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2話 宿屋と村と迷子の英雄

 ニールは小さな寝台の上で目を覚ました。窓からは柔らかな朝の光が差し込んでいる。

 身支度を終えたニールが階下に降りると、パンの焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐった。部屋には丸いテーブルが七台あり、それぞれの周りにはぐるりと小さな椅子が並べられている。

 テーブルの一つを拭いていた女性がニールの方を見た。


「おはよぉニールくん」

「ジュリエナさん、おはよう」


 王都に来てからはや数日、ニールはこの宿屋で寝泊まりしている。ジュリエナは宿屋を切り盛りするニールよりいくつか年上の女性だ。豊かな黒髪と泣き黒子が印象的である。


「朝ごはん用意するわねぇ」

「ああ、お願いするよ」


 ジュリエナが奥の厨房に引っ込む。ずっと故郷の小さな村を出たことがなく勝手が分からないことも多かったニールだが、偶然入ったこの宿屋「月の雫亭」で、ジュリエナは親切に色々と教えてくれた。

 ジュリエナが行っているのは主に会計や受付で、彼女の二人の妹、リーサとミアが料理や掃除を担当している。末の妹のミアはまだ八歳だが、よく働く健気な少女だ。


「お待たせー」


 席について待っていたニールの元にジュリエナが食事を運んできた。焼きたてのパンと湯気がたつスープは次女リーサの手作りだろう。


「ありがとう!」


 王都に魔物が現れたあの日以降、ニールは日銭を稼ぎつつ街を見回っているが同じようなことは起きていない。しかしジュリエナも、度々魔物が街中に姿を現すのだと教えてくれた。


「あらぁ?」


 ニールが食事を終えた頃、掃除を続けていたジュリエナがテーブルの一つの下に潜り込み、何かを拾い上げた。


「何かあった?」

「落とし物。全然気づかなかったわぁ」


 それは手のひらに乗るほどの小さな布の袋だった。ジュリエナはしばらくそれを見つめた後、「あ」と呟いた。


「昨日、牛乳をうちに届けにきたクルトさんのものだわ」

「その人は王都に住んでるのか?」

「いいえ、王都を出て少し歩いていった先にある村の人よ」


 ジュリエナは難しい顔をしている。届けたいのはやまやまなのだろうが手が放せないようだ。ニールは席を立った。


「俺が届けてくるよ」

「いいのぉ?」

「ああ。その村も見てみたいし」


 ありがとう、とジュリエナは袋をニールに手渡した。


「今日の宿代は少しまけておくわねぇ」

「はは。ありがとう。村にはどう行くのが近道なんだ?」

「ここからだと少し遠いけど、西の門から出るといいわ。街道を進んでいけば迷うことはないはずよぉ」


 王都に入るための門は四つあり、それぞれ北、東、西、南西に位置している。この宿屋から最も近いのは東の門だ。


「村の誰かに聞けば、クルトさんの家は教えてくれると思う。気を付けてねぇ」

「分かった、行ってくるよ」


 落とし物の袋をしっかり懐にしまい、ニールは宿屋を出た。


***


 ジュリエナの言う通り、迷うことなく村にはたどり着くことができた。

 木造の素朴な家が並んでいる。広がる畑や柵で囲まれた牧草地で牛が草を食む光景に、ニールは懐かしさを覚えた。しかし王都近くの村だけあって、規模はニールの故郷よりも大きい。

