ゲーム的ファンタジー要素群
私はなろうの特徴を文字とゲームファンタジーだと書いた。そしてゲームファンタジーをプレイヤーとしてキャラクターを動かす自己投影と、世界観の異世界ファンタジーに分けた。
だが実際は世界観の部分で、ステータスってややこしいのがある。これ敢えて外した。理由はゲームファンタジーをステータスで語られるのが嫌だというのがあるんだ。あくまでゲームらしい要素の一つだと思う。その点について違和感がある人に向けて書こうと思うのだが、今やってる無職転生にはステータスが出てこない。だがなろうを代表する作品の1つだと思う。
リゼロのようになろうにあるだけで異世界以外は全然スタイルが違う作品じゃない。多くの転生作品は魔法を独自解釈して魔法のスペシャリストになる作品が多いが、その先駆けであるシーンがあっちこっちに無職転生はある。創始者とは言えないが、後の作品の様々な要素の参考にさせた先駆者であるのは間違いない。
単純にステータスの無い作品もあるからって話じゃない。ステータスがあってもそれほど比重が高くない作品もあるだろう。それと言うのも、ステータスが重要になった原因は追放系ざまぁの反乱がとても大きい。大半の追放系は外れスキル、ステータスとかかわる不遇職の存在がものすごい比重を占めるからになる。
ステータス有り無しじゃなくて、ステータスが物語の中心に座るようになったのは追放系が多くなったからがとても大きい。そういった部分を、ステータス有り無しの話にされてしまいそうだから嫌だというのがある。
ステータス一つを取って書いたけど、実際は魔王と勇者ってのもゲーム的だと思う。魔王と勇者って物語的じゃなくてゲーム的だというのは、妥当すべき敵ってのがゲームに相性がいいからになる。元々そういう物語があるから魔王と勇者ってのがゲームに使われたというのはそうなんだが、勇者の扱いがややこしい。この呼び方明らかにゲームだと思う。ヒーローや英雄でもいうわけだからこの対比の関係になったのはゲームだと断言して良いと思う。
ゴブリンはそうでもないが、スライムが雑魚キャラってこういったステレオタイプなイメージはゲームだと言えると思う。転生スライムが何故スライムが主人公だったのか?は人間じゃないどころか、モンスターの中でも底辺に転生しちゃいましたよ。って点が絶対あったと見ているし、そうやって初期描いてると思う。
元々オバロがモデルだったと聞いてて、人外主人公自体は先駆者ではあるが、創始者ではない。それゆえプラスアルファとして、底辺モンスタースライムこれからどうしよう?って途方に暮れる転生だったものがあったと思う。そういったイメージが読者と共有されるのは、ゲームだと分かる。
その他のゲームっぽい要素としてあげたいがそれをまとめて4本柱にするのはまだ抵抗がある。敢えて補足で書くとって話が今回のテーマになる。4本柱にしないけど注意書きのように余白で説明しておきたいって話になる。
他にもある、スキルのあるなしで語られることが多いが、これはそう単純じゃない。これらは作品によっては才能のようなものとして扱われることもある。その点では経験の結果として覚醒するって形も数多くある。伸ばすべき方向が最初から分かってるだけで、リアルな才能と同じように扱われてるスキルも多々ある。
その場合別になろうに限ったものではない。鬼滅の呼吸と全く変わらないと見ている。修行の結果として発現する特殊能力、必殺技になる。特に炭次郎の場合、水の呼吸を会得したのだが、生来の生業としての炭焼きの家系の部分が関係して、鬼滅をブレイクさせた回では、火の呼吸もかかわるようになっている。
生来持ってる遺伝的才能が開花したように描かれてると思う。スキルは才能と言うものの描き方ととても近い。ゲームに限った話ではない。ゲームには限ってるのは、スキルがあるか?ないか?が経験と関係なく存在するケースだと思う。この場合はゲームっぽいと思う。分かりやすいのがスキルイーターだろう。
スキルコピーはそうでもないが、スキルイーターに奪われたスキルは戻らないってケースが多々ある。この場合、なんで培ってきた能力が消えるの?って奇妙さがあるが、ゲーム的ならそういったステータスが消えるって単純化されてしまう。そういったステータス上の有り無し的な扱いがゲームっぽい特徴となる。
ただこれも、元は神様の加護から始まっていて、本人の能力才能とは無関係に神様が与えたものだから消すことができるって話になる。なろうのベースには転生転移による神の加護があるため。ステータス上のスキルの有り無しと言う単純化がゲームだけのせいとは言えない。ステータスと言うものを単純化して、ゲームっぽさととらえるのが嫌なのはこういう部分もある。
西洋風ファンタジーと言う世界観程重要じゃないが、ゲームファンタジーを形作るうえで無視できない部分を下記余白に書くような注意書きとして今回書いてみた。
ただ注意書きとして追加で書くだけじゃない、元々の意味はなろうがアニメ漫画実写一般小説を含めて人気作が特殊になる理由を書く目的がある点で、外の世界との違いが明白じゃないと駄目と書いてる。普通に一般的に好かれるものを取り上げて、なろうだけの特徴とするのは間違ってると書いてる。
ランキングと言うシステムの性質から偏ってしまうだけのものを読者の好みの反映だとされるのが違和感があって書いてる。そのため、鬼滅の例で書いたが、潜在能力の発現が経験の結果であるのを分かりやすくスタータス化したものは、外の漫画と変わりがないとして書いてる。なろうの特殊性はそれだけじゃないからになる。
後4本柱にするときの言葉が問題で、スタータスだけじゃない魔王と勇者やスライムに対する先入観などもある。それらをすべてまとめたときなんて言えば良いか分からない。敢えて言うなら西洋風ファンタジーじゃなくて、ゲーム的ファンタジー要素群?こんな風にまとめていいのかもしれない。