30 エド決断する
「先程『エドと姻戚関係があるのでは?』と俺は話しましたが、満更嘘でもないんですよ」
何を話すのかと皆が、三人と一柱が訝って俺に注目している。
「仏教では天部と言って、天界に住まう者がいます。貴方達が言う処の神ではないですが、天使と解釈してもらえると分かり易いかと思います。彼らは仏陀釈尊とは違い未だ悟りを得ていないので、生前の行いに拠って、死後六道の何れかに転生します。どれ程人智を超えた神通力を持とうが、真理を会得しない者は仏にはなれません。その天部はバラモンの神々が仏教に帰依した結果、仏教護持者になったとされています。貴方達も仏教に帰依すれば天界の住人に戻れる可能性があるのです。印欧諸語族としてのアーリア人種が印度を支配した頃にバラモン教が形成されたと言われていますから、同じアーリア人種としてのルーツを持つカトリックの異教神であるエド達も天使としての地位が与えられる機会があるんですよ」
皆何を言いたいのだという顔をしている。最もである。俺も話している内に訳が分からなくなった。何とか、こじつけでも良いからエドが納得出来る理由を考えていたんだけど、難しいよ。
ベルナールが俺に向かって話しかけてきた。「同じ異教神ですから、境遇はお互い理解出来るのでは?」
うん、うんと他の二人も頷いている。そうか! 納得させるのではなく、心情を理解してやる事か。長年聖職に就いて色々な悩み事や告解を聞いているからこそ、言える言葉だね。腑に落ちた話しだ。
「エド、一度馬頭観音様に貴方の考えを伝えます、天界に戻れるのか、どうか。例えてみれば、馬頭観音様も転向した一人ですから、参考になる話しが聞けると思いますよ」
「俺は戻れるとは思っていない。地の果てに墜ちて以来、何時かはと初めの頃は考えていたが、どう言うものか最近はそのような考えが余り起きないのだ。欲望こそは膨らんでいったが、諦めと言うか、地獄が安住の地なのではないかと達観するようになったのだ。対岸が見えているのに、渡れる船がないので向こう岸に行く事が出来ない心境なのだ。これは神が俺等に与えた罰だと思うと、一縷の望みに託して未来を望む事が出来ない無情な仕打ち。神への憎悪しか残っていないのだ」
「そんな硬い事は言わないで、相談してみましょうよ。観音も貴方に助力すると言ってくれたんだから。あれは武力だけでなく、何でも相談に乗ると言う意味ですよ」
中々エドが承諾してくれない。もし抗争になった場合、合力してくれる事は確約出来たが、戦後処理について迄は話しが詰まっていない状況だ。ここで見切り発車したら、後で紛争の種になる事は火を見るよりも明らかだ。踏ん切りがつかないのは分かっている。でもエドの気持ちが変わるのを待つしかない。
水曜日の23時にこの場所にやって来て、どの位の時間が経ったのだろうか。夜明けも近い時間ではないのだろうか。結構疲れたというか、緊張の連続で神経が相当参っているのが分かる。やたらと欠伸が出て、気を抜いた瞬間、フッと眠気が襲って来た。
俺の説明ではエドの気持ちが変わらないので、ベルナールに代わってもらった。セリーヌとテスは魔法円からは出られないので、中でその様子を黙って見守っている。無論彼も魔法円からは出ていないが、皮で記された円の際迄進んで、エドに話し掛けている。
7月のサンジェルマン・アン・レイの日の出は6時前だ。そろそろ空が漆黒の闇から白みかける頃、エドがベルナールの話しに同意したようだ。
これ以降、エドの窓口はベルナールが担当し、地獄でのマラドゥレスの尋問結果をベルナールに連絡してもらう事になったので、今日、又彼を召喚して対策を練ろうと彼から言われた。勿論俺としても異論はなく、同意した。悪魔はベルナール、観音は俺が担当だ。
サンジェルマンから帰った午前中、セリーヌは心療内科に通い、症状が改善した旨の話しをして帰って来た。最も、医者から安定剤を処方され、もう少し通院するようにとの指示を受けたと。それでも、悪魔憑きから解放された喜びが体中から溢れ出て、滅多矢鱈と俺に喋りかけてくる。
元気になったのは嬉しいんだけど、良くあれだけ話しが続くものだと感心した。病院から帰宅して、部屋で俺と話しては笑い、話しては泣き、昼食を食べては話しと延々と続くのかと思う程話しかけてくる。憑依された事が相当ストレスになったのだろうな。嫌な思い出を払拭するように明るく振舞う様は、健気で愛おしくさえ思える。しかし、お喋りは我慢出来ない。
日本でなら、一寸用事があると言ってパチンコ屋、雀荘、ラピスタに行く事も出来るんだが、フランスじゃ何をすれば良いのやら。
食後、俺がソファで寛いでいると、彼女が淹れ立てのコーヒーを持って来た。大急ぎで俺はTVのスイッチを入れ、サッカー番組を見た。案の定、ソファに腰かけると、俺に話し掛けて来た。
