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ごちゃ混ぜ自警団は八色の虹をかける  作者: 花乃 なたね
二章 騎士団と自警団
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35話 心に刃を突き立てよ

 第一の試練を切り抜けても、その先に待つのは今までと変わらない鍛錬の日々だ。イオはより一層己を追い込み、野山を走り崖を登り剣を振るった。一つだけ変わったことがあるとすればそれは――


「イオ!」


 偶然の巡りあわせから、共に苦境を乗り切った砂色の髪の少年がよく訪ねてくるようになったこと。

 ソルはちょくちょくイオの元に来て、他愛ない話をしたり共に鍛錬をしようと誘ってくる。今まで父親に稽古をつけてもらう時以外、独りで過ごしていたイオは会話の引き出しも少なく話しかけられても愛想のない返答しかできないのだが、ソルは飽きることなく楽しそうに笑いかけてくる。


「……お前、どうして俺にここまで構うんだ」

「え、ごめん、嫌だった?」

「嫌とは言わないが、俺といたところで大して楽しくもないだろう」


 修行の日々を送る刃の民であっても、四六時中気を張って生きているわけではない。特にまだ幼い子供や若者たちは同年代の仲間と笑い合って過ごす時も度々ある。明るく人当たりの良いソルなら話し相手には事欠かないだろうし、彼が他の少年たちと何やら盛り上がっているのをイオも見たことがあった。


「そんなことないよ。僕、イオといるのが一番楽しいんだ」


 なかなかの変わり者だ。だが不思議とソルのことを邪険に扱う気にはなれず、いつの間にか彼と過ごす時間はイオにとっても当たり前の日常になっていった。


***


 時が経ち成長したイオは、着実に刃の民としての力を伸ばしていた。身体能力、精神力、あらゆる状況を生き抜くための知識――血の(にじ)むような努力が実を結び始めていた。

 しかしただ一人、一番身近な存在を超えることだけが未だにできないでいた。

 ソルと行う組手が、もう何度目になるかは分からない。最初の頃は勝敗をつけられていたが、最近はまったく決着がつかず二人ともが力尽きるまで戦い続けている。

 そしてひとしきり暴れた後は二人して地面に仰向けになり、回復するまで空を見上げることが習慣のようになっていた。


「……ねえイオ」


 大の字になったソルが話しかけてくる。


「何だ」

「もしも、もしもの話だよ。明日から刃の民として生きなくてもいいって言われたら、君は何をする?」


 イオにとっては、とても意味のある質問には思えなかった。自分は生まれてから死ぬまでずっと刃の民なのだから、他のものになるなどという選択肢は最初からない。


「そんなことはあり得ないだろう」

「だからもしもの話なんだよ。ちょっとくらい想像してみてよ」

「……何があろうとも、俺は刃の民として生きる。それ以外の道をたどる気はない」


 はは、というソルの笑い声が聞こえた。


「そういうところ、本当にイオらしいや」

「お前は何がしたいんだ、ソル」

「僕は……うーん、そうだなぁ……」


 少しの間の後、彼は言葉を続けた。


「畑を耕して、たくさんの動物に囲まれて暮らしてみたいなぁ。あ、街に住んで何かを売って暮らすのもいいな。海が近いところで船に乗って魚を獲る仕事をしてもいいし……なーんにも決めずにただただ歩き続けて、旅して生きていくのも楽しそうだね」

「お前は、刃の民でいたくないのか」

「ああ、そういう訳じゃないよ。でも時々少しだけ想像するんだ。ここじゃない、どこか別の場所に僕が生まれていたらどうなっただろうって」


 想像する、ということも刃の民にとっては重要なことだ。次の状況がどうなるのか、一歩先まで想像を巡らせて最適な行動を選ぶ――今のソルがしている想像は何の意味も持たない。想像というより空想だ。そんなことを考える暇があるならもっと有意義なことに時間を使えと思わず言いたくなる。

 ソルは自由だ。刃の民としてこうあるべきという考えに縛られず、己の心に素直に生きている。それに対してイオは家の期待に応えること、己を鍛えぬくことばかりに執着している。

 彼が光なら、さしずめ自分は影――そう思わずにはいられなかった。


「……もうすぐ、第二の試練だね」


 楽しそうな様子から一転、ぽつりとソルが言う。

 十八歳になり成人した若者たちが迎える第二の試練は、各々の家の名誉と今後の刃の民としての人生がかかった、最も重要なものだ。第一の試練と異なるのは、自分以外の全員が「敵」となること。

