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21話 弓術士隊長ユーリウス

 それは決してニールの見間違いではなかった。フランシエルの手首から肘の関節までを覆う純白の鱗は、描かれたものでも装飾品でもなく、彼女の体の一部だった。

 フランシエルがニールにつかまれたままの腕をわずかに動かしたのを感じ、ニールは現実に引き戻された。


「ルメリオ、とにかく傷の手当をするんだ」


 ニールに声をかけられ、それまで同じく呆然としていたルメリオもはっと我に返った。


「私としたことがとんだ失礼を」


 ルメリオが治癒魔法を使用すると、フランシエルの怪我はすっかり治った。血の跡は洗えばとれるだろう。ニールは彼女の手を放した。


「……ありがとう」


 小さな声でフランシエルは礼を述べ、気まずそうに顔を背けた。

 何から聞けばいいものか――ニールとルメリオが困惑していると、その様子を不思議に思ったらしいゼレーナが後ろから声をかけてきた。


「どうしたんですかニール、何か問題でも?」

「ああ、いや……」


 口ごもるニールからフランシエルの方へ視線を移したエンディが、ひっと息を飲んだ。


「フラン、それ……竜人族の……?」


 フランシエルの肩がびくっと跳ねた。ニールも驚いてエンディの方を見た。


「竜人族って……」

「僕たち……イルバニア王国と戦争中の、異種族だよ」


 多くの騎士が、竜人族との戦争のために戦地へと赴いている――ニールが王都に来たばかりの時、居合わせた民から聞いた話だ。実際に、ニールがその姿を見ることは今までなかった。

 いま目の前にいるのは、王国が、騎士団が敵とみなす者だ。


「ごめん……隠しててごめんなさい!」


 泣きそうな声で謝り頭を下げるフランシエルを、ニールは慌ててなだめた。


「落ち着いてくれ……フランは本当に竜人族なのか?」


 フランシエルは顔を上げ、呟くように答えた。


「……半分だけ」

「半分?」


 そうか、とエンディが声をあげた。


「僕、本物の竜人族には会ったことないけれど、角が生えてて首とか顔にも鱗があるって聞いた。フランは純血の竜人族じゃないんだ」

「そう、お父さんが人間で、お母さんが竜人族」


 服などで隠せる部分にしか鱗がないため、それさえ見えなければフランシエルは普通の人間と何ら変わりない。少々浮世離れしている面があったとはいえ、まさか竜人族とは誰も予想していなかったことだ。


「じゃあフランは、竜人族の国から来たのか?」

「……うん」


 でも、と彼女は続けた。


「信じてもらえないかもしれないけど、あたし戦争にはまったく参加してないの! あたしが勝手に飛び出してきたの。人間たちのことを知りたくて……」

「人間のことを?」

「お父さんは、あたしが生まれたときにはいなくて……お母さんもあたしが子供の時に死んじゃったの。ずっと、人間ってどういうものなのか気になってて、どうしても自分の目で見てみたくなって、旅に出ることにしたの。もしかしたら、どこかでお父さんに会えるかもしれないし……」


 彼女の目的を知れば、あらゆるものを興味深そうに眺めていた様子も納得がいく。

 でも、とフランシエルは目を伏せた。


「いくらあたしの半分が人間でも、戦争してる国のひとと一緒にいるなんて嫌だよね。皆と過ごせて楽しかったけど、今日でお別れ……」

「えっ、そんなのいやだぞ!」


 アロンがフランシエルの服の裾をぎゅっとつかんだ。


「せっかく友達になれたのに、さよならなんていやだ!」

「ああ、そうだな」


 ニールは頷いた。


「フランは俺たちの仲間だ。竜人族だとか、そんなことは関係ないよ」


 フランシエルの正体を知り戸惑っていたルメリオも、そうですねと同意した。


「たった一人で未知の世界を旅しようとする勇気は、そう持てるものではありません。強い貴女のお傍にいられるなら大変光栄なことです」

「あたし……」


 フランシエルの言葉を遮ったのは、ニールの聞いたことがない声だった。


「へーぇ、すごいこと聞いちゃったなぁ」


 イオがさっと剣を構えた。

 土を踏む音と共に姿を現したのは、十代半ばほどの少年だった。金髪が腰まで伸びており、体の華奢(きゃしゃ)さが相まって少女と見まがいそうだ。薄手のシャツとズボンの上に革の鎧をつけて、その上から羽織っている白い外套(がいとう)は質の良いものだというのがニールにも一目でわかった。腰には矢筒を下げて、弓を手にしている。