 通りがかった男にクルトの家の場所を聞き、ニールはその方へ向かった。


「えーと、クルトさん?」


 畑を耕していた壮年の男は、ニールの方を見て不思議そうにした。


「そうだが、君は?」

「俺はニール。月の雫亭のジュリエナさんの代わりに来たんだ」


 ニールはそう言って、懐から袋を取り出した。


「これが宿屋に落ちてたんだ。ジュリエナさんがクルトさんのものじゃないかって」

「おお、そうだ」


 クルトが手を伸ばし、袋を受け取る。


「見当たらないと思ったら落としていたんだな。わざわざありがとう」

「いや、気にしないでくれ」

「おーい、クルト!」


 一人の男が柵を乗り越え、ニールとクルトの元へやって来た。クルトの知り合いのようだ。


「あんたの息子のひとりが、森の中に入っていったらしい!」

「何だって!?」


 男は苦い顔で続けた。


「真ん中の子だ。一人きりで森に……」

「アロンか……」


 クルトが呻くように言った。


「森には魔物がいるんだぞ。あいつ、一体何を考えて」

「魔物?」


 ニールが声を上げると、クルトはああ、と頷いた。


「最近なんだが、森で魔物を見たという話があってな。誰も立ち入ってはいけないことになっているんだ」

「だったら大変じゃないか、俺が連れて帰るよ! 森の入り口はどこなんだ?」


 子供が一人で魔物の住処に入っていくなんて、どう考えても命が危うい。

 突然のニールの申し出にクルトは驚きつつも、森まで案内してくれることになった。


***


 クルトの導きで、ニールは村の端のほうに位置している森の入り口までやって来た。鬱蒼(うっそう)とした森だ。人の手はほとんど入っていないらしい。


「世話をかけてすまないが息子を頼む。いつか何かをやらかすんじゃないかとは思っていたが、まさか一人でこんなところに入るなんて……」

「大丈夫だ。必ず連れて戻ってくるよ」

「息子はアロンという名前で、九歳になったばかりの子だ。明るい金髪をしてる」

「分かった。案内してくれてありがとう。クルトさんは家で待っててくれ」


 クルトに見送られ、ニールは森の中に足を踏み入れた。


***


 ニールは慎重に森の中を進んでいった。陽光が満足に届かず、森の中は薄暗い。名前を呼んでアロンに届くか確かめたかったが魔物が出るかもしれない以上、迂闊(うかつ)に大声は出せない。

 アロンが森に入ってどのくらい経つのだろうか。九歳の子供であれば短時間にそう遠くまでは行けないはずだが、どこかで迷子になって泣いているかもしれない。

 今はまだ昼になっていない時間だが、もし日が暮れる頃になっても見つからなければかなり危険な状況になる。

 ニールはふと足を止めた。静寂に包まれているが、かすかに何かの気配を感じる。見られているような感覚がある。

 森に棲む獣か、魔物か――ニールは剣の柄に手をかけ、ゆっくり周りを見回した。

 その時、何かがニールに向けて放たれた。


「うわっ!?」


 咄嗟に身をよじり避ける。それはニールの脇をかすめ、一本の木に突き刺さった。

 矢だ。事前に構えていたからよかったものの下手をすればまともに食らっていたかもしれない。


「誰かいるのか?」


 魔物が矢なんて使えるはずがない。ニールは木々に向かって呼びかけた。


「なんだ、人間か」


 茂みの中から声がして、何者かがそこから飛び出してきた。


「えっ?」


 現れたのは一人の子供だった。明るい金髪は癖が強いのか、つんつんと跳ねている。動きやすそうなシャツに上着、膝丈のズボン姿で、まだ幼い姿には似つかわしくないクロスボウを抱えていた。腰にはちゃんと矢筒が下げてある。

 ニールははっとして尋ねた。


「もしかして、アロンか?」

「そうだけど、おれはおまえのこと知らないぞ」


 間違いない、この少年がクルトの息子だ。


「あ、もしかして、おれの子分になりたいのか!」

「いや違う違う! 俺はニール。お前の親父さんに頼まれて、アロンのことを探してたんだ。さあ家に帰ろう」


 しかしアロンは嫌だと首を横に振った。


「やだ! おれは帰らないぞ」

「この森は危ない、魔物が出るんだぞ」

「魔物が出るから、帰らないんだ!」

「ええ……」


 ニールは故郷で小さな子供の面倒を見る機会も多くあり、自分自身も腕白な子供だった。どうやらアロンという少年はそんなニールでも手を焼く子供のようだ。


「大体、子供がそんな武器を持っていたら危ないだろ」


 ニールが言うと、アロンはしっかりとクロスボウを抱えなおした。


「これはおれが作ったんだからおれのものだ。さわるな」

「作った!? アロンが?」

「そうだ。矢もぜんぶおれが作った」

「そ、それは……すごいな」


 九歳の少年の技術にしてはかなりのものだ。

 褒められて気分が良くなったのか、アロンはクロスボウを掲げた。


「だろ? おれはこれで魔物を倒して英雄になるんだ。だから帰らない」

「待て待て! それとこれとは話が別だ。いくらアロンが強かったとしても、魔物と戦うのは危険すぎる」

「おれは魔物なんかこわくないぞ、英雄になるんだからな!」

「お父さん、アロンのこと心配してたぞ?」

「いやだ、おまえの言うことなんか聞かない。ここの魔物がいなくならないと、父さんも母さんも兄ちゃんも姉ちゃんも、弟や妹だって、心配で眠れないままになるんだ!」


 聞く耳をもたないアロンに、ニールは心の中で頭を抱えた。

 しかし彼なりに、家族のことを守りたいという思いがあるようだ。ニールならこの少年を無理やり抱えて森から連れ出すこともできるが、力ずくの手段はとりたくなかった。


「……アロン、お前の気持ちは分かった」


 ニールはため息混じりに言った。


「でも、アロンを一人にはできない。俺も一緒に魔物を探す。二人で魔物を倒して家に帰ろう」

「……おまえ、戦えるのか?」

「ああ、きっとアロンの役に立てるよ」

「なら、ついて来てもいいぞ」


 何とか落としどころを見つけられて、ニールはほっと胸を撫でおろした。いずれにせよ魔物を放っておくのは良くないことだ。後は、日が暮れる前に魔物を見つけられるかどうかにかかっている。


「じゃあ行くぞ、ニール!」

「おい、一人で先に行き過ぎるなよ」


 アロンがうきうきした足取りで森の奥に進んでいく。ニールはその後を慌てて追った。

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