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21 帰国そして再びフランスへ

 ベルナールのパリ管区大司教就任祝いをした翌日は、俺の帰国日だ。昨日の彼の家でのお祝いパーティーでは最後にセリーヌとテスに夫としての心構えを昏々と説教された。色々言われたが、日本でフランスのように振舞うのは無理だと思う。会社生活が基本なので、家庭第一を俺だけ主張するのは難しいと思う。

 セリーヌにこれを説明して“郷に入りては郷に従え”を教えるしかない。日常生活を円満に送るには会社が第一、次に家庭。納得してくれるかな? 男女同権というが、フランスでも性差別はあるから、それを男尊女卑と日本では言うんだと納得してくれるかな? 頭の中で理解してはいても、実生活で差別を体験したら、そこで初めて文化の違いに気付き、受け入れるだろう。受け入れるしかないはずだ。ここにいる間は無理だろう事は分かる。

 二人に昨日は言い負かされたけど、セリーヌと一対一なら大丈夫だろうか? 酒が入っていたとはいえ、随分雄弁だったからな。地頭が良いと思うので、理性的に話すよりも感情に訴える方が良いかもしれないな。あれこれ思い巡らして時間が過ぎる。


 午後になってセリーヌが俺を空港に送る為、会社から帰って来た。荷物をJC社の車のトランクに詰み終わり、何とはなしにお互い顔を見合わせた。そうしていると、彼女が涙を流した。美人の流す涙がこんなに綺麗だとは思わなかった。一筋、一筋頬を伝って流れる様は、形容し難い程美しい。


 「離れ離れになる訳じゃなし、ほんの数週間じゃないか」彼女の流す涙にうっとりして月並みな言葉しか掛けられなかった。

 「さみしいとか、悲しいとかじゃないの。唯、何となく涙が出てくるの。分からないわ。悲しい訳じゃないのよ。感傷的になったのかしら」


 彼女の流す涙に俺も少し、センチメンタルになったが、ふと、思い出したように考えてみると、前に付き合っていた彼女もよく涙を流した女だったな。その時友人から言われた言葉が「泣く女は気が強いから苦労するぞ」だったんだ。確か、あの子は気が強かったというより芯の強い女だった。

 そんな事を思い出して、セリーヌの顔を見ると、涙をためた瞳で俺を見ている。この子も芯が強いのかな? 先々に暗雲立ち込める嫌な考えが浮かんできた。


 シャルルドゴール空港迄の道すがら、セリーヌは余り喋らなかった。運転に集中するというより、俺の顔を見ないように運転していたようだ。ラジオから流れる音楽のリズムは気に入ったが、何を歌っているのかさっぱり歌詞は分からなかった。

 ナンテールからラ・デファンス経由でパリに入り、パリ環状道路からセーヌ・サンドニ高速で空港へ向かった。

 彼女からは話しかけないので、俺から話しを振ったが、お座なりの返事ばかりだ。何か不満があるのか尋ねたが「ない」と言う。俺が帰国するので、一時的に気が滅入っているのは仕方ないが、元気になってくれよ!!!


 空港に着いて、尚更彼女は沈み込み口数が少なくなった。感情を押し殺しているのが俺でも分かる。トランクから荷物を俺が出してカートに乗せた処で、堪え切れなくなったのか、俺に抱きつき泣き出した。アパートを出る時は涙を浮かべただけだったが、今は俺に抱きつき声を出して泣いた。否、嗚咽に近いものだった。感情を爆発させないよう押し殺して、泣いている。

 こういうシーンを映画やTVなどではよく見て憧れていたが、公衆の面前で実際にやられるとどうして良いのか戸惑ってしまう。幸いにも、周りは全て外国人(正確には外国人は俺だけで、後はヨーロッパ人)なので、日常的に見慣れた光景なのか、俺達を凝視する者はいなかった。それでも、チラ見で過ぎ去る人間はいたが。

 暫く、俺はセリーヌを抱きしめたままでいた。強く抱きしめ、彼女の身体を引き寄せると、彼女は俺の唇に自分の唇を強く押し当て、キスをした。貪るような、と形容した方が良い位のフレンチキスだ。

 フレンチキスの効果なのだろうか、それとも気持ちが落ち着いて来たのか、噎び泣きが止み、彼女が口を開いた。


 「本当は寂しいの。だから早く私を迎えに来てね。一緒に行きたいけど、出生証明やビザや何やら未だなの。だから、私を迎えに来てね。約束よ、出来る?」

 「JC社との契約について報告しに帰る訳だし、新居の手当てが済めば直ぐにでも戻ってくるから。何も心配する事なんてありゃしないよ。安心して、待ってな」なるべく彼女を落ち着かせようと言葉を選んで、噛んで含めるように話した。

 幾ばくかは安心したのだろう。彼女の声のトーンが落ち着いてきた。俺の肩に置かれた彼女の両腕が軽くなった。俺は彼女の腰に廻した腕の力を弱めながらも、そのまま身体を密着させたままにした。その方が落ち着くだろうし、安心も出来るだろう。


 「じゃあ行こう」出国カウンターに向かう事を促し、俺は彼女から手を離し、スーツケースを握った。しかし、彼女は俺を離さない。もう暫く時間が掛かるんだ。

 暫しの間を置いて、彼女が俺から離れ、俺のスーツケースを押した。もう大丈夫かな? そんなに早く気持ちの切り替えが出来たとは思わないが、それでも彼女は俺を日本に帰す事に納得したようだ。


