1話 王都で噂の自警団
王都の城や市場のある区域から離れたところは、そう裕福ではない者たちの住まう場所だ。優秀な騎士を数多く抱えているはずの王都にいても、絶対に安全とは言い切れない。
今日も、とある街角に人々の慌てふためく声が響いていた。
「魔物だ!」
「女と子供は建物の中へ!」
どこから入り込んできたのか、魔物が十匹ほど群れをなして我が物顔で道を歩いている。怯える人々に牙を見せてうなり、誰かが放り出した荷物を漁る。
小さな子供が転び、甲高い声で泣き始めた。魔物のぎらつく目が一斉にそちらに向く。
母親が身を挺して飛び出そうとした刹那、風を切り飛んできた矢が魔物の一匹の体に突き刺さった。不運な魔物が叫び声をあげ、他の魔物たちの注意がそれた。
その好機を、彼らは見逃さなかった。
「おらぁ!」
戦斧を振り、魔物を薙ぎ払ったのは力自慢のギーラン。その横をすり抜け、敵の急所を適格に狙っていくのはイオだ。
「それっ!」
後方からアロンが矢を放ち、魔物たちの足止めをする。運よくそれをかわした魔物を捕らえたのは、エンディが魔法で作り出した影のような無数の手だ。
「闇の王の眷属たちよ、我が呼び声に応えその力を示せ!」
「雑魚はとっとと死んでください」
魔法の手に押さえつけられた魔物に向かい、ゼレーナが魔法球を掲げる。氷の矢が瞬く間にその体を貫いた。
我を忘れた別の魔物が恐怖でその場にへたり込んでいた女性に飛び掛かろうとしたが、それを弾いたのは魔法の壁だ。ルメリオが女性と魔物の間に割って入った。
「女性に牙をむくなど言語道断!」
繰り広げられる戦闘の間をぬってニールは子供のもとへ駆け寄り、小さな体を抱きかかえた。
「さあ、もう大丈夫だ」
その時、背後で魔物の唸り声が響いた。振り向いたニールと一匹の魔物の視線があう。ニールめがけて跳躍した魔物を斬り伏せたのはフランシエルの一撃だった。
「フラン、ありがとう!」
「このくらい余裕!」
フランシエルが笑みを浮かべる。生き残っている魔物はもう一匹もいなかった。
「やったー!」
アロンとエンディが喜び、お互いの両手をぱちんと合わせる。次にアロンはギーランの方へ両手を伸ばした。
「おっさんも!」
「俺はやらねぇ」
「いいから手だせ! はーやーく!」
渋々突き出された大きな手に、アロンは自分の両手を軽く打ち付けて楽しそうに笑った。
「坊や!」
ニールが助けた子供の母親が走り寄って来る。ニールは腕に抱いた子供を彼女の方へ渡した。
「何とお礼を言えばいいか……本当にありがとうございます」
「気にしないでくれ、怪我がなくて良かったよ」
「やっぱり自警団さんは頼りになるな!」
「あの眼帯の彼、すっごく素敵!」
周りにいた人々が口々に言う。
自警団の結成から数か月経つ。徐々に王都の人々も顔を覚えてくれ、頼られることも増えた。魔物の被害に苦しむ人々を救えることは喜ばしい。しかし、これで満足していてはいけない。どこで何が起きるか分からないのだ。
「何かあったらすぐに呼んでくれ。それじゃ皆、行くぞ!」
仲間たちに声をかけ、ニールはその場を後にした……一人を除いて。
「ああ、なんと可憐な方なのでしょう。その澄んだ瞳を恐怖に染めるなら、人だろうと魔物だろうと私が許すものですか」
先ほど自分が助けた女性の手指を握りしめ、ルメリオは情熱的な言葉を並べ立てている。
「貴女が怯えることのないよう、全身全霊でお守り致します。わたしは貴女だけの騎士でぇああっ!」
突然ルメリオの声が裏返った。首筋に、ゼレーナが魔法で作った氷の塊が押し当てられている。
「いい加減にしなさいこの節操無し。早く来ないと置いていきますよ」
