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ごちゃ混ぜ自警団は八色の虹をかける  作者: 花乃 なたね
二章 騎士団と自警団
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34話 光と影が出会った日

 ――心に刃を突き立てよ 恐れてはならぬ 躊躇(ためら)ってはならぬ

 剣となりて血を(たぎ)らせよ 魂が燃え尽きるその時まで――


 刃の民に生まれた子供は一族に伝わる掟を、心構えを子守歌として育つ。

 イオも決して例に漏れなかった。物心つく頃には既に、自分は刃の民として生まれその使命を全うするために生きるのだと信じて疑っていなかった。

 刃の民の子には成長の過程で、乗り越えなければならない試練がある。一度目の試練は十歳になった子供たちを集めて行われる。短剣一つだけを持たされて山の中に放り出され、七日間を生き延びなければならない、というものだ。山の中には獣の縄張りがあり、運が悪ければ魔物に出くわすかもしれない。これを乗り越えられぬ者には、刃の民として生きる素質はないとみなされる。

 イオは順当に生き残っていた。迎えた最後の日の夜、小さな洞穴の中で焚火を起こし、座ったまま浅い寝息を立てる。

 夜だからといって安心はできない。土を踏むかすかな音を、イオは聞き漏らさなかった。

 飛び起きて短剣を構え洞穴の外、暗闇の中に目を光らせる。弱い獣や魔物なら火を恐れる。近づいてくるようなら焚火を相手に蹴りつけてすぐに逃げなければ……生き延びるための思考が頭の中を飛び交う。

 ゆらり、と影が一つ現れた。今にも飛び出さんとしていたイオは、その形を見て踏みとどまった。

 イオと変わらぬ背丈の、細く、二足で立つ姿――焚火の明かりの元に(さら)される砂色の髪。


「あ、よ、良かったぁ……」


 現れた少年は、今にも消え入りそうな安堵の声を発した。


「お前は……」


 その少年の名をイオは知っていた。レイユ家のソル――実際に話したことはない。だが、優秀な刃の民を何人も輩出したレイユ家の系譜の中でも、抜きんでた有望な才能を持っていると噂になっていた。

 ソルの右腕にはぐるぐると布きれが巻かれていた。濡れたような跡が染みている。出血しているようだ。


「イオ、だよね?」

「なんの用だ」

「ケガしちゃって……一緒にいてもいい?」


 試練を受ける子供たちは皆同じ山の中で過ごす。だが一人ずつ目隠しをされた状態で運ばれ、ばらばらの場所に置かれるので七日間の間に出会えるとは限らない。

 共に過ごすことは禁じられていないが、仮にここでソルを突き放したとしてそれを(とが)められることもない――


「どうしてケガをした」

「さっき別の子に会ったんだけれど、魔物におそわれて……僕が奴を引き付けてる間にその子には逃げてもらって、代わりに僕がやられた」


 照れた様に笑うソルの心がイオには理解できなかった。なぜ他人を顧みる必要があるのだろう。自分さえ生き延びればそれで試練は終わりなのに。

 イオは警戒の態勢を崩した。どうせ残るはこの夜だけだ。話し相手がいれば睡魔に負けずに済むし、生き残る確率は上がる。


「……一緒にいたいならお前も見張りをしろ」

「うん、ありがとう」


 イオの隣に腰を下ろしたソルが、右腕を苦し気に擦る。


「あいたたた……」


 イオは懐に手を伸ばし、ふちがぎざぎざしている緑色の葉を取り出した。ソルに向けてそれを突き出す。


「これ、なんだっけ……」

「メーラの葉だ」

「ああ、そうだ。僕、葉っぱの名前を覚えるのが苦手でさ」


 刃の民として積むべき修行は戦闘技術だけではない。あらゆる局面において己自身の力で生きられるよう、狩りの仕方や薬草の知識も学ぶ。イオは他の子供たちと比べても薬学に長けていた。十歳ではまだ難しいとされる毒の作成も、製法が複雑でないものなら正確な調合を行える。

 君はすごいねと言いながら、ソルは患部に巻かれた布を外すと片手で葉をぎゅっと絞って傷口に汁をすり込んだ。()みるようで、痛みに顔を歪める。


「ほんとにありがとう。ここで会えてよかったよ。一回、君と話してみたかったんだ」


 イオは彼に(いぶか)し気な視線を向けた。イオが生まれたリューナ家は、刃の民の里においてあまりいい立場とはいえない。代々一度目の試練で死んだ子供も多く、生き延びても大して活躍はできぬまま(くすぶ)って生涯を閉じる者ばかりだ。自分と対極にいるソルから興味を持たれるはずなどない。


