12話 どちらでもないということ
「フラン、鏡とにらめっこなんかしてどうしたの?」
フランシエルが振り向くと、母シルヴァーナが玄関に立っているのが見えた。
シルヴァーナはゆっくりと部屋の中央まで歩いてきて置いてある椅子に腰かけ、娘の方へ両腕を広げた。
「おいで」
フランシエルは手鏡を机の上に置いて、母のもとへとことこと向かった。五歳になったばかりの小さな体を、シルヴァーナは優しく抱いて膝の上に乗せた。
「おかあさん」
母の顔を見上げ、フランシエルは言った。
「あたし、おかあさんの子どもじゃないの?」
「まあ、どうしてそんなことを言うの。フランは間違いなくわたしの子よ」
シルヴァーナが優しく頭を撫でたが、フランシエルの気分は晴れないままだった。
「ほかの子はみんな、もっとウロコがあるのに、あたしにはちょっとしかない」
服の袖をめくると白い鱗が現れる。他の子供たちやシルヴァーナには、目元、首筋にも鱗が生えているが、フランシエルの鱗は腕と足首にしかない。
「いつまでたっても、ツノもはえてこないの」
見上げた母の頭には一対の白い角がある。見れば見るほど、彼女にも周りの誰にも自分は似ていなかった。
「どうしてあたしは、みんなといっしょじゃないの?」
シルヴァーナはすぐに答えなかったが、やがてフランシエルと視線を合わせ口を開いた。
「それはね……あなたのお父さんが、『人間』だからなの」
「にんげん……?」
聞いたことのない言葉に、幼いフランシエルは首を傾げた。
「人間はここからずっと遠いところに住んでいて、角も鱗もないの。フランの半分は人間なのよ」
「あたし、人間に会いたい。おとうさんはどこにいるの?」
父の顔をフランシエルは知らない。生まれた時から、傍には母しかいなかった。
「お父さんはどこかで生きているわ。いつか会える。三人で、楽しく過ごせる日がきっと来る」
歌うように言って、シルヴァーナは目を細めた。
「あの人は……グレイルはきっと驚くわ」
そう呟いて愛おし気にもう一度、フランシエルの亜麻色の髪を撫でた。
***
夜更け、ニールは宿屋の廊下にかすかに響いた足音で目が覚めた。
部屋の入り口に目をやると、わずかに開いた扉の隙間から廊下を横切る人影が見えた。フランシエルだ。
手洗いにでも行ったのだろう、とニールは再び目を閉じたが、しばらく経っても足音が上ってこない。
何かあったのだろうか。ニールは隣の寝台に眠っているアロンを起こさないように、火を灯した小さな燭台を持って静かに部屋を出た。
フランシエルは一階にいた。客用の椅子に座り、テーブルの上に置かれた細いろうそくと向き合っている。
「フラン?」
ニールが呼びかけると、彼女ははっと振り向いた。
「え、ニール、どうしたの?」
「さっき目が覚めたときに、フランが廊下を歩いていくのが見えてさ。なかなか戻ってこないから具合でも悪いのかと思ったんだ。大丈夫か?」
「そうなの。心配かけてごめん、全然どこも悪くないよ」
ニールはフランシエルの隣の椅子に腰かけ、手持ちの燭台をテーブルの上に置いた。
「怖い夢でも見たのか?」
「違うよ。あたしそんなので眠れなくなるほど子供じゃないもん」
フランシエルがむくれた表情を見せる。悪い、とニールは笑った。
「不安なことがあって、話して楽になるなら聞くぞ」
ニールも時々、故郷の村を思い出し恋しくなる時がある。フランシエルがそのような気持ちを抱えていても何ら不思議ではない。彼女の気持ちが少しは理解できるはずだ。
「ありがと……不安っていうわけじゃないんだけどね。なんか色々思い出しちゃって」
「元いたところに帰りたくなったか?」
「ううん、それはあんまり思わないかな。むしろ今の方が楽しいかも」
フランシエルは一旦言葉をきり、続けた。