 慢心するつもりはないが、イオには勝ち進む自信はあった。試練に臨んだ者たちの頂点に立つことができれば、「栄誉の証」として称えられる。それは実力が何よりも重んじられる刃の民として生きる上で、何にも代えがたい財産となる。

 それをつかむためには、越えなければならない壁がある。共に第一の試練を乗り越え、今こうして同じ空を見上げている彼がきっと最後にイオの前に立ちはだかるだろう。


「……そうだな」


 イオはただ、そう答えるしかできなかった。


***


 そして迎えた第二の試練の始まり。くじで決めた相手と一対一で戦い、勝った者がまた次の相手と剣を交える。

 イオは予想通り勝ち進んだ。今まで培ってきた力のすべてをつぎ込み、ただ目の前の相手をねじ伏せることだけを考えた。

 そしてもう一つの予想も当たった。ソルもまた同じく勝利をおさめ続け――いよいよ、最後に残ったのはイオとソルだけになった。

 最後の戦いの前夜、イオは父のセクに呼ばれていた。小さな蝋燭(ろうそく)だけがぼんやりと周りを照らす部屋で、向かい合って床に座っている。


「イオ、明日が全てを左右する日だ」


 低い声でセクが言う。暗い茶色の髪はイオと同じだが、目の上はやや(くぼ)み、顔の(しわ)が深く頬がこけているせいで実年齢よりも老けて見える。

 イオは黙って頷いた。幼少の頃からセクに稽古をつけられてきたが、彼が褒めてくれたことは一度もない。慢心するな、常に高みを目指せと言われ続けてきた。今夜呼び出されたのもイオを励ますためではなく、必ず勝てと念を押すためだろうと分かっていた。


「お前の役目はこの度の試練で栄誉の証となり、リューナ家の名を里中に響かせることだ。そして、お前がこの先のリューナ家を担うのだ」


 最後にリューナ家から栄誉の証が出たのがいつなのかイオは知らない。おそらくセクにも分からないのだろう。それほど長い間、リューナ家は里の片隅で(くすぶ)り続けてきた。

 明日、イオが栄誉の証となればこの状況を脱する大きなきっかけになる。他の優れた血筋の娘を貰い、生まれた子をイオが鍛える。そうしてリューナ家が刃の民の重要な柱に成り上っていくことをセクは渇望している。イオはリューナ家の希望だ。


「だが、相手はレイユ家の子。お前も分かっていることとは思うが一筋縄ではいかない」


 レイユ家の者が第二の試練に参加する時は、栄誉の証になることは諦めた方が良い――まことしやかに(ささや)かれるほど、レイユ家の人間は強者揃いだ。

 ソルはその中でも逸材と呼ばれる子。彼に膝をつかせることができるか、正直なところイオは即答ができないでいた。


「奴を殺せ」


 冷ややかな父の言葉に、イオは動揺し目を見開いた。


「毒を使え。お前の知る限り最も強力なものを用いて、奴を仕留めろ」

「それは……!」


 試練の場以外で相手を闇討ちにしようとしたり、毒を盛るといった手段は禁忌だ。試練の間は監視の目が至る所で光っている。隠し通すことは不可能に近く、不正が明るみに出れば待っているのはその家の一族全員が処刑される未来だ。

 だが試練の場では何を使っても、相手を殺しても(とが)められることはない。現に今年も数人の死者や重傷者が出ている。


「レイユ家の未来を絶て。これ以上奴らをのさばらせるな。イオ、お前こそが栄誉の証だ。リューナ家が刃の民の頂点となるのだ」


 薄暗い部屋の中でセクの瞳だけがぎらついている。イオを栄誉の証に仕立て上げようと、彼も己のすべてを投げうってきたのだ。家を背負う者の思いもイオには痛いほど分かる。

 だが、これが本当に正しいやり方なのだろうか。

 少し傷口に入っただけで死に至る強力な毒の調合法もイオは身につけていた。立派な刃の民になりたいと思う心に偽りはない。だが、共に苦難を乗り越え互いに技をぶつけ合ってきた同胞の未来を奪わなければ、目指すものにはたどり着けないのだろうか。


「イオ、刃の民の信条を忘れたか。『心に刃を突き立てよ』」


 それは危険な場所に赴く時、強いものと戦わなければならない時、恐れや不安を拭うための心構えであると同時に、親族や友に刃を向けなければならない状況になった時に己の心を殺し、任務をただ遂行するだけの剣になるための言葉でもある。

 八年前のあの夜、傷を負ってイオのもとに駆け込んできたソルを追い返していたら。魔物の(おとり)をかって出ると言った彼を置いて一人で逃げていたら。イオはすごいねと褒めてくれる彼の言葉に耳を傾けなかったなら――

