1話 雪国へ
「───だいじょうぶ?」
視線の先には、青みを帯びた黒髪を靡かせ、アメジスト色の瞳を瞬かせる少女。
この出会いは偶然か、必然か。
どちらにしても…彼女との出会いが全ての始まりだったと、後に僕は知ることになる。
【ピピピッピピピッピピピッピピカチ…】
……枕元に置かれたデジタル時計に表示される時刻は…AM6:00。
カーテンの隙間からは既に淡薄い白光が差しており、冬から春へ変わりつつあることを感
じさせた。
とはいえ外気温は未だ低く、比較的温暖な気候帯の地域で町一番の大きな建物であり断熱もしっかりしているこのアーカム研究所といえど、肌寒い冷気が部屋に満ちている。
それを噛み締めながらベッドから抜け出し、僕同様先程のアラームで目が覚めた彼らに朝の挨拶をするため視線を向け───気づいた時には白い毛並みを持つ物体が顔面に飛来していた。
「ちょ、ウィ───わぷっ!?」
まだ覚醒し切っていない身体では回避できるはずもなく直撃。
もふもふとした毛並みがクッションとなり大した痛みはなかったものの、仮にも自らの依り代…それも寝起きに対し、手加減してくれているとはいえ体当たりはどうなのだろう…。
…まあ、お陰で目はすっかり覚めたのでお咎めは無しということにし、肩に移った白の肢体を持つ彼に、今度こそ朝の挨拶を交わした。
「おはよう、ウィズ。」
『おはよっ!』
僕を依り代として認めてくれる相棒は、元気一杯に挨拶を返してくれた。
こうして、いつもと同じ一日が始まる。
………少なくともこの時は、そう思っていた。
スピリット。
この世界、スートに存在する不思議な生き物。草木、山、大地、川、海といった自然に宿っているとされる超自然的な存在。通常、彼らの多くは人前には姿を現さないものの、中には波長の合う人間を依り代…つまり、人にも宿るスピリットも存在し、時に人はその力を借り受け、困難に立ち向かった…とされる文献や物語が数多く存在している。
現代においても人とスピリットの交流は続いており、特に大きいものだと、3月に各国それぞれの領地で行われる…同年に13の齢となる子供達と呼びかけに応じたスピリット達による依り代の儀式だろう。今や、少なくない人々がスピリットと共に生活をしており、僕もその一人である。
しかし、彼らの生態等はまだ分かっていないことが多く、ここアーカム研究所を含め、様々な機関で日夜研究や調査、交流が行われている。
…といっても、寝起きに突撃してくるという心臓に悪い交流はどうかと思うが…。基本的に依り代を得たスピリットはその依り代の中で過ごす…という常識を「そんな常識は通用しない」と言わんばかりに、今日も今日とて勝手に顕現し、無邪気に笑いながら僕の右肩に乗っている白いスピリットにはいつもながら苦笑が零れてしまう。
「アーカム博士、報告書のご確認お願いします。」
いつもと同じように、研究所の炊事や掃除を終えた後、先日任されたいくつかの研究資料や報告書の作成し、ここサウスハート国における心隷研究最高峰─アーカム研究所─の所長であるミナト・アーカム博士に提出。
受け取った報告書を隅々まで黙読した博士は満足そうに笑顔を見せてくれた。
「問題なしじゃ。いつもながら文句のつけどころがないのぉ。」
「い、いえ、僕が任されているのは簡単なものばかりですから…。」
それに、博士には一生かけても返しきれない恩義がある。
「…一応、僕の方で受け持っていた作業は区切りがつきましたが…何かお手伝い出来ることはありませんか?」
「!おお、そうじゃった。」
何か思い出したのか徐にポンと手を打った彼は、机下に手を突っ込みながら言葉を紡いだ。…先日その態勢を取ったことで腰を痛め「歳かのぉ」と嘆いていたが大丈夫だろうか。
「君はゼスト博士については知っておるかの?」
「…ゼスト・ナイブス博士のことなら…はい。博士と同じスピリットの研究者で、ノースダイヤの方ですよね?あと、博士の先輩と聞いています。」
何度か学会の場で顔を見たことがある。
「そうじゃ。」
目当ての物を手に取れたらしく、机下から引き抜かれた手には…件のナイブス博士の顔写真が掲載された研究雑誌らしきもの。研究雑誌の見出しには「ノースのスピリット博士、ヴァイス学院理事長就任」。ヴァイス学院というとスノープレシャス領の…
「そのゼスト博士がノースでも有名なヴァイス学院の理事長に来年度から就任することになっての。お世話になった人だから挨拶に行こうと思っとる。」
なるほど…。ノースとなると泊まりがけになるだろうからその間留守を宜しくという─
「でじゃ、君にも同行してもらいたいのじゃが…構わないかの?」
「…………僕が、ですか?」
博士が同行者を連れて行くことは特に珍しいことではない。が、小さな学会程度ならともかく、国を代表するスピリット博士の…これまた国でも有名な学院の新理事長となる方へのご挨拶という場に、研究員の中で最年少の自分を連れていく理由が分からない。同行者は普通は副所長や主席研究員といった人達から選ぶべきなのでは…?ウィズも同感なのだろう、首を傾げている。
とはいえ全て僕らの憶測でしかなく、他の理由所以の可能性だってあるやもしれない。問題ないとは思うが、一応ウィズに「構わないか?」とアイコンタクトを送る……「モーマンタイ」…無問題ね。了解。
「僕らで良ければ、行きます。出発日と在日期間は?」
「出発は1週間後で向こうに大体──」
簡単なスケジュールを確認し、問題のないことを確認。最後に「頼んじゃぞ」と、何故か「楽しみにしておるといい」という言葉と共に差し出されたノースダイヤ行きのチケットを受け取り、諸々準備するため自分のデスクに向かう。
『楽しみだね。』
見知らぬ土地への期待が大きいのか、満面の笑顔を浮かべるウィズ。
「そうだね…ノースは初めてだから、見たことのない文化や景色が見られるだろうね。」
『うんっ!』
この時もまだ、遠出するとはいえ…別段何かを感じてはいなかった。
とある一人の少女と出会うまでは。
to be continued