 出国カウンターで搭乗手続きを済ませ、手荷物検査、関税申告、ボディチェックを順に終え、セリーヌの見送りを受けて俺は飛行機に乗り込んだ。

 帰りの航空機の乗客は殆んど外国人だ、ちらほら日本人も見えるけど。行きは日本人が大半だったけど、帰りは全く逆になっている。因みに、往復共に日本資本のANAN航空(通称アンアン飛行機)でした


 帰国してから三日連続で会社に定時出社出来なかった。フランスに行く前から言われていた事だけど、西から東に帰って来た時の方が、時差ボケがきつい。どうしても朝起きられなかった。

 そんな訳で三日連続課長に叱られて謝り、仕事をしていた。帰ってきてから二日後、メールでJC社から日本国内販売委託契約を締結したい旨の連絡があり、三日目の課長の叱責は聞いていても心地良かった。

 特任業務についてはこれで完了したが、引き続きフランス語が出来るという事(JC社でも殆んど通訳付きで交渉していた事は、バレてはいなかった)、JC社の人脈形成などから、事後の事務手続きや交渉も俺が担う事となりました。

 四日目は昨日迄の時差ボケが嘘のようにいつもの時間に起きる事が出来た。人間の順応能力の賜物ですね。


 夕方、デパート外商部への挨拶回りから帰って来たタイミングで、おれのスマホにテスからのメールが届いた。フランスとの時差は7時間だから、今は16時、向こうは9時だ。

 英語で書かれていたので翻訳機能を使って日本語に変換した処、セリーヌの様子がおかしくなったとの知らせだった。

 俺は急に不安に駆られ、テスに日本語で返信した。多分、彼女もスマホの変換機能を使って翻訳するだろうと思ったんだが。正直に話すと、俺の語彙能力では英語での返信が出来ないからだ。仕方ないよね、英語もフランス語も片言だけしか出来ないんだから。居直る訳ではないですよ。


 翌日、テスからのメールが届いた。セリーヌの様子が一向に良くならないと。何かに憑かれているのではないのか、とテスが思っていると書いてあった。それだとしたら“悪魔憑き”か?

 俺は居ても立っても居られなくなった。セリーヌの具体的な症状はどうなっているのか? ベルナールは何と言っているのか? 対処法はあるのか? あるとすれば直ぐに実行出来るのか? 俺は立ち会わなくて良いのか? 否、俺は立ち会うべきだ、立ち会う権利がある、セリーヌの夫になるのだから。

 俺はテスへの返信に再度の渡仏について書いた。今から会社に有給の申請と、航空券の手配で二日は掛かる。その間により詳しい情報をテスから送ってくれるよう依頼した。


 その日の内にテスからの返信が来た。ベルナールは大司教になってからというもの、大層忙しく、連絡が取れない状況だと。精神科の医者が言うには「ストレス過多によるヒステリー症状、解離性障害に近い」との見立てだと。俺が彼女の傍にいればどんなにか心強い事か、そう書かれてある。又、「来るのであれば日時を知らせて欲しい。迎えに行くから」とも書いてあった。


 有給休暇の取得許可は上司の決裁承認がキッチリ二日掛かった。その間、ネットで格安航空券を購入し、万が一を考えて悪魔憑き対策としての降魔用に仏具(但し、金属類は税関検査に引っかかるので持参出来なかった)を用意した。知られたくはなかったんだけど、俺の実家はお寺で、結縁灌頂は親から受けたんだ。その先は後を継ぐ気がなかったし、嫌で大学も坊さん大学には行かなかった。言わば“門前の小僧”だね。


 二日後、俺は再度シャルルドゴール空港に到着した。

 入国検査を終えて入国ゲートを出ると、既にテスが待っていた。彼女は安堵した表情を俺に向け、次には哀願するような表情に変わった。彼女も大変な立場にいる事が分かった。彼女の顔からセリーヌの状態が良くない事が推察される。

 複雑な気持ちを抱いて、テスと再会の抱擁をした。彼女も不安だったのだろう、腕に力が入っていた。頼れる者がいない中、自分一人でセリーヌの看護をしていた緊張感と義務感に対し、感謝の念を抱いた。暫しの抱擁の後、俺は頭を下げて話した。


 「大変だったね。彼女の面倒を見てくれて有難う。感謝します。セリーヌの具合は?」

 歩きながら、テスは答えた。

 「余り、思わしくはないの。貴方が帰った翌日に『気持ちが悪い』と私に連絡があったの。それでお見舞いに行ったのね。その時には既に何かに憑かれた様な状態だったわ。暴れたりはしなかったけど、物には当たっていたので心療内科に付き添って行ったのよ。そしたら『ヒステリーやらの症状がある』との診断で、精神安定剤を処方されたの。服薬しても一向に回復しないので、それで貴方にメールしたの。その間、ベルナールには何度かメールで事の仔細を伝えたわ。しかし、公務が忙しくて、直接見舞いに行く時間が取れないのですって。唯『悪魔憑きの状態を想定しなくては』とは言っていたので、貴方に帰って来て貰いたかったの。私一人ではどうする事も出来ないの」


 「そこ迄対応してくれたのか、有難うね。彼女は今何処にいるの?」

 「アパートよ。会社には病欠という事で連絡を入れたの。心配しないで」


 「分かった。じゃ、これからアパートに連れて行って」

 「OKよ」責任感の強いテスが少し安堵したのか、表情が幾分和らいできた。矢張り、一人でセリーヌの面倒を見ていたから、精神的に緊張した状態だったんだと分かった。



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