31話 小さな英雄へ
日光の届かない洞窟を根城にしているためだろうか。その魔物には目がなかった。大樹の幹ほどもある太さの長い体は大蛇のようだが鱗は生えておらず、松明の光を受けて黒い体表が不気味にてらてらと光っている。ぽっかり空いた口は大人も一飲みにしそうだが、牙は見あたらない。
「避けろ!」
イオの声で、ニールは考えるよりも先に魔物の脇へと飛びのいた。ほぼそれと同時に魔物の頭部が少し波打ったかと思うと、口から何かが放たれた。
どろりとした液体が水晶の生えた壁にぶつかる。堅い岩の壁が水晶もろとも泥のように溶けて下へと垂れていく。
この場の岩壁に奇妙に抉られた箇所がいくつもあるのは、この魔物の縄張りであるためだ。
「あれって……」
エンディが息を飲む。魔物の体内で作り出される、頑丈な岩をも崩す物質。武器にかかってしまえば間違いなく使い物にならなくなってしまうだろう。もし少しでも体にかかれば――
「あれに当たるな、体が無くなる!」
イオが再び声を張り上げる。ギーランが戦斧を振り上げて飛び出した。その刃が魔物の体に落ち、中央から真っ二つに両断する。
普通ならどんな生き物でも絶命する一撃、それを受けてなお魔物は息絶えていなかった。変わらず頭をもたげたままで、切り離された胴の半分と尾はゆっくりとのたうっている。
「何だこいつ、気味悪ぃ!」
「斬っても倒せないのか……?」
片手に松明を持ちもう片方の手で剣を構えながら、ニールは魔物からじりじりと距離をとった。
「急所……頭を潰す必要があるかもしれない」
イオがつぶやく。ニールはエンディの方に顔を向けた。
「エンディ、頑張れるか? 頭を狙うんだ!」
「出でよ冥王の僕、断罪の刃を振るえ!」
エンディの魔力が空中で形を成す。魔物の頭上に大鎌を持った手が現れ、その刃が振り下ろされた。魔物の頭に少し食い込んだものの、頭を落とすことなく弾けて消えてしまった。
「ごめん、僕の力だけじゃ駄目だ、固すぎるよ!」
攻撃されたことで気を逆立てた魔物が再び口を開け、紫色の液体を周りに吐き散らし始めた。本体の動きは遅いが、不気味に泡立つそれに阻まれて近づけない。
「頭を落としゃいいんだな?」
「待てギーラン、危険すぎる!」
戦斧を構えるギーランをニールは制止した。彼の一撃がこの魔物に対抗できる唯一の手段だが、守りの魔法に長けたルメリオがこの場にいない以上、迂闊に踏み出すことは死に直結する。
「分が悪い。引き返すか」
イオがニールに問うた。来た道はふさがれていない。狭い道までたどり着けば魔物は追ってこないだろう。しかしニールは頷かなかった。
「アロンが待ってる。あいつと約束したんだ。簡単には諦められない」
イオは小さく息をついたが、一人で逃げ出そうとはしなかった。
彼の推測通り頭に攻撃を叩き込んで倒せればいいが、それでは足りない可能性もある。相手は何でも溶かす強力な武器を持っている。確実に仕留める方法は――燃える松明の炎がニールの目に映った。
「……イオ、松明はいくつ残ってる?」
「二つ」
「失敗はできないな……」
それを聞いたイオは無言でさっと後ろに下がり、予備の松明と火打石を取り出した。ニールの考えを察したらしい。ニールは魔物と睨み合うギーランとエンディに呼びかけた。
「エンディ、俺が合図したら魔物の口を魔法で縛ってくれ。ギーランは俺がいいって言ったら魔物の頭を落とすんだ!」
「分かった!」
「さっさとしろ!」
ニールは自分の剣を鞘に戻し、落ちていた小石を拾い上げた。少し離れたところでイオが松明の準備をしている。魔物の注意が彼に向かないようにしなければならない。
「こっちだ!」
声を張り上げ、小石を魔物に向かい投げつける。口だけしかない頭がニールの方に向いた。
「大将、まだか!」
ギーランが苛立った声をあげる。ニールはイオの方にちらりと目をやった。
「もう少し待ってくれ!」
魔物が吐き出した液体がニールの脇をかすめた。黒い体が波打つ。次の攻撃の準備をしているのだろう。
だが、彼の方が早かった。
「待たせた」
