2話 出会い
───1週間後、十数時間の空の旅を終え降り立った大地は、一面銀世界…とまではいかないがそれなりの残雪が見られる景色が広がっていた。
「やっと着いたのぉ…。っタタ、腰が…」
「だ、大丈夫ですか博士…?」
降り立ったのは目的地であるヴァイス学院が存在するスノープレシャス領…ではなく、ノースの中央に位置する首都領ラウンドブリリアント領内の空港。スノープレシャス領はここから南西に位置し、モノレールや汽車で向かうことになる。
預けていた荷物を受け取り、モノレール乗り場へ赴く…と直ぐに、サウスで感じることは滅多にない鋭い冷気が身を包んだ。何度かノースに来たことがある博士の助言通り、コートを持ってきて正解だった。
「ウィズは平気?」
『モーマンタイ。寧ろ快適ベストプレイス僕ここに住む。』
…全く堪えていないらしい。やはりそのもふもふというかふわふわした白い毛並みは伊達ではないということか…?その分、サウスにおける夏は彼にとって耐え難いらしく、先の台詞もそれ所以。基本的に1日の大半…というか全てを現界して過ごすウィズであるが、真夏日だけは僕の内を避暑地代わりにずっと引きこもる。つまり逆説的に、暑さとは縁の遠いこの地において…ウィズが僕の内に引っ込むことは皆無と言わざるを得ない。
せめてナイブス博士と会う場だけでも戻っていてくれないかな……いや無理か。と思わず溢れそうになった溜息を堪えている内にモノレールが到着。
幸いモノレールは空いており、対面式の座席に博士と向かい合って座る。程なくしてモノレールは静かに走行を始めた。
窓から見える景色は、人の行き交う街並みの他、遠目には雪化粧を施された山々が見える。
「君はノースダイヤは初めてじゃったな…といっても予習はしとるようじゃが。」
「付け焼き刃程度ですが、一応は。」
他国に比べ気温が低く、山地の多いノース。平野部…つまり人が住みやすい土地が少ない反面、自然が非常に豊かである。また、山々からは上質な鉱物が採掘でき、鉄鋼業を始めとする鉱業系が盛んであり、ノース産の鉱物はサウス、ウェスト、イーストといった他国でも評判が良く、世界の至る所で使用されていると聞く。
スピリットとの交流も昔から盛んに行われており、上記の鉱業もスピリットの助けあってのもの。スピリットの助けなくては、雪の多いノースにおいて山地での鉱業は命取りになりかねない場合があったのだろう。
そういった経緯もあり、スピリットへの関心も高い国柄であり、スピリット学に力を入れている教育機関が多い。今回向かうヴァイス学院もその一つに当たる。
『じゃあコンバットも盛んってこと?』
「……らしいよ。」
『へぇ…!」
「しないからね。」
目をギラリと怪しく光らせた戦闘狂の様子に今まで耐えていた溜息が零れてしまう。博士も苦笑しているし。お願いだから大人しくしててね…。
スノープレシャスに入ったのはそれから約三時間後。現地時刻で午後四時ごろであった。
「おぉぉ…こ、腰がぁ…。」
「大丈夫…じゃないですよね…。」
「やはり歳なんじゃろうか…。」
『完全に歳だよ博士。』
「うぅむ…。」
…失礼なことを言ったウィズはあとできっちり注意するとして、
「…少し休みませんか?博士。」
日程としては、今日のところはこの街…シークタウンにあるホテルで一泊。明日ここから四時間ほど汽車で移動し、ヴァイス学院が顕在するルミナスタウンへ。ゼスト・ナイブス博士へのご挨拶は更に翌日…となっている。なので今日やるべき事は明日の挨拶に備えるだけだし、急いでホテルへ向かう必要はないだろう。
「僕も少し疲れてしまったといいますか…。」
「…すまんのぉ。」
「い、いえ。」
どこか座れる所は…あの噴水広場にあるベンチがいいかな。博士を促し、ゆっくり腰を下ろしてもらう。あとは…近くに自販機はないけど、
「良ければ飲み物買って来ますが、博士は何にしますか?」
「気にせんでも構わんよ。近くに自販機も無さそうじゃし。」