フランスのリーグ戦なんだと思う。やたらと観客が興奮しているのが放映されていて、少し引いた。彼女との会話で適当に相槌を打っていると、俺の態度に不満を感じたのか、俺の膝の上に跨り、両手で俺の顔の頬を挟み、彼女の顔と対面状態になった。
「私が元気になったのが嫌なの?」俺の顔を直視して詰問された。
「いや、そんな事はないよ。何言ってるの?」
「私の話し全然聞いてくれないじゃない。私が元気になったのが不満なの?」
「そんな事ある訳ないじゃないか」
「じゃ、何故TVばかり見て、私の顔を見ないの?」
「え?」言える訳ないじゃないか。お前の話しが五月蠅いと。
「『え』じゃないの。何でって、聞いてるの。言ってよ」
「いや、良いじゃないか。良くなったんだから」
「そういう問題じゃないでしょ。ちゃんと話して。言わなければ分からないわよ」
「はい」察してくれよ。
「『はい』じゃないの。何で私と話さないの?」
「はい」
「いい加減にして。何か言ってよ。一方的に私が喋っているだけじゃない・・・ 分かりました、別れましょう」
セリーヌが真顔になって俺に別れを切り出した。冗談じゃない。何で別れなければならないんだ。唯の喧嘩じゃないか。飛躍し過ぎだよ。
「待ってよ。何でそんな話になるの?」
「話しにならないからでしょう!!! 夫婦になるのなら何でも話さないと、円満な生活が送れないのよ」
「何でもかんでも喋れって言うの?」
「そんな事言ってる訳じゃないわよ。貴方が私の話しを聞かないからでしょ、違う?」
「それは・・・」
「『それは』って何?」
言葉が続かない。本音を伝えるべきか、建前で話す方が良いのか、少し逡巡した。本音を言うと男尊女卑の俺の考えが彼女に伝わり失望させるか、呆れるかだろうし。俺は彼女と別れる気はないから、ここは思案の為所だ。じっくり考えて俺は応えた。
「日本ではね、愛情が深まると夫婦や恋人同士は喋らなくとも、相手の顔色や仕草、雰囲気、声のトーンで相手の気持ちを察知するのが愛情だという風習があるんだ。俺は日本人だから、知らず知らずに君にそれを求めていたんだと思うし、君もその域に達したと感じていたんだ。これだけ付き合って、結婚しようという気になったのも、君には日本人の心の機微というものが理解出来ていたと思ったんだ。それが違ったんだね」
暫くセリーヌが黙った。俺の言った事を考えているんだ。俺の名演説で彼女が得心したんだと思った。これだけ小気味よい言葉を並べれば、大概は意味が分からなくとも納得した気になるもんだ。
「それは貴方の国の風習でしょ。ここでそれを求めるのは可笑しくない? “郷に入りては郷に従え”という諺があるわね」
彼女が俺を見て言った。俺は「はい」と応えた。全然俺の話しが伝わっていないよ。てっきり俺の話術に惑わされたと言うか、話し振りで落ち着いたと思ったのが浅はかだった。
「それならば、貴方はフランスでのルールに従うべきね。私の言っている事、間違ってる?」
その通りです。俺の話しは彼女を説得させるには不十分だった。そして、彼女の話しは俺を追い詰めた。
「その通りです。御免なさい」俺は説得する事は諦めて、低姿勢で臨めば彼女の機嫌が直るのではないかと期待したんだが。そうならなかった。俺が自分の非を認めたので、ここを先途と上から目線で話してくるので、良い加減辟易してきた。
時間にして2、3分の事だとは思ったが、俺には30分にも感じられた。主人に説教される番犬のように俺は首を垂れ、彼女の文句を聞いていた。
彼女が俺に説教している最中に電話が鳴った。俺に文句を言いながら、彼女が電話に出る。フランス語で電話をしているので、何を話しているのか分からないが、彼女の文句を聞かなくて良かったので、ホッとした。そしたら、時折彼女が俺の方を見出したので、大急ぎで、萎れた花のように首を垂れた姿勢に戻した。
「貴方への電話よ、テスからの」
救いの神だ!!! 俺は直ぐに電話を取り、そして相手を確認して、受話器をセリーヌに渡して頼んだ。「通訳して」
一瞬、彼女の顔に苛立ちに近い表情が表われたが、直ぐに消えた。俺から受話器を受け取ると、テスと幾つかの遣り取りの後、俺に内容を伝えた。
午前中にベルナールがエドを召喚して、地獄での様子を聞いた処、マラドゥレスは既に5軍団を引き連れて逃亡した後だったと。直ぐに追っ手を差し向けたが、足取りが掴めなかったそうだ。全てが計画されていたようで、どの軍団と連携して攻めてくるのか分からないので、至急防戦体制に入った状態で待機しているそうだ。
こうなると、俺としても観音に降臨してもらい、エドの援軍として地獄に向かってもらわないと。忙しくなるわ。チラリと、俺の頭の中で「これでセリーヌに責められなくなる」という考えが浮かんだ。俺はツイてるのか?