「馬鹿にするためか?」

「違うよ!」


 夜の山中で大声を出すなど愚の骨頂であることはソルも理解しているらしく、小声ではあったが勢いよく首を振って否定した。


「いつも一生懸命に修行してるところを見ていて、すごいなって思っていたんだよ。僕なんてどうすれば修行せずに遊んでいられるかばっかり考えちゃうからさ。どうやったらそんなに頑張れるんだろうって聞いてみたかったんだ」


 イオからすれば嫌味とも取れるような物言いだった。自分は寝食以外すべての時間を鍛錬にあてているのに、天才と称される目の前の少年は呑気なものだ。イオは彼から顔を背けた。


「俺は強くなりたいだけだ。強い刃の民になりたい、それだけだ」


 立派な刃の民として認められ、家に名誉をもたらす。それがイオにとって唯一の生きる理由だ。強くなれば、厳しい修練を課してくる父親もきっと認めてくれるはずだと信じていた。


「そっかぁ」


 ソルはふわりと微笑んだ。


「イオはやっぱりすごいや。当たり前だよね。それだけ頑張ってるんだもん。薬草のことだってすぐ答えられるし」


 イオが他人から褒められたのはその時が初めてだった。屈託のない笑顔と心からの称賛にどう返せばいいのか、教わったことなどない。

 押し黙ったままのイオの耳に届いたのは、新たな土を踏む音だった。


「何か来るね」


 ソルも感じ取ったようで、ひそひそと(ささや)いてきた。

 イオは一度しまった短剣を再び取り出した。重症でないとはいえ怪我をしているソルでは満足に戦えない。


「イオ……」

「火のそばを離れるな」


 足音はこちらに向かってきている。感覚を研ぎ澄ませ、闇の向こうを探る。先ほど、ソルが近づいてきた時とは音が少し違う。恐らくは四つ足の獣か……魔物。

 やがて足音の他に加わったのは、荒っぽい呼吸の音だった。

 おそらくイオたちの場所は相手にばれている。刃の民の子といえど人間である以上、夜の中では無力だ。火の存在に気づき逃げてくれることを祈るしかなかった。

 しかしその願いは空しく、洞穴の入り口にぎらつく目と長い牙が浮かび上がる。


「……っ!」


 灰色の毛に覆われた、大人が二人ほど余裕で(またが)れるほどの大きさの体。狼のような姿をした魔物は赤々と燃える焚火など気にも留めず、イオとソルに向かって低い唸り声をあげた。

 叫んだり背中を向ければ、その瞬間に喉元を食いちぎられて明日を迎えることなどできない。イオは無言でただ魔物を睨み続けた。目を逸らすことは隙を見せることと同じだ。しかしこれからどうすれば――


「さっき会った魔物だ……」


 ソルの言葉にイオはすっと背筋が寒くなるのを感じた。大人でも倒すのに手間取りそうな魔物相手に、腕に傷を受ける程度で済んでいるのは奇跡に近いだろう。


「ごめん、僕のせいだ。血の匂いをたどってここまで来たんだ……」

「もういい、喋るな」

「イオ、僕が(おとり)になる。その間に逃げるんだ。君だけなら何とか朝まで生きられるだろ」

「どうする気だ。あれ相手にどうやって勝つ」


 前を見据えたまま、イオは唇を動かした。


「分からない。たぶん勝てないと思う」

「ここまで来て死ぬ気か」

「だってそうしなきゃ、僕たち二人とも助からない」


 ぎりり、とイオは奥歯を噛み締めた。試練の始まりから今まで必死に生きてきたのに、ここで死ぬなんて絶対に受け入れられない。

 魔物はイオたちの出方をうかがっているようだった。だが、痺れを切らし襲ってくるまで長くはないだろう。血に飢えているのなら猶更のことだ。

 ソルは本気で囮になるつもりでいる。しかし手負いの彼にどれほど時間が稼げるかは分からない。

 そして何より、躊躇(ためら)いもなく自分の命を投げ出そうとする彼の決意に納得がいかない。


「イオ」

「うるさい!」


 イオは叫ぶと、燃える枝をつかんで魔物の目に投げつけた。魔物が熱さに吠え顔をぶんぶんと振る。その隙にイオはソルの手首をつかみ、彼を引きずるようにして洞穴を飛び出した。