「大丈夫です。遠目でしたけど電車からあっちの方に自販機が見えたので。」
大きな湖が見えた方向だったので合っているはず。こここらだと急げばそう時間はかからないだろう。
「…なら、お茶を頼めるかの?あったかい方で。」
「承知しました。」
博士から紙幣を受け取り、ウィズを肩に乗せて駆け足で自販機があるだろう場所へ向かう。…あ、ウィズ残しておいた方が良かったかな。
電車から視認できた景色に間違いはなかったようで、予想通りの場所…やや町外れに近い場所に自販機が並んでいた。少し遠くには木々が茂る雑木林が見える。おそらく、雑木林を抜けた先には大きな湖があるだろう。
『…いい風だね。』
「そうだね。」
雑木林…つまり湖からの風のようだが、空港で感じた鋭い冷たさは不思議と感じられない。心地よい涼しさというか…っと、のんびりしている場合じゃないな。
「えっと、博士はお茶だったよね。」
『あったかい方ね。』
種類は…いつも大体ほうじ茶を好んでいるし、それでいいかな。
あったかいほうじ茶がラインナップにある自販機にお金を入れ──
「───きゃーーー!!!?」
「『ッ!?』」
紙幣を入れる寸前だった指を反射的に引っ込めた。
…今のは…
「…悲鳴…だよね?」
しかも声色的に女の子の…。
『雑木林…の先の方からだよ。』
…今の僕の役目は、疲れている博士に飲み物を届けること。
だけど、
「……ウィズ、博士の処へ戻って伝えてくれる?」
『…すぐ帰ってくるから無茶しないでよ?』
僕らはそれぞれ逆方向へ駆け出した。
少しでも早く悲鳴の聞こえてきた場所に向かうべく全力で雑木林の中を駆け抜けること約3分、やはり何かが起きていたようだ。
まだ遠目ではあるが、雑木林を抜けた先…湖の滸では…
「わわわっ!?なっなんなんだよ~!?」
「もおっ!だから湖に行っちゃダメだって言ったのよ!!」
『『『『『ッガギャァァァッ!!』』』』』
「っだぁぁ~っ!!なんでこうなるんだよーー!!」
外に跳ねた髪型の金髪の少年と、
「あんたのせいでしょー!!」
白いニット帽を頭に被った…青みを帯びた黒髪の少女が、十数匹の猿のような姿の生物に襲われている光景が目に映った。それもただの猿と異なり腕が大木を思わせるほど太い。
『ニン、ゲン…!』
『ニンゲン、デテイケッ…!』
間違いない…幻獣種、猩猩系のスピリット。
「どうするのよアサヒ!?」
少年を怒鳴りつける少女の言葉を聞く限り、少年は‘アサヒ’というらしい。
「知らねーよ!!ヒカリだってなんか考えろよ!!」
「なによそれ!?もともとアサヒが―『デテイケッ!!』きゃっ!?」
「ヒカリ!?」
逃げながら言い合いをしていた2人であったが、一匹のスピリットが'ヒカリ'と呼ばれる少女に急迫し、彼女はそれを避けきれず転んでしまう。
それを機と判断したのか、
『『『『『ギィィィィイ!!!』』』』』
スピリット達は一斉に少女目掛けて襲いかかった。
「危ない!!」
───頭より先に体が動いた。
─────────────
事の始まりは…幼馴染のアサヒが来週に控えた依り代の儀式の願掛けとして、守り神のスピリットが住んでいるって噂のルーメン湖に行こうという提案からだった。スピリットを宿してない人はルーメン湖には立ち入っちゃダメだから、湖までは行けないけど雑木林の手前までなら…と、同行したまではよかった。
だというのに、この生前からのせっかちは何をどう思ったのか、「やっぱ湖まで行かねぇとスピリットは宿らねぇ気がする!」と言ってきて…。
当然私は大反対…したのだけれど、アサヒは私の手を掴み半端無理矢理雑木林を突き進み…湖へ足を踏み入れて──
まるで走馬灯のようにこうなった理由が頭を過った時には…大きな猿のようなスピリットの群れ全てが眼前に迫っていた。
転んだ時に足を挫いたのか、痛みで起き上がれそうもないし…アサヒも間に合いそうにない。
数秒もせずに襲うであろう激痛に、私に出来ることは目をつむるしかなくて…!
