30話 「もの」の命
翌朝、ニールら鉱山に出発する仲間たちは早々に準備を整えた。
見送りに立ったアロンは少し元気を取り戻したように見えたが、それでもまだ不安そうだ。ニールは片膝をついてしゃがみ、彼と目線を合わせた。
「じゃあ行ってくるからな。ずっとここにいろとは言わないけど、どこかに出かけるならジュリエナさんかリーサに声をかけてからにしてくれよ。あと、危ないことは絶対にするな。守れるか?」
「……うん」
よし、とニールは微笑んで、アロンの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「俺も必ずゴルドンさんが頼んだものを見つけて帰って来る。男同士の約束だ」
それを聞き、アロンの顔がきりりと引き締まった。
街にはルメリオたちが残ってくれるので心配はいらないだろう。ニールはエンディ、ギーラン、イオを引きつれ宿屋を発った。
***
ゴルドンに言われた通り王都を出て南東に歩き続け山道を登っていき、ニールたちは目的地の鉱山にたどり着いた。すでに日は高く昇っている。
ぽっかりと口を開く洞窟の先には何があるかまったく見えない。来る者を拒んでいるようにも見えた。
「ここだな……」
道中に集めた素材を使って、イオが松明をいくつか作っていた。一本に火を灯しニールに渡す。
「何が出てくるか分からない。皆、気を抜かないでくれ」
ニールは先頭に立ち、暗闇の中へと足を踏み出した。
その後、地面や壁を照らしながらしばらく進んでみたが、黒剛石らしきものはおろか他の鉱石すら見つかる気配がない。
道自体はまっすぐ奥に続いているため迷う心配は今のところないが、目当ての品が見つかるかが問題だ。
「うーん、何もないな……」
「前に読んだ本に載ってたんだけど、黒剛石って珍しい石みたいだよ。それをニールの拳くらいの……ってなると、結構深くまで行かないといけないんじゃないかなぁ」
周りを見回しながらエンディが言った。洞窟内には彼の苦手とする日の光が差し込まないため、今はフードを外している。
「王都からそこまで離れていない場所だ。ここらで目ぼしいものはすべて取りつくされているだろうな」
イオが続いて言う。彼が用意した明かりだけが頼りだ。できるだけ長くもつように作ってくれているしまだ蓄えはあるが、奥に行けば行くほど帰りにかかる時間を考慮しなければならないため、あまり悠長にはしていられない。
「些細なことでもいい。何か見つけたら知らせてくれ」
静かな洞窟の中に、四人の足音だけが響く。現状、魔物に出くわしていないのは幸いだ。
進んでも進んでも同じ光景が続く。そうしているうちに、行き止まりまで来てしまった。突き当りの壁をイオがじっと見つめる。
「イオ、どうした?」
イオは無言でごつごつした洞窟の壁を軽く押し、更に耳を押し当てた。少し経った後、彼は口を開いた。
「この向こうに道がある」
「本当か!?」
ニールの目には今まで通ってきた坑道と同じ壁にしか見えなかったが、イオが言うのであれば間違っていないように思えた。
「じゃあ、ここを壊せば……」
「よし、どいてろお前ら」
ギーランが意気揚々と進み出て戦斧を構え、踏み込むとともに壁に刃を打ち付けた。鈍い音が坑道内に響き渡る。何度か続けるうちに、ぼろぼろと壁が剥がれてきた。
「おらぁっ!」
勢いよく戦斧が振り下ろされ、ついにがらがらと音を立てて完全に壁が崩れた。新たな道がニールたちの目の前に開ける。
松明で先を照らしてみると、透明な六角形の柱のような形の鉱物が天井や壁から突き出ているのが見えた。
「水晶だ!」
エンディが興奮した様子で言った。
「ちょっとだけ持って帰っちゃ駄目かな? 皆へのお土産にもなるし……」
「うーん、荷物にならない程度ならいいか。ギーラン、壊してくれてありがとう」
