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倫敦怪人録  作者: 武田武蔵
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不審な一言

 泣き声が聞こえたのは、深夜2時を回った頃だった。慌ててソファから飛び起き、アンソニーは泣き声の聞こえるパーシーの寝台に近づいた。

 布団にくるまって、幼子のように震え泣く、“あの夜”と似たパーシーの姿があった。

「パパ、ママ! どこにいるの?!」

「パーシー様!」

 アンソニーはその華奢な身体を抱きしめた。

「もう過ぎた事なのです! あれから、十年も経っております!」

 真実を述べる事が、今のパーシーには効果がある気がし、アンソニーは口早に言った。

「あなたはもう、お一人で地面に立っておられる身なのです! 目を、覚まして下さい!」

 すると、泣き声は止み、代わりに再びあの低音の声を聞く事になった。

「お前が、パパとママを殺したんだろう。僕は見ていたんだ。お前が、馬車に仕掛けをする所を」

「馬車に、仕掛け……?」

 パーシーを抱いた儘、アンソニーは首を傾げる。事故では、なかったのだろうか。

「車が引っ繰り返るように細工して、パパとママを崖に突き落とした!」

「パーシー様! お気を確かに!」

「全部、お前の所為だ。お前が悪——」

 そこまでパーシーが言葉を紡いだ時、思わず、最後の答えを唇で塞いでいた。

 パーシーの身体の震えが治まってくる。それを見て、アンソニーは顔を離した。


「……アンソニー君」

 いつものパーシーの声が聞こえる。

「良かった。戻って来る事が出来て……」

 アンソニーは安堵の溜息を吐いた。それを察したパーシーは、

「また、発作があったのだね」

 そう口に出し、手を握った儘、その甲に口づけるアンソニーの頭を撫でた。

「すまないね。起きるとは、僕も少しばかり思っていた。しかし、迷惑をかけたね」

「大丈夫です。あなたが、無事ならば。もう、お眠りください。近くのソファで寝ておりますから」

「判った。有難う、アンソニー君」

 めくりあげられた布団にもぐり、パーシーは言った。そうして、再び同じ言葉を紡ぐ。

「お休み」

「お休みなさいませ、パーシー様」

 こうして、アンソニーは再びソファに戻り、襲い来る眠気に白旗を上げていた。


 翌朝、小鳥の声で目覚めれば、バルコニーを覗き込むパーシーの姿があった。寝巻の長い裾が、開けた風に揺れている。

「パーシー様」

 アンソニーが恐る恐る声をかけると、

「やぁ、おはよう。アンソニー君」

 主人は頬笑んだ。

「朝日が眩しいね」

「すみません、お起きになられた事も気が付かず……」

「そんなに気を使うものではないよ。僕は大丈夫さ。それより、ほら、見てご覧?」

 パーシーが手招く。

「なんですか?」

 何かと思い、アンソニーが近づくと、

「あそこの枝に、小鳥が一羽止まっているのだ。季節外れのサクランボでも求めるようにね」

「はぁ」

 案外無邪気な返答に、思わず溜息が漏れていた。

「下らないと思っただろう。君の心はお見通しだよ」

 アンソニーの左胸——丁度心臓のある位置を、人差し指が触れる。

「敵いませんね、あなたには」

 ヴァレットは主人にそう言ってから、

「御髪を整えましょう」

 と、整髪剤を手に取った。

「もう少し、見ていたいな」

 パーシーが頬を膨らませる。幸い、今日は何の予定もない。

「判りました。暫く、朝日を浴びていましょうか」

 アンソニーは苦笑交じりに答えた。

「君もだよ、アンソニー君」

 パーシーが彼の腰に手を回した。どうやら、この下らない提案に、もう少し付き合わされるようだ。


 やがてパーシーは、飽きた玩具を捨てるように、手に掴んでいたカーテンを離し、窓を閉めた。そうしてアンソニーを見ると、

「昨日はすまなかったね。使用人専用の食堂で朝食を取って来給え。僕はもう少しだけ眠る事にするよ。朝食の時間になったら、起こしてくれ」

 それだけ言って、己から布団に潜り込んだ。確かに、今朝は冬が近づく秋の日の、比較的過ごしやすい天候だ。

 二度寝には、持って来いだろう。


「行ってまいります」

 アンソニーはパーシーが眠った事を確かめると、使用人用の食堂へと急いだ。もう大半の使用人は食事を終えているだろう。

「あ、アンソニーさん!」

 プリント生地の仕着せ姿のキャサリンが、タオルを両手に持った儘、擦れ違いざまに声をかけてきた。

「もう、食堂は閉まってしまいましたか?」

 アンソニーが尋ねると、

「いいえ、いつもの方々は残られています! そう言えば、昨日の夜はパーシー様の元に付きっきりだったみたいですが、やはり事件の影響で?」

「まぁ、そうですね」

 好奇心旺盛のハウスメイドに、アンソニーは少し言葉を濁した。

「偶々先輩が現場を見てしまって……ほら、あたしの仕事が増えてしまったんです!」

 そう言えば、彼女の仕事は暖炉の掃除係の筈だ。洗濯物を運ぶ姿は、初めて見る。

「いつもは一人仕事だから、鼻唄交じりに行うんですが、チームで動くとそんな自由はなくて……あたしは楽な仕事をしていたんだな! とか思ってしまいます」

「キャサリン! 早くいらっしゃい!」

 廊下の向こうから、先輩メイドの声がする。

「あ、行かなきゃ! それじゃあ、昼食の時にでもお話、聞かせて下さい!」

 そんな台詞を残し、彼女は足早に駆けていった。

「頑張って下さい!」

 アンソニーは声を投げかける。

「有難うございます! ……キャッ!」

 不慣れな仕事にタオルを落としそうになりながらも、キャサリンは振り向いて礼を言った。

「真面目な子だな……」

 アンソニーはそう呟くと、食堂に急いだ。余り、厨房の仕事に迷惑をかけたくはない。


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