ゼレーナが冷ややかに言い捨て、背を向けてさっさと歩きだした。
「ふふ、どうやら私の女王様が妬いておられるようです……それでは麗しのお嬢さん、またいずれ」
女性に向かい片目を瞑って微笑みかけ、ルメリオは先を行く仲間たちの後を追った。
***
魔物騒ぎを片付け大通りに出たニールたちが目にしたのは、道をはさんで集まる人だかりだった。
「なんだ? 何か始まるのか?」
ニールの呟きに、近くにいた男が答えてくれた。
「騎士団の剣士隊の隊長さんが、戦況の報告に戻ってきたらしいんだ」
イルバニア王国騎士団剣士隊は、ニールが仲間入りを志した部隊だ。
前線で戦う勇敢な剣士たちを率いる隊長――ニールも幾度となくその人物を想像してきた。
「戦争に勝ったわけでもないのにこの人だかりって……騎士団はいつから芸人の集まりになったんです?」
眉間にしわを寄せ、ゼレーナが言った。その反面エンディは嬉しそうだ。
「剣士隊の隊長、ベルモンド・ヴァンゲント様は、傭兵から騎士団長へ昇りつめたすごい方なんだよ。王都の人ならみんな憧れる英雄なんだ」
「傭兵から……」
ニールが騎士団入りを許されなかったのは、身分不相応という理由だった。なのに今の剣士隊の長は、かつての無名の傭兵。一体、どれほどの実力の持ち主なのだろう。
アロンもこれからやって来るという騎士団一行を見ようと、懸命に背伸びしたりその場でぴょんぴょんと跳ねている。
「うー、見えないぞ。おっさん、肩貸してくれ!」
「ああ? ……ったく、見たらすぐ降りろよ」
ギーランに肩車をしてもらったアロンが、彼の頭をむぎゅっと押さえて身を乗り出した。
「なんかいっぱい来たぞ!」
人々がわっと色めき立つ。やがて、黒い馬に跨った男が姿を現した。その後ろを、数十人の騎士たちが歩いてついてきている。
剣士隊隊長のベルモンドは、まさしく絵に描いたかのような騎士だった。短く切りそろえられた赤褐色の髪と髭、そして瞳は狼のように鋭い。顔にしわが刻まれるほどの年齢だが、衰えは少しも感じさせない。がっしりとした体躯を覆う銀色の鎧は、太陽の光を受けて鈍く光っている。
腰に下げられた剣は、ニールでは操るのに難儀しそうなほど大きかった。
鮮やかな赤黄色の外套が、風を受けてはためいた。
「ベルモンド様!」
「王国に勝利を!」
民が口々に声を上げる。ベルモンドはそれに応じることなく、手綱を握り前だけを見ていた。
「すげー、かっこいー! おーい、おーい!」
興奮したアロンが、彼に向かって一心不乱に手を振る。
不意に、馬上のベルモンドが顔を動かした。騒ぐアロンに注意をひかれたのかと思ったが、彼の瞳がとらえたのはニールだった。
(……!)
気のせいだったのかもしれない。だが、確かに目が合ったようにニールには思えた。全身の血の流れが急に速くなったかのように感じる。放つ威厳は、ベルモンドが歴戦の猛者であることを物語っていた。ニールの比ではないほど彼は強い。身分や血統を重んじる騎士団の常識を覆し、自らが隊長におさまるほどに。
まもなくベルモンドは再び進行方向を見据え、ニールたちの前を横切っていった。彼に率いられる騎士たちの最後尾が通り過ぎ、群衆が解散を始める頃になってもニールは黙ってベルモンドが向かっていった方を見つめていた。
「なぁなぁ、あの騎士のおっさん、おれのこと見たよなっ! おれが英雄だってわかったんだな!」
「うるせぇ、俺の頭で騒ぐな。おらさっさと降りやがれ」
「すごく強そうな人だったね……」
フランシエルがため息まじりに言った。
「ああ、そうだな……」
小さな声で、ニールは答えた。
彼のもとで働くことができたなら、彼のようになれたなら――そう思わずにはいられなかった。




