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12話 紳士にご用心

「ただいまー!」


 月の雫亭の扉が開き、アロン、エンディ、ギーランが姿を現した。アロンはギーランに肩車されており、身をかがめて扉をくぐった。

 ニールは椅子から下り彼らのもとに歩み寄った。


「お帰り。どうだった?」

「うん。異常なしだよ」


 被っていたフードを外しながらエンディが答えた。

 仲間が増えたことによりニールたちの行動範囲は広がった。二手に分かれたり、交代で王都とその周辺をまわっている。それでも手に余るほどに王都は広いのだが。


「父さんの肩車より高いぞー!」


 ギーランの肩の上でアロンはご機嫌だ。ギーランはそれにやや面倒そうにしながら、ニールに向き直った。


「おい大将、もっと強い奴はいねえのか? みみっちい魔物の相手は飽き飽きだ。俺はガキの世話のためにいるんじゃねえぞ」


 王都に現れる魔物は戦う術を持たない民にこそ脅威だが、ギーランのような経験を積んだ傭兵には口ほどにもない。彼が仲間になって数日だが、早くも愛想を尽かされつつあるのをニールは感じていた。


「あー、それは……ごめん」


 ニールと一緒になってエンディも首をひねった。

 

「うーん、王都でも事件ってそうそう起こるものじゃないしね……」


 その時、宿屋の扉が開いた。


「ごめんください」


 そこにいたのは一人の若い女性だった。簡素だが上等そうなくるぶし丈の水色のワンピース姿で、リボンがついたつばの広い帽子を被っている。豊かな金髪を太い一本の三つ編みにして垂らしていた。


「お客さんか? 宿の人を呼ぶよ」


 ジュリエナを呼びに行こうとしたニールを女性は呼び止めた。


「いえ、青い髪の剣士さん、あなたを探していたんです」

「え、俺?」


 ニールはきょとんとして女性の顔を見た。最近で会った記憶がない。


「私はシエラと申します。王都の方々を助けて回る腕利きの方々がおられると聞いて参りました」


 シエラは優雅に一礼した。


「私は王都の人間ではなく別の街に住んでいるのですが、困りごとがありまして、助けて頂けないでしょうか……? もちろん報酬もお支払いしますわ」

「ああ、俺たちで力になれることなら喜んで協力するよ」


 ニールが言うと、シエラの表情がぱっと明るくなった。


「ありがとうございます! 差支えなければ今から一緒に私どもの街へ来て頂けますか? 馬車を用意しておりますので」

「分かった、すぐに行こう。皆、準備してくれ」


***


 馬車の中でシエラが色々と説明してくれた。彼女は名のある商家の娘で、住んでいるのはベルセイムという街だという。エンディはその名前を知っているようだった。


「ベルセイムなら、歩いてでも行ける距離ですよね。馬車に乗せてもらうなんて悪いです」


 お気になさらず、とシエラは微笑んだ。


「もともと私が乗ってきたものですから、人が増えるのは大した問題ではございません。もう一人の方も、遠慮なさらずに乗って頂いて良かったのですが……」


 シエラは馬車の窓の外を見やった。ニールの仲間たちは、ギーランを除いて馬車に乗っている。ギーランは馬車に揺られる感覚が嫌いなのだと言って、横を歩いてついてきている。


「いや、ギーランはああいう人だから気にしなくていいよ。それより、その街で一体何が起きているんだ?」

「私の家は、王都や他の街と交易を行って暮らしております。最近、頻繁に通る街道に魔物がよく出るようになり、商売に支障が出ているのです。他の商人も何人か襲われたと話していましたわ。幸い、死者は出ていないのですが……」

「それは確かに放っておけないな。同じ魔物が現れて悪さをするのか?」

「ええ。蜂のような姿の魔物が、群れを作って襲ってくるのです。その街道は森の中を通っているのですが、森のどこかに巣があるのではないかと私どもは考えております」


 この騒動を解決するには、魔物の巣を探して根本から絶つ必要があるようだ。


「分かった。俺たちでその巣を探してみるよ」

「ありがとうございます! 領主様は素晴らしいお方なのですが、普段は離れた場所にいらっしゃるのと、戦争中ということもあってすぐに助けを出すことが難しいようで……ニールさんたちが引き受けてくださって本当に助かります」