「さっさと行こうぜ。こんな狭くて暗ぇ場所にいつまでもいたらどうにかなっちまいそうだ」
新しい通路は一列にならないと進めないほど狭く、高さは大男のギーランだと頭を下げてくぐる必要がある。
この先に黒剛石があるかもしれない。明かりを持つニールが最初に、水晶がきらめく道に踏み出した。
「水晶っていいよね。なんかこう……持つ人の心によって善にも悪にも変わる、無機質な純粋さ、みたいな」
「……意味が分からない。ただの鉱物だろう。火打石として使うこともある」
「えー、イオはちょっと現実主義者すぎるよ」
「だーっ、くそ、狭すぎんだろこの道、体が縮んじまう」
道はまだ続いているが、あるのは水晶ばかりで黒剛石の姿はない。
ギーランが悪態をつくのを聞きながら歩き続け、ニールの持つ松明が力尽きそうというところで開けた場所に出た。
ニールの背後でイオが新しい松明に火をつけ、手渡してくれた。
「ありがとう!」
周りを照らしてみると、円形の広場のようになった場所にいることが分かった。壁には水晶がところどころに生え、松明の明かりを受けてきらりと光っている。
上を見たギーランが、「あ?」と声を発した。
「おい、もう夜か?」
「え?」
意味が分からず天井を見上げたニールの目に飛び込んできたのは、無数の星のような光だった。確かに夜空に見える。天井が高いようで、松明の光が届き切らない。
「僕知ってる。洞窟に住む光る虫がいるんだ。天井からぶら下がって、カーテンみたいになるんだって」
エンディが得意げに言った。
「へぇ……すごいな」
幻想的な光景にニールは見入ってしまいそうになったが、目的は黒剛石を探すことだ。それらしきものが壁や地面に埋まっていないか確認してみたが、水晶以外に見つからない。
壁を松明で照らしていたニールはふとあることに気づいた。壁の至る所が、抉れたようになっている。掘られたり崩れているというよりは、溶けているというのが近い。くぼんでいる箇所の下に、溶けて流れ落ち再び固まった壁の残骸が積もっている。
奇妙な壁をニールが注視していると、イオが隣にさっとやって来た。
「……ニール、何かの気配がする」
周辺を照らしたが、仲間以外に生き物の姿は見えない。松明がぱちぱちと爆ぜる小さな音の他には何も聞こえない。
「一体なにが……」
「上か!」
イオが腰の双剣を抜く。ニールが上を照らすと、星のような光る虫たちがゆらりゆらりと揺れていた。
次の瞬間、何かが高速で天井から壁を伝ってニールの目の前にどんと降りてきた。長い体を持つそれは、ニールに向かって大きく口をあけた。
***
蹄鉄がはまった扉には、昨日と同じく鍵はかけられていなかった。
散らばった道具や大きな炉は、本来ならばアロンの好奇心を刺激してやまないはずだ。しかし相棒が手元にない今、それらに手を伸ばそうという気にはなれなかった。それでも宿屋に一人でとどまっているとどうしても落ち着かず、気が紛れそうな場所を求めて訪れたのはここ、ゴルドンの工房だった。
寡黙な鍛冶師ゴルドンは、今日は炉の前ではなく部屋の中央の作業台に向かっていた。アロンが入ってきたことには一切関心を示さず、机の上に置かれたあるものを眺めている。
「それ……」
アロンは作業台の方へ駆け寄った。そこにあったのは、壊れたアロンのクロスボウだった。本体の脇にはゴルドンが用意したものと思しき部品がかためて置いてある。
「もう直してくれるのか……?」
ゴルドンは何も答えず、部品を手に取ってはクロスボウと交互に見てを繰り返している。
「ニールたち、戻ってきてないぞ……?」
黒剛石と引き換えに、クロスボウを直すという約束になっていたはずだ。
「……お前の仲間は、目的を成し遂げられなかったことがあるか」
アロンの方を見ないまま、ゴルドンは静かに行った。
「ない。おれたちにできないことなんてない」
