18 悪魔を召喚する日
セリーヌの出したフランスパンとカフェオレの朝食を食べながら、俺はベルナールの提案を受け入れると彼女に伝えた。俺の言葉を聞き彼女がニコッと笑った。
「正しい判断よ、ハジメ。ベルナールに早速連絡するわ」そう言うと、彼女は彼のアドレスにスマホからメールを送信した。
「明日が召喚日になるから、彼は準備で大忙しよ。でも魔術師としての貴方の協力が見込めるので、必ず成功すると思うわ」
俺は魔術師としての協力が求められているんだ。占いができるだけで魔術師、魔法使いになるんだ。
翌日、いよいよ悪魔を召喚する日だ。午後5時に仕事が終わり、セリーヌと二人でマンションに帰り、カフェオレを飲んで時間が来るのを待った。
深夜になり二人でベルナールの自宅に向かった。彼の家には既にテスが来ていた。彼の助手として参加することは事前に聞いていたので、特段驚きではなかったが、彼女は魔女ではないはずだ。
「良く来てくれました、ありがとう。私が主催しますが、ハジメとテスで私の助手をしてもらいます。助手といっても儀式は私が執り行いますので、二人には魔法円の中で待機して頂くようになります」
黒くて長い法衣の上に頸垂帯を両肩に掛けたベルナールが出迎えてくれた。
「ハジメ、宜しくね。貴方が魔術師なので私も安心して儀式に参加できるわ」そう言いながらテスがベルナールの後から現れた。
「ベルナール。俺は異教徒の魔術師になるんだけど、儀式に本当に参加できるの?」
「OKですよ。基本、キリスト教の悪魔は異教の神々が転化したとされています。ですので、召喚儀式はカトリック教会様式を踏襲していますが“ローマ教会典礼定式書”には記載されていませんので、異教徒の魔術師が参加しても大丈夫なのです。
更に、異教徒でも貴方は魔術師ですから、悪魔から攻撃を受けることはありません。逆に貴方が悪魔を使役する立場なのですから、安心して下さい」
「分かった。でも念のため、仏教で使う護身法で自分の身体だけは守らせてもらうよ。召喚儀式のためにフランスに来た訳ではないんで、結界や調伏させる法具など持っていないから」
「それは心強いことです。主とソロモン王に仏陀が加われば、日本語で言う『鬼に金棒』ですね」
何か良く分からないが納得したような、しないような。兎も角、身の安全が図れれば良しとしよう。
挨拶を終えると、彼がテスに指図して、儀式に必要な道具を彼の車には運ぶよう頼んでいる。
段ボールの箱が4つ置かれているので、俺もテスに続いて段ボールを持って、彼の車のトランクに運んだ。彼が言うにはブラッドストーン、2本の新しいロウソク、新品の火桶、ブランデー、樟脳、石炭、紙に包んだ金貨に銀貨、一度も果実の実ったことのない野生のハシバミの木で作った魔法杖、ソロモン王の呪文を書いた羊皮紙、魔法円を描くための81フィート以上の山羊の皮紐とナイフと多色ペンと4本の釘、身を守るため金で作ったペンタグラム(五芒星)と子牛の皮で作ったヘクサグラム(六芒星)、羊皮紙で作ったシジル(悪魔専用印章)とタリスマン(護符)、マリーゴールドの花9束、最後に聖別された聖水、潅水器と潅水棒、聖油、聖塩に十字架を持って行くんだと。
悪魔召喚に必要な品物で、全てが必要かというとそうでもないそうだ。絶対に必要な物は十字架や聖別された物で、悪魔から自身を守るために必須な物だと言っていた。
用意した品物を全てトランクに入れて車に乗り込む前に、俺とセリーヌとテスにベルナールが聖別された潅水器に入った聖水を聖別された潅水棒で俺達に振りかけた。
「天の父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。御心が天で行われるように、地上でも行われますように。私達に今日もこの日の糧をお与え下さい。私達に罪を犯した者を赦しましたから、私達の犯した罪をお赦し下さい。私達を誘惑から導き出して、悪からお救い下さい。
父と子と精霊の御名により我らをお守り下さい。悪魔の誘惑から我らをお守り下さい。御名が讃えられんことを。アーメン」
キリスト教の護身法が終わり、俺は密教の護身法を修した。それを脇で見ていた三人、初めて見たから不思議な光景だったのだろう。仏教でも悪魔から身を守る方法があることを伝えた。ベルナールは納得したのか、頷いていたが、二人は“オララ”状態だった。