 少年の後ろには男が一人、控えていた。少年と似た格好をしているがギーランと同じくらいの背丈があり屈強そうに見える。


「なんで……」


 エンディが震える声で言った。先ほどのフランシエルが竜人族だと分かった時より、もっと驚いている。


「エンディ、あの人を知っているのか?」

「……王国騎士団、弓術士隊長のユーリウス・フェルトハイデ様」

「なんだって!?」


 王国の騎士団は魔術師隊、剣士隊、弓術士隊の三つに分かれており、それぞれの隊をまとめる役割が隊長だ。

 ニールもその存在こそ知っていたが、まさか自分よりも年下にしか見えない少年がその隊長であるとは予想外だった。


「自己紹介の手間が省けたね」


 ユーリウスの瞳がフランシエルを捉えた。


「じゃあ早速。そこの竜人族の身柄をこちらに渡してもらおうかな」


 フランシエルの顔が引きつった。ニールは彼女を背にかばい、ユーリウスを正面に見据えた。


「待ってくれ……待ってください。フランは、この子の半分は人間です。俺たちと同じなんです。それに、戦争には関与してないって言ってます」

「だから何? 竜人族なのは間違いないでしょ? だったら王国にとっては敵だよ。騎士である僕には、敵を排除するっていう義務がある。分かる?」


 顔色をまったく変えず、淡々とユーリウスは告げた。少年とは思えぬ貫禄だ。


「……フランをどうする気ですか」

「戦争に関与してないなんて口ではいくらでも言える。でも本当かどうか分からないからね。喋らせる手段ならいくらでもある。悪いけど、命の保証はできないな」

「女性にそのような狼藉(ろうぜき)を働こうなど、許せません」


 ルメリオが一歩前に進み出た。そうだ、とアロンが続く。


「フランは友達だ! ケガさせるなんてぜったいだめだ!」

「んん、君たち一体誰なのかと思ったら……なんか噂になってる自警団とかいうやつか」


 ユーリウスはニールたちの顔を順番に見て、小さく息をついた。


「あのね、僕は騎士なんだ。王国を背負ってるんだよ。君たちとは違う。敵国の者が王国内にいるのをそう簡単に見過ごすわけにはいかないよ。それに、その竜人族の言うことがどこまで信じられる? 君たちを騙していないという証拠がどこにある?」

「それは……出せる証拠はどこにもないです。だけど、フランは絶対に俺たちを騙したり裏切ったりはしない」

「それでは通らないね……そこまで食い下がるなら、敵をかくまった罪で君たちも捕らえないといけなくなるよ。子供だろうと例外なくね。王国の人全員の命と君たち全員の命、どっちが重いかなんて分かるだろ?」

「やめて!」


 それまでニールの後ろで黙っていたフランが声をあげた。


「あなたの言う通りにする。何でも言うことを聞く。だからこの人たちにはひどいことをしないで!」


 ユーリウスの前に進み出ようとするフランシエルを、ニールとルメリオが制した。


「フラン!」

「フランさん、いけません」

「……騎士隊長だか何だか知りませんが、黙って聞いてればずいぶんと生意気な物言いですね」


 事の成り行きを見守っていたゼレーナがユーリウスを睨みつけた。


「彼女に、わたしたち全員を騙すなんて小賢しいことはできません。人を欺く才能がない女の子を一人だけ敵国に送り込むような間抜けばかりの種族相手に、貴方たちは長々と戦争をしているんですか? だとしたら騎士団はとんだ無能集団ですね」

「貴様!」


 ユーリウスの後ろにいた男が初めて声を発した。しかし、ユーリウスは片手でそれをなだめた。


「君たちは随分と強気だけど、騎士隊の隊長が部下を一人だけ連れてこんなところをうろついてるのをおかしいとは思わないの? 例えば周りにもっとたくさんの部下を控えさせてるとは考えないわけ?」