「俺、よく分からないんだけど……領主の土地ってひとかたまりになってる訳じゃないのか?」


 ニールの問いに、シエラは頷いた。


「ええ。領土が点在しているということもありますわ。ベルセイムの場合は領主の地位が、とある家から今の領主様の家に移ったのでこのような形になっております」

「ベルセイムで何かあったんですか? 僕は知らないなぁ……」

「エンディさんはまだお生まれになっていない時ですね。私も幼い頃の話です。前の領主は、民のことをひとつも顧みず贅沢三昧で、貧困にあえぐ者がどんどん増えていきました」

「本当にいるものなんですね、そういう屑みたいな貴族は」


 ゼレーナが呟くように言った。


「その時、今の領主様のお導きのもと民が反乱を起こし、前領主は処刑されその家族も貴族の地位をはく奪されました。そうしてベルセイムの新たな歴史が始まったのです」


 今はとても豊かな街ですよ、とシエラは付け加えた。


「きっと気に入って頂けると思います。あ、そろそろ街中に入りますわね」


 シエラにつられてニールも窓の外を見た。石畳の道、綺麗な建物、多くの人々――どれも王都とそう変わらない。賑やかでとても栄えた景色だ。

 ニールたちを乗せた馬車は一軒の建物の前で止まった。シエラの親族が経営している宿屋で、魔物を倒すまでの間はここに滞在してくれて構わないとのことだった。宿代もシエラの家が負担するという。

 それはさすがに悪い、とニールは断ろうとしたが、シエラもがんとして譲らなかったため結局は彼女に甘えることになった。

 問題の魔物が出る街道の場所とシエラの家を教えてもらい、ニールたちは彼女と別れた。


「まさか、騙されている訳じゃないですよね?」


 あまりの待遇の良さに、ゼレーナは何か裏があるのではと疑っているようだ。


「いや……俺たちを騙す利点がないと思う」

「よっぽど困ってるんじゃないかな。商人さんたちがよく使う街道みたいだし」

「ああ、そうだな。これだけのことをしてもらってるんだ。俺たちで解決しよう」


 とにかく魔物の巣を見つける必要がある。ニールたちは、シエラに言われた場所へと向かった。


***


 森の中でニールたちは魔物の集団を相手にしていた。シエラが言っていた蜂の魔物ではなく、黒い鳥のような姿をしている。すでにほとんどが倒されており、残るは数羽だ。

 しかし魔物たちもやられっ放しではなかった。一羽の魔物が舞い上がったかと思うとまっすぐに突っ込んでいく。その先にいたのは、別の魔物に魔法で応戦するゼレーナだった。ニールが止めようとしたが間に合わない。


「ゼレーナ!」


 ニールの呼びかけでゼレーナは突進してくる魔物に気づき、咄嗟に片腕をあげて顔を守った。魔物の足に生えた鋭い鉤爪がゼレーナの腕にぶつかり、彼女の顔が痛みに歪む。

 しかしゼレーナは怯まず、魔法の火球をその魔物に向かって放った。地に墜ちた黒い体にニールの剣がとどめをさした。残りの魔物も、アロン、エンディ、ギーランが逃がすことなく片付けた。

 ニールは急いでゼレーナの方に駆け寄った。


「ゼレーナ、大丈夫か?」

「……ええ、かすった程度で済みました」


 ゼレーナの左腕に三本の傷が走り、血がにじんでいる。重症ではないが少しばかり痛々しい。


「手当するためのものがないな……いったん街に戻るか」

「そんなに大した怪我じゃありません。さっき通ったところに川があったのでそこで洗ってきます。ここで少し待っていてください」

「おれ、一緒に行こうか?」


 心配そうなアロンに対し、ゼレーナは小さく首を振った。


「すぐ戻ります」


***


 ゼレーナは川岸に膝をついて座った。目の前を、澄んだ水がさらさらと流れていく。

 右手で水をすくい、傷口にかけて静かにこする。血はすぐに落ちた。後で街に戻って包帯でも巻けば問題ないだろう。

 ついでに川の水で喉も潤し、ほっと一息ついて立ち上がったところで、奇妙な音がゼレーナの耳に入ってきた。何かが小刻みに震えているかのような音――はっとして振り向いたゼレーナの目に、木々の間を抜けて、こちらに真っすぐ飛んでくる魔物の姿がうつった。蜂の魔物だ。鋭い針が、尻の先端から生えている。