イオが急ぎ足でやって来て、赤々と燃える松明をニールに差し出した。
魔物が口を開ける。そこから溶解液が飛び出す前に、ニールはその松明をぽっかり開いた口めがけて投げつけた。
「食らえっ!」
炎を飲み込んだ魔物の体が激しくうねり出した。声帯がないのか鳴き声をあげることはないが、苦し気だ。
「エンディ!」
「無限の闇に留まりし思念よ、鎖となりて瘴気を封じよ!」
魔法で作られた鎖が空中で螺旋を描きながら、魔物の口にがっちりと絡みついた。
松明を吐き出すことができないまま体内を焼かれ、魔物の動きが鈍くなっていく。今が好機と、ニールはもう一人の仲間に呼びかけた。
「ギーラン、頼む!」
「待たせすぎだ!」
怒鳴り声をあげ、ギーランが鎖を解かれた獰猛な獣のように飛び出す。戦斧の刃の向く先は魔物の頭だ。
すっぱりと首を落とされた魔物が再び動くことはなかった。
念のため剣を抜き、ニールは両断された体に近づいてみたが頭だけで襲ってくるということもない。完全に息絶えたようだった。
「皆、ありがとう。俺たちの勝ちだ」
「歯ごたえのねえ奴だ。でけえだけのミミズだぜ」
「……あ、何か落ちてるよ」
エンディが魔物の体の傍らにしゃがんだ。ニールもそちらに寄ってみると、そこにあったのは黒い塊だった。ギーランの拳くらいあるごつごつした石で、表面は松明の明かりをぼんやり受けて光沢を放っている。
「きっと黒剛石だ」
どうやら魔物が飲み込んでいたらしい。黒剛石に手を伸ばそうとしたニールをイオが制し、取り出した布きれを石の上にさっと被せた。布が溶ける様子はなく、触れても体に影響はないようだった。
「うっかりしてた。イオ、ありがとうな」
強力な溶解液を作る魔物の腹の中にあってなおこれだけの大きさを誇っているのだから、相当に特殊な石なのだろう。ゴルドンも絶対に納得してくれるはずだ。
この場に長居は無用だ。急がなければ松明が底をついてしまう。ニールは布ごと黒剛石を拾い上げ、仲間たちとその場を後にした。
***
宿屋に着く頃には夕方になっていた。王都に残っていたフランシエル、ゼレーナ、ルメリオ、そしてアロンが今か今かとニールたちを待っているところだった。
「皆、お帰り! どうだったの?」
フランシエルがいそいそと駆け寄ってくる。ニールはにっと笑い、持っていた布の包みを解いた。
「じゃじゃーん!」
現れた黒剛石を見て、フランシエルは目を丸くした。
「わー! 見てアロン、すごいよ!」
彼女の呼びかけで、椅子の上に縮こまっていたアロンもとことことニールの元へやって来た。ニールたちの成果に、小さく声を漏らした。
「ほう、また随分と大きなものを……よく見つけられましたね」
感心した様子で言うルメリオにエンディがふふん、と得意げに胸を張って見せた。
「倒した魔物のお腹から出てきたんだ。何でも溶かす液体を吐く大きいミミズ! 皆で強力して倒したんだよ」
それを聞いたゼレーナが顔をしかめた。
未だ呆然としているアロンの肩を、ニールは優しく叩いた。
「アロン、今からこれを持って一緒にゴルドンさんのところに行こう。早い方がいいだろ」
「う、うん!」
アロンがこくこくと頷く。ニールは彼を連れ足早に宿屋を出た。
***
夕暮れ時だったがゴルドンの工房は変わらず開いていた。初めてニールとアロンが訪れたときと同じように、無口な鍛冶師は背を向けて炉の前に立っている。
「ゴルドンさん、こんな時間にごめん」
言いながら、ニールは彼のもとへ近づいた。ゴルドンが炉の中で燃える火からニールたちの方へ視線を移す。
「頼まれていた黒剛石を持ってきた」
ニールが差し出したそれをゴルドンは手で掴み、角度を変えながら眺め表面を指でそっと撫でた。そして再びニールとアロンの方を見た。
「……確かに受け取った。三日後に来い。それまでは邪魔をするな」
これでアロンの相棒が再び元通りになる。ニールは笑顔で頷いた。
「ありがとう、頼むよ。じゃあアロン、三日後に来よう」
「うん……親方、よろしくおねがい、だ」
ゴルドンは何も言わず、再び炉の方に向き直った。