「おう、なら今そいつら全員ここに呼べよ。まとめて相手してやらぁ」

「よせ。はったりだ。お前たち以外に人の気配を感じない」


 ギーランとイオがまったく動じずに言い放つ。ユーリウスは眉根を寄せた。


「……へえ、自警団といってもそれなりの実力はあるってことか」

「ユーリウス様」


 ニールはその名前を呼んだ。少年であっても、騎士隊の長を務めている以上は敬意を持って接する必要がある。


「フランは俺たちの仲間です。人間のことを理解しようとしてくれています。絶対に、敵じゃありません」


 ユーリウスはすぐに答えず、しばし沈黙が流れた。側近の男が何かを訴えかけるような目で彼を見ると、ユーリウスはふっと息を吐いた。


「脅かしもはったりも通じないとなると、ちょっぴり分が悪いかもなぁ」


 困ったなあ、と言いながらも、楽しそうに微笑んでいる。


「……よし分かった。ここは僕が退こう。今日は、お互いに会わなかったことにする。いま見たことを僕は誰にも言わない、君たちも誰にも言わない、それでどう?」

「……信用するのか」


 警戒の態勢を崩さないまま、イオがニールに問うた。


「騎士なら、ずるいことは絶対にしない。ユーリウス様を信じます。俺たちも今日のことは絶対に誰にも言いません」

「弓術士隊長の名誉にかけて、約束を守ろう。ただし……」


 ユーリウスは、フランシエルの方をもう一度見た。


「もしも二度目があったなら、同じようにするとは限らないよ。他の騎士やお偉方にばれた時も僕は君たちのことをかばわない。せいぜい、見つからないように頑張ってね」


 ニールが頷くと、ユーリウスは大きく伸びをした。


「あー、冷たい飲み物が欲しくなってきたな。ロイド、そろそろ帰ろっか」


 くるりと(きびす)を返し、弓術士隊長は木々の間に消えていく。ロイドと呼ばれた側近の男はニールたちに念を押すような視線を送った後、ユーリウスの後を追って姿を消した。

 彼らの姿が完全に見えなくなってから、ニールは大きく息を吐きだした。


「行ってくれた……」


 体の力がどっと抜ける。その場に崩れ落ちるのだけは何とかこらえた。


「何なんですか、あの人を舐めた態度は。あれが騎士隊長ってこの国は大丈夫なんですか?」


 ゼレーナがぶつぶつ言いながら腕組みをした。


「ユーリウス様は小さい頃から弓矢の扱いが大人より上手くて、最年少で隊長になったすごい方なんだよ……じっとしてるのが苦手で、勝手にあちこち出かけるのが癖だって聞いたことがあるけれど」


 エンディが言った。ここでユーリウスと出会ったのは運が悪かったが、フランシエルの正体がばれたのが彼と部下ひとりだけなのは救いだ。


「……そうだ、フラン、大丈夫か?」


 ニールはフランシエルの方を振り返った。上衣の裾をぎゅっとつかみ、放心状態だ。


「……うん、あの、大丈夫」

「恐ろしかったでしょう……まったく、女性を脅すなんてどうかしていますよ」

「……怖かったのは、皆の方でしょ? あたしのせいで、こんなことに巻き込まれて……」


 どんどん涙声になっていく。


「本当にごめんなさい。皆に迷惑はかけられない、やっぱりあたし……」

「フラン」


 ニールは彼女の言葉を遮り、その目をじっと見つめた。


「そんな風に言わないでくれ。フランが俺たちと一緒にいることを楽しいと思ってくれるなら、これからも頑張ろう。俺はフランが力になってくれたら嬉しい」

「そうだぞ!さっきも言っただろ、おれたち友達じゃないか」

「……あなた危なっかしいですから、今更ほっぽり出して変なことに巻き込まれたらこっちも気分が悪いですよ」

「せっかくこうして出会えたのです。何かあれば私がお守りしますよ」

「鱗が見えなかったら誰にも分からないよ。ばれない方法を皆で考えよう」


 仲間たちが口々に言った。ニールはギーランとイオの方に目をやった。彼らの意見も聞いておきたかった。


「二人はどう思う?」

「あ? 俺に聞くなよ、ガキじゃねえんだから嬢ちゃんの好きにすりゃいいだろ」

「何だっていい。面倒だと思ったら俺が抜ければいいだけの話だ」


 どうやら、異論はなさそうだ。ニールはフランシエルの返事を待った。


「あたし……」


 ゆっくりと、彼女は口を開いた。


「人間のことをもっと知りたい。困っているひとを助けられるならそうしたい。皆ともっと一緒にいたい」

「じゃあ決まりだな。フラン、これからもよろしく!」

「うん!」


 フランシエルに、消え去っていた笑顔が戻ってきた。


***


「ユーリウス様、本当によろしかったのですか」


 ユーリウスは隣を歩く副官の顔を見上げた。


「なにが?」

「竜人族の者を見過ごしたことです」

「別にいいんじゃない? 悪いことしそうには見えなかったし」


 それに、とユーリウスは続けた。


「ロイド、あの人たち面白そうだと思わなかった?」

「……私にはさっぱり」


 仏頂面から出た答えに、ユーリウスは口を尖らせた。


「君はいっつも変わんないねぇ。僕には分かるんだよ、近いうちにきっとすごく面白いことが起こる」


 竜人族をかばい自分を説得してきた、青い髪の青年の顔が思い出される。

 今、彼らの未来を潰してしまうにはあまりにも惜しい。騎士として戦争に駆り出される日々は、ひどく退屈なものだ。


「楽しみだなぁ」


 娯楽に飢えた弓術士隊長は、静かに笑みを浮かべた。

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