「……あたし、半分は人間でしょ? だから、竜人族の中ではどうしても浮いちゃってたの。表立って虐められたことはあんまりないけど、やっぱり周りの子はどこかあたしを避けてた。お母さんがいた時はそんなに寂しくなかったけど、死んじゃってからは本当に独りぼっちになってた。お父さんには会いたかったけれど、探しようがなかったし……」
ニールは黙って、彼女が話し終わるのを待った。
「もしかしたら人間の国でなら楽しく暮らせるかもって思って、一人でも戦えるくらい頑張って強くなって、ここまで来たんだけど……昨日フェリクさんから、女の人が戦うっていうのは例外だって聞いて……やっぱりここでもあたしは馴染めないのかなって思ったの」
明るく話そうとしているようだが、フランシエルの声の調子はどんどん落ちてしまっている。
「あたし、人間でも竜人族でも、どっちでもないんだよね。どっちも半分ずつしか持ってない。あたしはこれからもずっと半分だけで生きていくしかないのかなって思うと……なんだかもやもやするの」
「そっか……」
ニールは異なる種族の血を引いているわけでもなく、女として生きる者の気持ちがすべて理解できるとも言い難い。それでもなんとかフランシエルを励ましたかった。
「確かに『どっちでもない』って言い方もできるけどさ、『どっちでもある』って考え方もできないか?」
「え……?」
「フランは竜人族と人間、両方を半分ずつも持ってるんだ。きっとそれぞれの良さとか、気持ちを両方とも同じくらい理解できる。それはフランにしかできないことだと俺は思う」
「そう……かな……」
フランシエルは目を瞬かせ、少し考え込むような素振りを見せた後、顔を上げた。
「人間の街は整備されてて綺麗だと思うけど……竜人族の家は山の中にあって、空気がおいしくて、色んなところを登ったりくぐったりして遊べて楽しかった」
先ほどより、表情が明るくなってきた。
「いいな、それ。アロンが喜びそうだ」
「あと、お祭りのときには男のひとが集まって、取っ組み合いして誰が一番強いか決めるの。ギーランなら一等賞をとれるかも」
「へぇ……女のひとは何をするんだ?」
「お祭りでは綺麗な服を着て踊るの。でも竜人族は、女のひとでも戦うのが上手なんだよ」
「はは、ルメリオが竜人族の女のひとに会ったらどうなるんだろうな」
「この辺りにはないような植物がいっぱいあるから、イオも興味持ってくれそう。竜人族に魔法が使えるひとはいないから、ゼレーナはすごく珍しがられると思うな。あ、そうだ!」
フランシエルは身を乗り出した。
「竜! あたしたちは竜に乗って空を飛んでどこにでも行くの。とっても速いんだよ!」
「すごいじゃないか! エンディが大興奮しそうだ」
話しているうちに、フランシエルにはすっかり笑顔が戻っていた。
「今フランの話を聞いて、竜人族にすごく興味が持てたよ。俺もフランの故郷に行ってみたい」
「うん。いつか皆を連れて行ってあげたいな……戦争なんてなくなればいいのに」
「……そうだな。あと……戦う女の子っていうのは確かに珍しいけどさ。俺はフランのことすごく頼りにしてるし、かっこいいと思うぞ」
「……ほんと?」
「ああ。本当だ」
「えへへ。ありがとうニール。とっても嬉しい」
「良かった。すっかりいつものフランだな」
ニールは手を伸ばし、たまにアロンやエンディにしてやるように彼女の頭を撫でた。
「ニール、あたしのこと子供扱いしてるよね」
笑顔から一転、少し不満気な表情だ。
「あたしたち三歳しか違わないのに」
「三つも下じゃないか。妹みたいなものだ」
「むぅ……」
くるくる変わるフランシエルの表情は、見ていて飽きない。
「さて、落ち着いたならそろそろ寝よう」
「……うん。ニール、明日も頑張ろうね」
「ああ」
ニールが頷くと、フランシエルはまた快活な笑顔を見せてくれた。