「無理だよイオ、僕のことは置いていって!」

「黙れ、刃の民はこんなところで死なない!」


 その時、イオとソルは揃って体勢を崩した。暗さのため気づかなかったが斜面になっていたようで、為すすべなく転がり落ちていく。

 体が止まったところでイオは身を起こした。幸いにも目立った怪我はない。


「ソル?」


 呼びかけてみたが返事はない。はぐれてしまったようだ。どうにか合流して――


「っ!」


 突如としてイオの体は再び地面に叩き伏せられた。何が起きたのか一瞬理解ができなかったが、視界に映ったのは血走った双眸(そうぼう)とむき出しの牙。先ほどの魔物が早くも追ってきたのだ。

 必死で短剣を抜き、魔物の鼻づらに突き立てる。一瞬の隙をついて逃げ出そうとしたが、まだ未熟なイオの体力は限界に近かった。魔物の太い前足から繰り出される一撃を食らい、どさりと倒れる。

 朦朧(もうろう)とする意識の中、抑え込んでいた死への恐怖に支配されていく。せめて苦しまずに死にたい――

 だが、魔物の牙がイオの体をとらえることはなかった。代わりに聞こえてきたのは(いら)立たし気な唸り声、そして


「ほら、こっちだ!」


 ソルが、血の流れる腕を高々と挙げて叫ぶ。魔物の狙いが切り替わったのを悟ったのか、彼はくるりと背を向けて走り出した。魔物が吠えながらその後を追う。

 魔物の行先へとイオはがむしゃらに駆け出した。考える力はとうに失われている。ただ心が叫ぶままに動くだけだった。

 頼りになるのは月明りだけの中、イオの前に魔物の後ろ姿が見えた。そびえる岩壁に向かい、前足を繰り出したり頭突きをしている。

 おそらくあの向こうにソルがいるのだ。魔物の牙が届かない壁の隙間に入り込んで時間を稼ごうとしている。だがどこまで安全かは分からない。もし魔物が壁を壊してしまったら、もし岩壁が崩れてソルが出入りできる隙間すらも塞がれてしまったら――

 イオは懐を探り、獣の皮で作った手のひらに乗るほどの袋を引っ張り出した。まともな武器もなく非力なイオが魔物に対抗する最後の手段がこの中にある。量は心もとないが、一か八かで立ち向かうしかない。

 袋の口を開け、短剣の刃をその中に浸す。透明な液体に濡れた刃が妖し気に光った。


 ――心に刃を突き立てよ


 恐れも不安も投げ捨てて己を奮い立たせんと叫び、イオは猛然と魔物に向かっていった。地面を蹴って勢いよく飛び、魔物の背中にしがみつく。驚いた魔物が暴れたが、イオは死に物狂いで這うように魔物の首の方へ移動した。手を振り上げ短剣を魔物の首に突き刺す。のけ反るようにもがく魔物の毛をつかんだまま、二度、三度と短剣を突き立てた。

 魔物が喉奥から絞り出すかのような声をあげた。足元がふらふらとおぼつかなくなったかと思うと、その体がどうと地面に倒れた。起き上がろうとしないまま、ひくひくと全身が痙攣(けいれん)している。

 イオは魔物から降り、その顔を見た。まだ生きているが目は虚ろで口から泡を吹いている。立ち上がる気配はない――イオの勝ちだ。


「ソル!」


 イオが岩壁に目を向けると、ソルが隙間から這い出てくるところだった。ぐったりと横たわる魔物を信じられない、という表情で見る。


「イオ……どうやったの?」

「毒を使った」


 もしもの時のためにと、材料をかき集めて調合しておいたものだった。もしも魔物に効かなかった時に自分が辿っていた末路のことを思うとぞっとする。


「イオ、君は本当にすごいよ」


 ため息混じりにソルが言う。腕の怪我のことなど忘れているようだった。


「……お前だってすごいよソル。囮になるなんてなかなかできることじゃない」


 彼が魔物を引き付けてくれなかったなら毒の準備をする間もなかった。これはイオとソル、二人で勝ち取った勝利だ。

 ソルは歯を見せてにこっと笑うと、顔を上げて空を見た。


「見て、夜明けだ」


 夜の闇の端が少しずつ白み始めている。七日間を生き延び、試練を達成した者を労うような優しい光がすぐそこまで来ていた。

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