揉め事があっても、強い魔物に出会っても皆で乗り越えてきた。ニールは絶対に黒剛石を手に入れて帰ってきてくれるはずだ。
「……いま完全に直すのは無理だが、やれるところまではやっておく」
ゴルドンもニールが約束を果たすことを信じているのだ。表情はほとんど変わらないが、アロンが心を開くには十分だった。
近くにあった小さな丸椅子を引き寄せて、アロンは彼のそばに座った。それに対しゴルドンは出ていけとも言わず、手元の作業を止めることもしない。
「親方はいいな……おれ、なにか作ろうとしても怒られてばっかりでさ……」
農家に生まれながらアロンが興味を引かれたのは、作物の育ちや価値ではなく、畑を耕す農具や野菜を運ぶ荷車そのものだった。両親の仕事の手伝いを抜け出して納屋にこもり、それらの道具をあれこれいじっては構造を調べ続ける日々を送っていた。
ついに好奇心に逆らえずに農具を解体して使い物にならなくしてしまい、これがなければ生活がままならなくなるのだと、こっぴどく父親に叱られた。どうして他の兄弟姉妹と同じようにできないのだという言葉は、お前はおかしいと言われているようなものだ。いつからか、親も手を焼く子供だと周辺に知れ渡っていたらしい。
大人しく親の言うことを聞いていれば、きっと「良い子」として扱ってもらえるのだろう。だが、アロンはそれに納得できなかった。家業だって大切なことだと分かっていたが、自分にしかできない何かを見つけたかった。
「英雄になったらさ、みんながほめてくれるだろ。わるいやつをやっつけて、みんなを助けたかったんだ」
ある日納屋の奥で埃をかぶったクロスボウを見つけたアロンは、こっそり仕組みを調べ上げた。使えそうなものをあちこちからかき集め、時折訪れる行商人たちの手伝いをして廃材を譲ってもらい、やっとのことで自分の体に合って使いやすいクロスボウを完成させた。
もしも大人に見つかったら、きっと取り上げられてしまう。隠れて矢を的に当てる練習を何度も行った。そうしてある日、村の近くの森に魔物が現れると聞いて単身で討伐に向かい――ニールと出会った。
自分の作ったクロスボウで、困っている人を助けられるのが誇らしかった。仲間たちが頼ってくれるのが嬉しかった。
「このクロスボウ、なによりも大事なんだ。でも、おれがこわしちゃった……」
ものを壊すのは良くないことで、相棒の命を自ら奪ってしまったにも等しい。
これがなければ自分はただの子供に過ぎない。英雄にはほど遠い。自分の力で直すことができないのが悔しい。
しばし、静かな時間が流れた。
「……ものは壊れる」
ゴルドンが呟くように言った。作業をする手は止めていない。
「皿だろうが剣だろうが城だろうが、ものである限りは必ず壊れる。それが定めだ」
「え……?」
「壊れるからこそ見えるものがある。如何様にも生まれ変わらせることができる」
淡々と、しかしゆっくりと彼は言葉を紡ぐ。
「……こいつはよくもった方だ」
「え?」
「もっと早くに壊れていてもおかしくなかった。お前がこいつの面倒をきちんと見ていた何よりの証だ」
ゴルドンはクロスボウの背を指で撫でた。牛飼いが己の牛を愛でてやるときのような動きだった。
「親方……!」
もの作りを生業とする者に、作ったものを褒められた。壊れたことも自然現象のように受け入れてくれた。自分がしてきたことは間違いでなかった――今までに感じたことのない高揚感がアロンの心を満たす。
「これさ、作るのにほとんどお金かけてないんだ。みんなのいらないものとか、拾ったものとかをいっぱい使っててさ。でも、矢はちゃんと飛ぶぞ。これでいっぱい魔物をやっつけたんだ!」
身を乗り出して、アロンは相棒との思い出を語り続けた。ゴルドンはそれに相槌をうつこともなく、ただ手を動かしていた。