***
そして三日後。ニールはアロンと共に再び鍛冶師の工房の扉をくぐった。作業場にゴルドンの姿が見えない。
「ゴルドンさん! ニールだ、アロンも一緒にいる!」
ニールが声を張ると、少しの間をおいて二階からゴルドンがすたすたと降りてきた。一瞬ニールたちの方に目をやると、近くにあった箱を開けて布の包を取り出し、作業用のテーブルの方へ向かった。
来いと言われているような気がして、ニールはアロンを促しそちらへ歩み寄った。
テーブルの上でゴルドンが布の包みを外す。新品と見まがうほど綺麗に修理されたアロンのクロスボウが姿を現した。
「す、すごい、直ってるぞアロン!」
「うん、なおってる……!」
弓を取り付ける台座や引き金のところは、黒い光沢のある素材でできている。ニールたちが採ってきた黒剛石が使われているのだろう。
二人が呆気にとられている間にゴルドンが更に何かを持ってテーブルへ帰ってきた。矢がぎっしりと入った矢筒だ。
「……釣銭代わりだ。いい黒剛石だった」
どうやら、クロスボウの修理だけではなく矢も作ってくれたらしい。
「ゴルドンさん、本当にありがとう! ほら、アロンもしっかりお礼を言うんだ」
「ありがとう、親方」
ゴルドンの表情は相変わらず読めないままだが、初めて会った時より少しだけアロンに向ける目が優しくなっているようにニールには感じられた。
「親方、あのさ」
「取引は終わりだ。そいつの具合を試してこい」
そう言ってゴルドンはニールたちに背を向け、工房の奥にしゃがみこんで何やら作業を始めた。寡黙な鍛冶師はこれ以上ニールとアロンの相手をする気はないようだった。
***
宿屋に帰ってきたニールとアロンを他の仲間たちが出迎えてくれた。フランシエルとエンディが修理されたクロスボウを見てわっと歓声をあげた。
「すごーいっ! ぴかぴかになってる!」
「何だか、生まれ変わったって感じだね」
「これでアロンも今日から復帰できるな」
にこやかに言ったニールだったが、アロンはクロスボウを抱えて下を向くばかりで、いつもの元気が戻ってきていない。帰り道もずっと同じような様子だった。まだ何か気になることがあるのだろうか。ニールは片膝をつき、彼と目を合わせた。
「どうした、アロン? クロスボウが直って嬉しくないのか?」
アロンはふるふると首を横に振った。
「うれしい。でもさ……」
「うん?」
「おれ、まだニールたちといっしょにいてもいいのか?」
「えっ!? いいに決まってるだろ。どうしてそう思うんだ?」
「父さんが言ってただろ。もしおれがめいわくかけたら、おれ、家に帰らなきゃいけなくなるって」
ああ、とニールは呟いた。そういえば、アロンを連れて行くとなった時にそのようなことを彼の父親からは言われていた。
「迷惑だなんて思ってないさ。これからもアロンと一緒に頑張りたいよ」
「なんで……そんなにやさしいんだよ」
「何でって……俺たち皆、アロンのことが大好きだからだよ」
ニールは笑って、アロンの頭をわしわしと撫でた。
「だから、アロンが落ち込んでたら元気になって欲しいって思うんだ。ただそれだけさ」
アロンがぱちぱちと瞬きをし――やがてその瞳から、ぽろぽろと涙が零れだした。
「ええっ! どうしたんだアロン、俺なにか嫌なこと言ったか?」
「ちがう……言ってない……」
アロンはごしごしと袖で目を擦った。しかし涙は止まる気配がない。
「わかんない……かなしくないのに、泣いちゃうんだ……」
この数日間、小さな体で相棒のいない不安や自分の居場所がなくなるかもしれない恐怖と人知れず戦っていたのだろう。その緊張が一気に解けたようだ。
ぐすぐすと泣き止まないアロンのもとに、ギーランが大股でやって来た。
「坊主、いつまでもベソかくな。せっかく遠出してやったんだぞ」
アロンの体をひょいと持ち上げ肩のところに跨らせる。アロンが大好きなギーランの肩車だ。
急に目線が高くなったアロンはしばらくきょとんとしていたが、やがてその顔に満面の笑みが戻ってきた。
「ありがとう! おれも、みんなのこと大好きだ!」