 ゼレーナは応戦するべく立ち上がり魔法球を構えた。しかし魔法を放つ前に、突如としてゼレーナの視界を半透明の何かが覆う。驚いたゼレーナはその場に膝をついたが、川に落ちることだけは避けられた。

 目の前で、植物のツルのようなものが複雑に絡み合い、壁を作っている。よく見るとツルには棘が生えていた。ただし本物の植物ではない。魔法で作り出されたものだ。

 大人の頭ほどの大きさがある魔物が棘にぶつかり怯んだ。何者かが飛び出してきて、ゼレーナと魔法の壁の間に立つ。手にした杖を軽く振ると壁から一本、腕のようにツルが伸びて魔物の体に巻き付いた。魔物は激しく羽を震わせ身をよじり、やっとのことでツルから逃げ出すと別の方向へ飛び去った。

 魔法の茨が跡形もなく消え去り、杖を持ったその人物がゼレーナの方に振り返った。ゼレーナやニールよりもう少し年上に見える青年だった。金のボタンが留められた真紅のジャケット、黒いトラウザーズ、濃い茶色の革靴、ジャケットと揃いの色の、両脇と後ろのつばを折り返した帽子を身に着けており上流階級の人間を思わせる。胸のあたりまでの長さの、薄い緑色の髪を後ろで一つにまとめている。

 青年は笑みを浮かべ、座り込んだままのゼレーナに白い手袋をはめた手を差し伸べた。


「さあ、お手をどうぞ」

「……いえ、結構」


 ゼレーナは青年の手を借りず、自力で立ち上がり服の(ほこり)をはらった。

 その際に先ほどの腕の傷が見えてしまったらしく、青年がゼレーナの腕をそっとつかんだ。


「失礼、お怪我をされているようですね」

「ただのかすり傷です」


 ゼレーナは青年の手を振り払おうとしたが、彼はゼレーナの傷の上に杖の先端をかざした。一本の棒に近い形だが、先端は薔薇の花の形に整えられている。

 魔力がゼレーナの傷口をつたうのを感じた。みるみるうちに何事もなかったかのように傷がふさがっていく。


「治癒魔法……!」


 ゼレーナは息を飲んだ。魔力を持つ人間の中でも、治癒魔法の才を持つものはほんの一握り。実際に治癒魔法が使われるのを見たのは初めてだ。彼は一体何者なのだろう。


「さあ、これでもう安心です。傷跡が残らなくてよかった。白百合のような腕に傷が残ってしまったら、後悔してもしきれません」


 青年の手がゼレーナの腕から離れ、今度は指先に触れた。そのまま流れるような動きでゼレーナの手の甲にそっと口づけを落とす。

 固まるゼレーナをよそに青年は帽子をとり、優雅に一礼した。


「お目にかかれて光栄です。なんと美しい方だ。森の精霊と見まがってしまいました」


 甘い笑みを向けられ、ゼレーナの体に緊張が走る。貧民街生活で培った警戒心が頭の中でけたたましく警笛を鳴らす。見かけは洗練されているが、こんな森に一人でいる時点でかなり怪しい。傷を治したことを口実に何かを要求されるかもしれない。


「……お気遣いどうも。人を待たせていますのでわたしはこれで」


 淡々と告げ、ゼレーナは足早に来た道を戻った。青年が何か言いかけたが、それには耳をかさず突っ切る。ニールたちと合流できれば安全だ。

 青年は追ってこなかった。もう会うことのないように――ゼレーナは心の中で祈った。

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