5話 貧民街の魔女
「ニールーっ!」
聞こえてきた声にニールが振り返ると、こちらに向かって走ってくるアロンが見えた。
「アロン、どこ行ってたんだ! 心配したんだぞ」
周囲を探しても通りがかりの者に聞き込みをしてもアロンの行方が分からず、途方に暮れていたところだった。
「ごめん……でも、この姉ちゃんが助けてくれたんだ」
そう言ってアロンが後ろを見やる。そこには灰色のローブを着た女性が立っていた。
「そうだったのか、ありがとう!」
「あなたたちどういう関係か知りませんけど、子供から目を放さないでもらえます?」
女性が冷ややかに言った。フードを被っているため表情がはっきり分からないが、怒らせてしまったのだろうか。
「そ、そうだな。ごめん……」
「ニール、この姉ちゃんすごいんだぜ。火打石を使わないで火をつけられるんだ!」
アロンの言うことがすぐに飲み込めず、ニールは女性の方を見た。女性は心底面倒だと言わんばかりのため息をついた。
「あなたたちには何の関係もないです。もう……これだから子供は嫌いなんですよ」
「と、とにかくありがとう。俺はニール。よかったら名前を教えてくれないか?」
「嫌です。もう二度と会うことはないでしょうから」
ニールもしり込みしてしまう程の刺々しい態度だ。あまり彼女に深入りしない方がいいのかもしれない。
この貧民街からも去った方がいいだろう。アロンに声をかけようとニールが口を開いたその時だった。
「ゼレーナ!」
妙齢の女性が走り寄ってきた。息を切らしている。
「ゼレーナ、あたしの店で魔物が出たんだ。お願い退治して!」
「……案内してください」
少し間をおいて、ゼレーナと呼ばれたローブを着た女性が彼女を促す。進みだした彼女らの後をニールたちも追いかけた。
「何でついて来るんです?」
「俺たちも手伝うよ!」
「間に合ってます」
「魔物がいるのに放っておくことなんてできない!」
ゼレーナが小さくうめきニールから視線を逸らした。彼女に直接、魔物退治の依頼が来るということは彼女には戦いの心得があるらしい。先ほどアロンが言っていた、道具を使わないで火をつけるということと関係があるのだろうか。
魔物が出たという店は、外観は他の建物と変わらず古めかしかった。数人の客と店員らしき者が外に避難している。
店の中は酒場のような場所だった。しかしニールたちが滞在している宿屋に比べると狭く、置いてあるテーブルや椅子にもがたが来ているようだ。
その中を、我が物顔で三匹ほどの魔物が歩き回っていた。長くつるりとした尾を持ったネズミのような姿をしているが、大きさはアロンほどもある。
ニールは剣を抜いた。アロンも矢をこめたクロスボウを構えた。しかしゼレーナは片手でそれを制した。
「こんな程度、わたし一人で十分です」
ゼレーナの右手の平が天に向けられる。そのすぐ上で何かがぱちぱちと音を立てた。白いもやのようなものが渦を巻いている。
何かを察したのか魔物たちの目がゼレーナの方に向けられた。その瞬間、魔物の一匹が悲鳴を上げ、その場にどさりとくずおれた。
氷でできた矢が、魔物の喉を貫いている。
「うわ……」
ニールとアロンが武器を持ったまま呆然と立ち尽くす間に氷の矢がさらに飛び、残り二匹の魔物はなすすべもなく床に転がった。
「はい、死にましたね」
何の感情もこめずゼレーナが言った。彼女が行ったのは「魔法」と呼ばれるものだ。ニールが魔法を使う人間を目にするのは初めてのことだった。騎士団に入ればそういった者と接する機会もあるだろうと思っていたが、まさかここで会えるとは予想していなかった。
外に避難していた人が店の中に戻ってきた。床に転がった魔物とゼレーナを交互に見て、不気味なものを見るような表情を浮かべる。
「……後始末までは面倒見ませんから」
ゼレーナは助けを求めてきた女性に告げると、そのまま早足で店を出ていった。