 無意味な空想に沈みそうになりながら、イオは小さく頷いた。


***


 第二の試練は修練場で行われる。掟により、立ち会うのは試練に挑む二人とは関係のない家の者だけだ。

 対戦相手との会話も禁じられている。いつも朗らかだったソルは、感情を失くしてしまったかのように眉の一つも動かさない。

 イオとソルが少し離れて向かい合ったところで、立会人の声が響いた。


「始めよ!」


 その次には、金属同士がぶつかり合う甲高い音が鳴る。イオは二振りの曲刀を、ソルは刃が輪状になった輪刀を片手ずつに持っている。

 一瞬の気の緩みも許されない。負けることは死にも等しい。

 ソルは一切手を抜いていない。鈍く光る刃はイオの急所を狙いすましてくる。手にした曲刀でそれを防ぐイオの戦況は良いとはいえなかった。

 呼吸をする一瞬の間すら命取りになる中、今がいつでここがどこなのか、それすら曖昧になっていく。相手の攻撃をかわし、繰り出した己の剣の切っ先は紙一重で避けられる。一歩足を踏み出しては下がり、相手の死角をとろうと互いに跳躍を繰り返し、再び音をたてて武器同士がぶつかった。

 イオとソルは年齢は無論、体格も腕力も俊敏性もあらゆるものが拮抗している。勝負の行方を左右するのはほんの僅かな体力か、あるいは集中力の差だ。

 刃越しにソルと目が合った瞬間、イオは左の奥歯を強く噛み合わせ思いきり息を吐いた。


「っ!」


 イオが口内に忍ばせていた針の一撃を食らい、ソルは目を強く閉じ顔を逸した。天才と呼ばれて育ったためか彼は己の体術と武器のみで戦う傾向があり、搦手(からめて)を使いたがらない。だがイオは違う。勝つためならば何でも利用する。

 ソルが怯んだ隙にイオは右手の曲刀で彼の腹を薙ごうとした。しかしソルも状況の理解が早い。身をよじって飛び退き、イオの攻撃はソルの脇腹を浅く切るだけで終わった。

 だがその場はイオのものになりつつあった。ソルも舌を巻く速さの連撃を繰り出し、彼を追い詰めていく。

 意思も感情もないただの刃となり、イオは膝でソルの腹を強く蹴った。言葉にならない声が彼の口から漏れ、よろめきながら後退していった。イオは右の手に持った曲刀を鞘に戻し素早く懐を探る。取り出した短刀の鞘を投げ捨て、柄を逆手に持ちソルへと振りかざした。この小さな刃こそがイオの切り札――たった数滴でも傷口から入ると人を死に至らしめる、己が製法を知る中で最も強力な毒だ。

 少しでもソルの体をこの刃が掠めれば勝負が着く。レイユ家の天才は葬られ、リューナ家のイオが栄誉の証として刃の民の歴史に名を刻む――

 そのはずだった。そうでなければならなかった。毒の染み込んだ短刀を手にしたイオの目に、苦しげに顔を歪める幼馴染の姿が映る。その瞬間、走馬灯のようにイオの頭に流れこんだのは過去の記憶――ソルと共にくぐり抜けた第一の試練、組手の後に地面に寝そべって見上げた空の青さ、君はすごいねと屈託なく笑う顔。

 イオの心に芽生えたほんのわずかな迷いは、短刀を握る手の力を少しだけ緩める。それと同じ時ソルに残されていた闘志が、抗おうとする心が彼の手を動かし、イオが手にした短刀を弾く。

 何が起きたかを理解する前に、イオの左目を焼け付くような痛みが襲う。毒が塗られた短刀を落とし、イオは叫びながらその場に倒れ込んだ。

 意識が段々と遠のいていく中、イオの名を呼ぶソルの悲痛な声が最後まで頭の中で反響し続けていた。


***


 一命を取り留めたイオだったが、毒にやられた左目の視力が戻ることはなかった。

 栄誉の証になることも叶わず、片方の目を失くしたイオに刃の民としての明るい未来はなかった。家族はイオがまるで故人であるかのように、その存在を気にも留めなくなった。

 ソルがイオの元を訪れることもなかった。栄誉の証となった者が、「価値なし」と接することは禁忌といってもいい。

 一瞬にして何もかもを失い、欠けて()びついた刃になってしまった――その事実を否応なく自覚せざるを得なくなった時、イオは誰にも何も言わずに故郷を飛び出した。

 ずっと独りで生きていくのだと思っていた。不思議な力に導かれたかのように、「ごちゃ混ぜ」の彼らと出会うまでは。

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