「サンジェルマンの森に場所を用意したから」と、ベルナールが言いながら車を運転した。後席に俺とセリーヌ、助手席にテスが座り、ポントワーズ通りを抜け、ロジェ・アヴェニューを北上する頃には道沿いの人家もまばらとなり、国道184号線でサンジェルマンの森を突き進む。
針葉樹だか広葉樹だかの木々に囲まれ、何も見えない、周りは墨をかけたような闇だ。ただ、車のヘッドライトが国道を照らすだけで、対向車にも出くわさない。漆黒の森の中を直線の国道が続く。
「ハジメとテスは私の助手として参加してもらいます。魔法円の中に貴方達二人の場所を描きますから、その中に儀式の最中はずっと入ってもらいます。テスは儀式中、絶対に声を出してはいけません。そして、悪魔を見てもいけません。いくら誠実な悪魔オロバスと雖も、所詮は悪魔。決して気を緩めてはなりませんよ。
ハジメは魔術師ですから、もし悪魔が魔法円に近付いてきたら、金貨の入った包み紙や銀貨の入った包み紙を遠くに投げて下さい。悪魔はそれを拾いに行きますので、魔法円から追い払えます。やって頂くのはこれだけです。後はテスと同じように儀式中、絶対に声を出してはいけません。
悪魔は召喚者と会話をしますが、助手が会話に加わると悪魔は二人の力量を直ぐに見定めて弱い方に魔力を及ぼし、弱者をコントロールしようとします。そうなると悪魔に憑依され、手先と化してしまう恐れがありますから、充分注意して下さい。
但し、ハジメは魔術師ですから、悪魔に憑依されることはありません。魔術師は悪魔と人間との間にできた子供と言われていますので、何らかの力が悪魔に作用するようです。それでも注意はして下さい。
セリーヌはハジメの通訳として参加してもらいますから、儀式に入る前には車に戻ってもらいます。勿論、この車も聖別してありますから、悪魔が近寄ることはできません。それにマリーゴールドの花を6束車の周りに置いておきますから、必ずや聖母マリア様のご加護がありますので、安心して下さい。召喚の儀式は三人で行うことになりますので。宜しいですね」
三人が三人共黙って頷いた。みんな緊張しているのが手に取るように分かる。生唾を飲む音が聞こえるようだ。それはそうですよね。これから悪魔を呼び出すんですから。
悪魔と言えば、オロバスって言っていたけど、誠実な悪魔なんているのかね?どんな悪魔なのか想像できないね。
国道184号線を北上し、国道308号線を横切り、1分程走ると左の脇道に入った。
パリにあるブローニュの森は整備されていて、夜空も森の中から見えるので、月明かりで辺りの様子も伺えるんだ。それだからという訳ではないが、私娼や男娼が多く商売に精を出している。サンジェルマンの森の中は整備されておらず夜空は見えない。本当に真っ暗、漆黒の闇だ。
脇道を右に左にしばらく進むと、車のヘッドライトに浮かび上がる古びた塀に囲まれた一棟のバラックが見えた。
「あれが会場ですよ。さあ、着きました」
ベルナールが間道から敷地に入り、バラックの脇に車を停めた。車から降りて背を伸ばす。緊張していたので体中の関節が鳴り、筋肉が緊張の後弛緩するのが分かった。魔術師として協力することがこんなに緊張するとは思わなかった。占いをする魔術師が役に立つのかね。
ベルナールがバラックの扉を開けて明かりをつけた。窓から外に中の明かりがこぼれて、トランクを開ける手元を照らしてくれる。積み込んだ荷物をバラックの中に入れる。広さで言うと、4間×5間(7.2m×9m)程の一間だ。
トランクに詰め込んだ4箱の道具を部屋に入れ終わると、ベルナールが最後の確認をすると言った。
「これから魔法円と魔法三角を描きます。円は我々三人が入るもので、持参した山羊の皮紐で描きます。三角は悪魔を出現させ、且つそこに閉じ込める為のもので、黒ペンで描きます。後はロウソクや火桶を配置し、聖文字を書いて準備は終わりです。分からないことありますか?」
「タリスマンは何処に着けるんですか?」
「胸に着けて下さい。魔法円の中にいて声を出さなければ、悪魔に見つけられることはありません。しかし、何らかのアクシデントが起こり姿を見られた時、タリスマンが貴方達二人を守る役目をしますので、安心して下さい。それと、マリーゴールドも身に着けて下さいね。聖母マリアのご加護がありますから」