「危ない!!」
……急に、アサヒじゃない…聞き覚えのない声が鼓膜を震わした瞬間、暖かい何かに包まれて…私の体は横に飛んだ。
……………痛く、ない…。
「───大丈夫?」
頭の上の方から、さっき聞こえた澄んだ声がして、恐る恐る目を開け…上を見る…。
新雪のように真っ白な純白の髪
白に近い銀色の瞳
心配気な表情を露わにする男の子が…目の前にいた…。
きっと、ううん…絶対、私はこの時のことを忘れない。
─────────────
「………。」
どうしたのだろう?僕の顔をじっと見て…。結構派手に飛んだから土とかついたか?
「あ…あの、大丈夫?」
「ふぇ!?あっ、はい…だ、大丈夫、です。」
「そう…よかった…。」
ゆっくりと少女を支えながら立ち上がる。
「ヒカリ大丈夫か!?」
「う、うん大丈夫…。この人が助けてくれたから…。」
少女の視線につられるように、少年もこちらに意識を向けてくる。
「よかった。お前ありがとな。」
「いえ、別に…。それより…」
『ニンゲン…フエタ…!』
『ジャマシタ…ユルサナイ…!』
「どわぁ!?こいつらまだ増えんのかよ!?」
「ていうか、さっきより怒ってない…?」
その上囲まれた。数は30匹といったところか…。
…この大群の包囲から僕だけならともかく、2人までも無傷で逃げ切らすのはさすがに厳しい。特に彼女の方は足を痛めているらしく、僕に支えられている状態。走るのはおろか歩くのも難しいだろう。となると頼みの綱は…
「…勝手に入ってきてごめん。二人を連れて直ぐに出て行─『ニンゲン、クルナッ!』(聞く耳持たず…か。)ちょっとごめん。」
「え?っわ!」
申し訳なさを感じるも、非常事態なので許してほしい。すぐに動けそうにない彼女の肩と膝裏を両手で抱え、ハンマーのように振り下ろされた拳をかわす。
「掴まってて!君も僕から離れないで!」
「は、はいっ!」
「お、おう!」
首に両手を回してきた少女をしっかりと抱え、慌てて頷いた少年を背中にやり、矢継ぎ早に襲いかかってきたスピリット達の攻撃を右へ左へ、時に伏せて掻い潜る。とはいえこのままで打開は難しい。とにかくこの包囲を抜けないと…密度の薄いところは…!
「あそこっ!走って!」
「分かった!って、一匹いるぞ!?」
構わず、包囲を抜けさすまいと腕をこちら目掛けて横薙ぎに振ったスピリット目掛けて突進。大木のような腕が眼前に迫って───スライディングの要領でその腕を掻い潜り、足を引っ掛け転倒させる。少年は…よし、ついてきてくれている。
「やった!抜け─『ガアァァッ!』っ!?」
腕の中の少女の眼前…つまり僕の背後に別のスピリットが迫ってきたのだろう。
その恐怖によるものか…少女が息を呑み、首に回されたその腕の力が強まった───刹那、雑木林から小さな影が襲来し、雷鳴のような激音が轟いた。
「「っ!?」」
影の正体は、ふわふわとした白い毛並みを持つ小さな四足歩行の幻獣。
轟音の原因は、幻獣が硬質化させたその尾で僕に迫っていたスピリットを容赦なくぶっ飛ばしたため。
『遅くなってごめん。』
僕を依り代としてくれる相棒がそこにいた。
「いや…十分早かったよ。ありがとう。…有無も言わさずぶっ飛ばしたのはどうかと思うけど。」
『知らないよ。ぼくのマスターに手を出したんだ。…覚悟は、出来てるんだろうね?』
…これはガチで怒ってるようだ。愛くるしいその姿からは想像できない殺気が辺りに漂い、猩猩のスピリット達が怯んだのが一目でわかった。
「それだけ心配したということじゃて。」
「!博士。」
雑木林を掻き分け新たに現れたのは…アーカム博士と彼を背に乗せる一角獣の馬。博士を依り代とするスピリット…ユニである。
「怪我はないかの?」
ユニから降り立った博士は僕と二人に視線をやった。少年の方は…首を横に振ったので怪我はなさそうだ。
「僕と彼はありません。ですが、彼女は足をくじいたようで…。二人をお願いしてもいいですか?」
「うむ。」
「ありがとうございます。…降ろすね?」
「え、あ…う、うん。」
「君、彼女を支えてあげてくれる?」
「わ、分かった。」
展開に着いて来れていないのか、僕と博士とウィズを何度も見やっている少女をゆっくりと地面に降ろし、少年に任せる。
