6話 路地裏での再会
賑わう市場から少しはずれた路地裏、そこがゼレーナの仕事場だ。
適当な廃材をかき集めて作った机の上に、片手の平に乗るほどの透明な玉を置く。その机に向かって座り物好きな客がやって来るのを待つ。
客の悩みを聞き、玉から映像を見るふりをしながら想像を膨らませ、客が望んでいそうな答えを出してやる。
貧民街に生まれて十九年。占い師稼業も決して楽しいとは思えないが、その日限りの仕事、物乞い、盗み――そういったことで食いつながなくていいだけ幸運だった。貧しい生まれは呪いたいが、このめぐり合わせは天に感謝してもいいと思える。
占いの才と関係があるのかは分からないがもう一つゼレーナが授かったもの、それは魔法を使う能力だ。周りに同じことができる人間は誰もいなかった。そう頻繁ではないが生活の場に魔物が迷いこんできた時には、この力を使って撃退してきた。周囲からは頼られることもあったが、同時に恐れられ距離を置かれている。
それでも構わないとゼレーナは思っていた。生きていくだけなら一人でもできる。いくら魔法が使えようとも貧民街に生まれた身ならば、薄暗い路地裏から抜け出すことなどできない。
ぼんやりと目の前の玉を眺めていたゼレーナの前で、誰かが足を止めた。二人いる。ゼレーナが顔を上げると、若い男たちと目があった。武器になるものは持っておらず小ぎれいな服に身を包んでいる。商人か貴族の家の出だろうか。
「占いはひとり二十ゼルです」
短くゼレーナが告げると、二人の男はにやにやと笑みを浮かべた。
「占いだけじゃやってけないだろ? もっといい値で買ってやるぜ」
面倒な奴が来た、とゼレーナは心の中で舌打ちをした。
「あいにく、そういう商売はやっていませんので。お引き取りください」
淡々と言い放ったが男たちは引き下がらず、身を乗り出してきた。
「しおらしいのもいいが、お前みたいな気が強いのも悪くないな」
「金に困ってんだろ? 大人しくついてくれば金だけじゃなくていい思いもさせてやるぞ」
もう彼らは客ではない。ゼレーナは顔をしかめて吐き捨てた。
「……嫌ですよ気持ち悪い。帰ってくれません? あなたたちの顔を見るだけで吐き気がします」
「何だと!」
男の一人が机を蹴り倒し、もう一人がゼレーナの腕を乱暴に掴んで立たせた。はずみでゼレーナの頭を覆っていたフードが外れ、顔が露わになった。肩まである緑色の髪が波打つ。視界の隅に、商売道具の透明な玉が転がっていくのが映った。
「悪くない顔だ」
下卑た笑みを向けられ、ゼレーナの全身を嫌悪感が駆け抜けた。
路地裏の揉め事に気づく者は誰もいない。必要以上に魔法を使わないようにしているが自分の身の方が大切だ。掴まれていない方の手に意識を集中させ、魔法の火を起こそうとしたその時だった。
「何をしているんだ!」
ゼレーナの聞き覚えのある声が響く。男たちの視線もそちらに向いた。
立っていたのは青い髪の青年だった。名前はニールといったか。その隣には、先日ゼレーナが助けた少年もいる。
「ゼレーナを放せ!」
「人をいじめちゃだめなんだぞ!」
見られてしまったことに慌てたのか、ニールが剣を携えていることに分が悪いと感じたのか、男たちは悪態をつきながら雑踏の方へと去って行った。
「ゼレーナ、大丈夫か?」
「別に。大変不愉快ではありますが、怪我はしていません」
ゼレーナは道に転がっていた商売道具の玉を拾い上げた。幸いにも傷はない。
もう会うことはないだろうと思っていた二人組に、彼女は眉をひそめた。
「……あなたたち、何でここに来たんです?」
「通りかかったのは偶然なんだ。ゼレーナが捕まっているのを見かけて、つい飛び出してしまっただけだよ」
「悪いやつをやっつけるのが英雄だからな」
ふふん、と少年が得意げに言った。確か彼の名前はアロンだ。
「わざわざ来て頂かなくてもよかったんですけれどね。わたしは魔法が使えるので」
ニールたちが止めに入っていなければ、ゼレーナの魔法の火が男たちの服を焦がしていただろう。
なぜニールは問題に首を突っ込みたがるのだろうか。彼だけではない。アロンも、以前に年上の子供たちに食って掛かり返り討ちにされかけていた。
ゼレーナの言葉に、ニールは恥ずかしそうに笑った。
「ああ……言われてみればそうだな。体が勝手に動いたんだ」
「赤の他人にいちいち構うほど暇なんですか?」
「他人? 俺にとってはゼレーナはもう友達だよ。アロンのことを助けてくれたのもあるし」
「ゼレーナはいい奴だからな、困ってたら助けてやる。代わりに魔法を教えてくれてもいいんだぞ?」
先ほどからそれなりに棘のある物言いをしているゼレーナに、ニールもアロンも屈託のない笑顔を向けてくる。
ここで彼らと再会したのは何かの導きなのだろうか。ゼレーナは大きく息をついた。
「……ああもう、分かりましたよ。何がしたいのか知りませんが、あなたたちに協力しましょう。借りを作るのは嫌なので」
「来てくれるのか? 俺たちと一緒に?」
「言っておきますけど、過度な期待はしないでくださいよ。わたしは全知全能じゃありませんから」
ゼレーナの念押しを聞いているのかいないのか、ニールたちは手放しで喜んでいる。
「ありがとうゼレーナ! 王都のために一緒に頑張ろう」
「すげー、おれ、魔法使いと友達になったんだ!」
「……あ、そうだ、せっかくだからゼレーナに聞きたいことがあるんだけど」
ふと思い立ったように、ニールが切り出した。
「何です?」
「……俺、なにか良くないものが憑いてる?」
「……はぁ?」
ゼレーナは幽霊の類や魔除け、邪気祓いのまじない等は全く信じていない。しかし彼の表情は真剣そのものだ。
「この前いきなり声をかけられて、俺には悪いものが憑いてて幸せが吸い取られてるって……壺を買えばいいって言われたから、もし本当に憑いてるなら今からでも買いに行こうと思ってるんだ」
――あなた馬鹿なんですか?
ゼレーナは何とかその言葉を飲み込んだ。
「……いえ、あなたから悪いものの気配は何も感じません。壺なんか買わなくていいです」
「本当か? あー良かった……!」
心からの安堵の表情を浮かべるニールを見てゼレーナの胸中に今後についての不安がほんの少し生まれたが、気のせいだと思うようにしておいた。