口調で話すことを忘れ、ニールは素っ頓狂な声を上げた。国王に次ぐ位の高い貴族に存在を知られている上、もてなしたいという誘いを受けるなど夢にも思わないことだ。
「ええ、勿論ですとも。お越し頂けますか?」
仲間内で決を採るまでもない。ニールはこくこくと頭を上下に振った。
「ありがとうございます。では日没の時間にこちらへお迎えに上ります」
それでは、と一礼しマークスは宿屋を出て行った。
彼が去った後、アロンが隣にいるルメリオに問いかけた。
「なあ、『バンサンカイ』ってなんだ?」
「食事をする会のことです。偉い貴族の方が私たちをそのためにお城へ招待してくださるのですよ」
「えーっ! なんだよそれ、すっげーじゃん! おれたちもう立派な英雄だな!」
状況を理解したアロンが興奮のあまりその場で飛び跳ね始めた。
「あたしたち、お城に行けるんだね! あの一番大きな建物の中が見れるんだ!」
ここ数日の不安が吹っ飛んだようで、フランシエルも目を輝かせている。
静かに成り行きを見守っていた宿屋のジュリエナも、驚きが隠せないようだった。
「ニールくんたち、すごいじゃなぁい。まさか公爵さまからお呼ばれするなんて。何だかあたしも鼻が高いわぁ」
「そ、そうだな。今でも信じられないくらいだ」
エルトマイン公爵に会い彼から認められれば、閉ざされていた騎士への道が再び開かれるかもしれない――夢想に浸りかけるニールやはしゃぐフランシエルとは対照的に、ゼレーナは相変わらず顔をしかめたままだ。
「なんだか調子の良い貴族ですね。わたしたちをもてなす暇があるなら、馬鹿げた戦争なんてとっとと終わらせて騎士を全員こっちに呼び寄せれば済む話でしょうに」
「ですが、ご招待を拒むだなんてとんでもない話です。しかし……」
言葉を濁すルメリオに、ニールは首を傾げた。
「どうしたんだ、ルメリオ?」
「どうしたもこうしたもありません。貴い身分の方と食卓を共にするのですよ? 普段の食事と同じようにする訳にはいかないでしょう。ゼレーナさんやエンディはともかく、ニールや他の皆さんはどれほどその作法を知っておいでです?」
無論、ニールはそれについて何も分からない。農家の子であるアロンやずっと傭兵として生きてきたギーラン、竜人の中で育ったフランシエルも同じだ。イオも貴族の礼儀についてはからきしのようで、無言で肩をすくめた。
「でもさ、俺たちが貴族じゃないってことはきっと公爵も分かっているだろうし、大目に見てもらえる……ってことはない、かな?」
「それはそうだと思いますが、だからといって何もしない訳にはいきませんよ。付け焼刃にはなりますが、今日の日没までに何とか最低限のことだけは頭に叩き込んで頂きます。いいですね?」
ニールはそれに頷くしかなかった。楽しい晩餐会への道のりは厳しそうだ。
***
日が落ちる頃、約束通りにマークスが再び月の雫亭にやって来た。彼に連れられ、表に出たニールたちを迎えたのは六頭だての大きな馬車だ。紺色の車体の扉には鮮やかな黄色の塗料でイルバニア王国の紋章が描かれている。王冠を被った獅子が後ろ足で立ち上がり、前足で剣と巻物を持って吠える姿は絵ながら勇ましい。
馬車に繋がれた六頭の馬とは別に鞍をつけた馬が一頭、マークスの従者と思われる男に手綱を握られて立っていた。ギーランが馬車の御者席以外に乗るのを嫌うというのを聞き、彼のために用意したのだという。
マークスに促され、ギーランを除く自警団一行は馬車に乗り込んだ。左右に分かれた葡萄酒色の上質なベルベットが張られた座席は、ニールが持つ馬車の概念を覆す。ニールが呆気にとられていると、馬車はゆっくりと動き出した。道が整備されているというのもあるが、ほとんど揺れを感じない。
ニールたちの緊張を察してか、共に座るマークスが微笑みかけた。
「到着までどうぞお寛ぎください」
アロンが忙しなく顔を動かし、窓に顔を近づけて流れていく景色を凝視する。フランシエルは座席に体を預けて息を漏らした。
「すごい……夢みたい」
間もなく、馬車は王都の中ながらニールたちが足を踏み入れなかった区域――貴族たちの居住地に入っていった。その最奥には王城がある。火が灯った街灯が煌めく道は星でできているようだ。
アロンやフランシエル、エンディが感嘆の声を漏らしたり、口々に話してもマークスは眉間に皺ひとつ寄せなかった。
王城の周りには、堅牢な外壁が張り巡らされている。正門の前にニールたちを乗せた馬車が近づくと、門がゆっくりと開いた。ニールの目からは分からなかったが、どこかに門番がいるらしい。
馬車はそのまま正門をくぐり、美しい生け垣や花で彩られた前庭を進んでいった。その中央に据えられた丸い噴水の横をぐるりと通って止まると、外から馬車の扉が開かれた。
「到着ですよ。さあどうぞ」
マークスに導かれ馬車を降りたニールの前に、巨大な城がそびえたっている。尖塔の背後に月が昇り始めていた。
馬車の後ろを馬に乗ってついて来ていたギーランも合流し、マークスに連れられて一行はいよいよイルバニア王城へと足を踏み入れた。