博士とユニが傍にいれば、最悪…争いになっても二人の安全は揺るがないだろう。無論、争いにならないよう努めるが。
「…だからウィズ、この以上の戦闘行為は駄目だよ。非があるのは、彼らの居場所に勝手に侵入したこっちなんだから。」
『………向こうがまた手を出したら、もう容赦しないからね。』
渋々といった様子で殺気を沈めた相棒は、猩猩のスピリット達から視線を切り…定位置の如く僕の右肩に飛び乗った。…さて、
「改めて…勝手に君達の場所に立ち入ってごめん。出て行くから、落ち着いてほしい。」
『『『『『……………………。』』』』』
「それと、僕の相棒が失礼して申し訳なかった。」
深く頭を下げ、彼らの様子を伺う。…迷っている、ようだが…
「あ、あの!」
「…!」
「わ、私もゴメンなさい!」
「ちょっ、おいヒカリ!お前怪我してんのに…!」
「依り代じゃないとここに入っちゃいけないって知ってたのに入ってきてゴメンなさい…!けど、あなた達に何かする気はないし、この場所を荒らすつもりも全然ないの!」
少年の支えを振りほどき、痛む足を引きづりながら…彼女は想いを言葉に綴る。
「ただ、依り代になれますようにって、スピリットの友達が出来ますようにって守り神様にお祈りしたくて…!ホントにゴメンなさい!」
深く…深く、少女は頭を下げ…挫いた足が限界だったのだろう、前のめりにバランスを崩した…ので、慌てて受け止める。
「…俺も、悪かった。そうだよな…誰だって自分の大切な場所に勝手に入ってこられたら怒るよな…。…お前らのこと、分かってなかった。けど、だからこそ分かりたいっていうか依り代になりたいっていうか…あー、もうっなんて言えばいいかわかんねぇ!とにかく悪かった!ごめんっ!」
少年もまた、頭を下げた。
…この二人のことを僕は知らない。しかし、その言葉は信じていいと思えた。それぞれの≪感情≫と≪意志≫がただ直向きに込められているように感じられて…。
『………オマエ、ヨリシロ…ナンダナ?』
「!僕?…一応、そうなるけど。」
『まごうことなくぼくの依り代だよ。』
あと博士も。
『……………ヨリシロ…イルナラ、ココイテ…カマワナイ。』
「…そっか。なら…申し訳ないけど、彼女の足の手当てをさせてくれないかな?出来れば湖の水を使わせて欲しいのだけれど…。」
「え?だ、大丈夫だよ、もう平気─」
『スキニ、シロ。』
「ありがとう。」
その言葉を最後に、猩猩のスピリット達は空気に溶けるように姿を消した。
『…雑木林に戻ってったよ。』
「ん…。」
穏便…と言えるかは定かでないが、事が済んだので安堵の息をつく。…と、そこで一陣の風が雑木林から抜け…一枚の葉が風によってひらひらと僕に支えられる少女の手元まで運ばれてきた。
『…これって、薬草?』
「うん、彼女達の想いが伝わったんだろうね。」
さて、早速処置を─
「お前依り代だったんだな!!スッゲェな!ってかやっぱスピリットってすげぇ!でも俺だって…!」
「……えっと、」
突如前触れもなく凄い勢いでしゃべり始めた金髪の少年。
「いつから依り代なんだ!?ランクは!?スピリットの属性は!!?俺も依り代になれっかな!!?」
「は、はあ…。」
息つく暇もないとはこのことだろうか。返答しようにも話題が次々と変わるので口を挟む隙もない。
そんな中、一方的に話しかけられている僕を見かねたのか、女の子の方が割り込りこんでくれた。
「もうアサヒうるさい!彼困ってるじゃない!」
「何だよヒカリ!邪魔すんなよ!俺は―「うるさくてゴメンね。いつもこうなの。」って聞けよ!!」
「私、ヒカリ。ヒカリ・フィールセンティ。こっちのうるさいのはアサヒっていうの。」
「無視すんなよーーー!!」
「あなたは?この近くじゃ見かけない顔だけど…。」
…どうやら少女は完全に無視を貫く様子。
ギャーギャー喚く少年とそれを慣れたようにスルーし続ける少女という不思議な構図に苦笑しながらも、小首を傾げて返答を待つ少女を無下にするわけにもいかず…僕もまた、自身の名を言の葉とした。
「僕は…シン・クオーレ。」
こうして僕と彼女は出会った。
───物語はここから始まる。
to be continued