「あっ、待ってくれ!」
ニールもその後を追い、店を飛び出した。
「ゼレーナ!」
ニールが呼び止めると、ゼレーナは無言で振り向いた。
「名前はゼレーナでいいんだよな?」
「……まだ何か用ですか。片付けまでは手伝いませんと言ったはずですが」
「いや、そうじゃなくて」
「ゼレーナはほんとにすごいんだな! 火だけじゃなくて、氷も出せるんだ!」
アロンがきらきらとした目で言った。
「それはどうも。見世物でやってるわけじゃないですけど」
ゼレーナは立ち去りたくてたまらない、という雰囲気を醸し出している。ニールは急いで言葉を続けた。
「ゼレーナは魔法が使えるんだな。いつもああやって皆のことを守っているのか?」
「……さっきから何ですかあなた。言いたいことがあるならさっさとしてくれます? わたしも暇じゃないので」
「ごめん、俺が言いたいのは……俺たちの仲間になってくれないか?」
「は?」
魔物退治をして人々を守る同志であり、魔法を自在に操る彼女が共に行動してくれるなら心強い、そう思ってのことだった。
「おれたちは英雄になるために魔物と戦ってるんだぜ!」
アロンが得意げに胸を張った。
「この王都に住む皆が安心して暮らせるようにしたいんだ。協力してくれたら嬉しいんだけど……」
しかし、ゼレーナは変わらず冷たい視線をニールたちに投げかけるだけだった。
「嫌です。くだらない。あなたたちで勝手にやっててください」
ぷい、と踵を返しゼレーナはその場を去っていった。
「……やっぱり、そう簡単にはいかないか」
彼女の背中を見送りながらニールは呟いた。
先ほどの戦いぶりを見ても、ゼレーナは魔物の相手に慣れているように感じられた。この辺りに住む人々には頼られているようにも見えた。だが、彼女は人と関わることがあまり好きではないようだ。
「ニール、追いかけなくていいのか?」
「ああ。あまりしつこくして困らせるわけにはいかないからな」
さて、とニールは店の方に向き直った。
「さっきは何もできなかったし、せめて片付けくらいは手伝おう」
店の中に戻ると、先ほど助けを求めてやってきた女性がニールたちを不思議そうに見た。
「後始末、手伝わせてくれ」
「いいの? ありがとう」
魔物の死骸を布袋に詰め込んでいく。血痕はほとんど飛び散っていなかった。ゼレーナがうまく仕留めたおかげだろう。
手を動かしながら、ニールは女性に問うた。
「ゼレーナとは知り合いなのか?」
「一応ね」
女性が答えた。
「あの子もこの辺りに住んでるのか?」
「うん。普段は占い師をしてる。でも、魔物が出た時は来てくれて、やっつけてくれるんだよ」
「……あいつに深く関わるのはやめとけ。機嫌を損ねたら何をされるか分かんねえぞ」
店の隅に座っていた男が口を挟んだ。木でできた杯を手にしている。この店の常連客のようだ。
それを聞いた女が、腰に手を当てて男を睨んだ。
「ちょっと、そんなことを言うもんじゃないよ。ゼレーナがいなかったらこの辺はとっくに怪我人と死人だらけになってるよ」
「……あいつは魔女だぜ」
男は目を逸らし、杯に口をつけた。
ニールはてっきりゼレーナは英雄扱いされているものと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。思い出してみれば、魔物を撃退した彼女を見てこの男は苦い顔をしていた。
武器がなくとも人を傷つけることができる魔法を使うゼレーナは、恐れの対象にもなっているのだろう。
「あの子は人に乱暴する子じゃないよ。一人でいるのが好きなだけ」
「ああ。俺もそう思うよ」
ニールは女性に向かって言い、魔物の死骸を詰めた袋をかついだ。
「これは遠い場所に捨ててくる」
「ありがと。今日会ったばっかりなのに悪いね。お兄さんたち、良い人だ」
女性に見送られ、ニールとアロンはその場を後にした。