第六話
煌々とした月明かりも横穴の奥には届かない。
夜闇の中でわたしたちは向かい合った。
「リヴさん、市民で構成されたレジスタンスであるソストスがメガロ王家に対し革命を成功させた事はご存知でしょうか」
「いいえ、知り、ませ、ん」
私は首を左右に振る。
アデルさんは私の答えを聞いて頷いた。その艶やかな黒髪が揺れる。
「大きな動きがあったのはついこの間の事です。知らなくても無理はありません。…メガロ王家やそれに付き従う貴族たちはあまりにも市民の苦しみに無頓着だった。貧しさに耐えながら話し合いを重ねるのも限界だったのです」
なるほど、どうやらこの世界にはメガロ王家という一族の治める国があったらしい。
(国が組織されるほどの規模でこの世界の知的生命体は繁栄しているとこれで明らかになった)
そんな事を考えながらわたしはアデルさんの話に耳を傾ける。
「私たちは決起しついにその手へ勝利を手にしました。多くの犠牲はありましたが、これからは市民たちが手を取り合い国を運営していく…そんな未来が待っている筈でした」
そこで言葉を切りアデルさんは僅かに顔を歪めた。
「革命軍ソストスは主導者である私と補佐を担ってくれる我が友2人を中心に動いていました。王家の軍勢を制圧し、城の露台から勝鬨をあげた時にその友のうち1人が叫んだのです。『主導者のアデルは王家と通じている』と」
その時の事を思い出すように彼は目を閉じる。
行き場のない感情を滲ませながらも、平静を装うようにアデルさんは口を開いた。
「戦いに高揚した民たちはそれを聞いて怒り狂いました。私を殺害しようと押しかけてくる人々はもはや話が出来る状態ではなく逃げるしかなかった」
思う所があるのだろう、淡々と話しているがその瞼は何かを堪えるようにきつく閉ざされている。
「そして私は凶暴な生物が多く人が寄りつかないこの森へやってきました」
その言葉を最後に沈黙が落ちた。
痛いほどの静寂の中、お互いが身じろぎする微かな音だけが響く。
「カルミア…君は何故…」
彼の口から呟きが漏れる。
自分でも無意識だったのか、零れ落ちた言葉で我に返ったようにアデルさんは瞬きをした。
取り繕うように姿勢を正すと彼はこちらへ向き直る。
「話が長くなりました。助けて頂いた事、改めて感謝致します。ありがとうございます」
そう言いながら胸に右手を当て、前へ上半身を傾けた。
(アデルさんの育った国においての礼式か)
わたしも彼に倣い同じ動きをする。
そんなわたしを見てアデルさんは表情を緩めた。
「辺りが暗いですね。灯りをつけます」
アデルさんは近くにあった彼の荷物を引き寄せる。その動作は手探りという表現がぴったりで、わたしは内心首を傾げた。
(洞窟内が暗いとは言えど、こんなにはっきり見えているのに何故?まるで殆ど目が見えていないかのような…)
そこまで考えてわたしは一つの可能性へ思い至る。
(本当にアデルさんには周りが見えていないのだとしたら?わたしは人間ではない。人間と見え方が違う可能性がある)
わたしには鮮明に見えているこの景色も、アデルさんにとっては一寸先も分からない暗闇なのではないか。
(もしかして彼がわたしの風体に言及しなかったのも…)
わたしがそう考えている間に彼は荷物から蝋燭のようなものを取り出した。
「ありました。少し待って下さいね」
アデルさんの手元に火が灯る。
途端に辺りが明るくなり、こちらに視線を向けた彼が瞠目した。
小さく息を呑む音がする。
「リヴさん、その姿は…?」
自分の格好を見下ろす。
全身、余す事なく包帯が巻かれた身体。ここの常識はまだ分からないがアデルさんの服装と比較するにおそらく普通のファッションではないのだろうと分かる。
「不躾な質問で申し訳ありませんが…リヴさんは何らか怪我をされているのでしょうか?」
心配を含んだアデルさんの声を聞きながら言葉に窮する。
多分わたしはリビングデッドという怪物の類で、この姿はそれに起因している。
しかしそれを説明しようにもこの世界において動く死体がどのような扱いを受けているのか分からない。
そもそも死体が動いているのが普通なのかすら謎だ。
(鎌をかけてみるか)
この世界における死体の位置付けによっては言い方次第で討伐対象になるかもしれない。
言葉運びを頭の中で目まぐるしく考えながら恐る恐る口を開く。
「じ、つはわたし、死体…でして…」
決死の覚悟でそう告げるとアデルさんは目を瞬かせた。
「死体?」
聞いた言葉を繰り返すようにそう言って彼はこちらをまじまじと眺め首を傾げた。
「それはどういう?よっぽど酷い傷を負っているという状態を指してそう仰っているのでしょうか」
その顔に浮かぶのは間違いなく困惑だった。
わたしの言った事が本当に理解できていない、不思議そうな表情をしている。
(どうやらこの世界に死体が動くという常識はないらしい)
そう悟ったわたしは考えを巡らせる。
このまま自分が死体だとカミングアウトしても旨みは無さそうだ。
「すみ、ません。冗談で、す」
彼に向かってそう発言する。
「冗談…」
アデルさんは驚いたように目を見開く。
「すみません、私は昔から面白みがない人間と言われていて…冗談も中々理解出来ず…」
「いえ…」
生真面目に返答する彼に向かって首を振る。
実際に冗談ではないので彼は悪くない。
「わたしに、つい、て、はあまり詮索しない、で頂ける、と助かり、ます」
どう聞いても怪しさ満点な言葉。
わたしがアデルさんの立場だったら絶対に納得しない回答だが、彼は何か言いたげな視線を向けながらも首肯した。
「…分かりました。私を害するつもりならいくらでも機会はあった筈です。この森は不可侵条約が結ばれている。そこに居るのだからリヴさんにも何か事情があるのでしょう」
そんな事情は全くないが、とりあえず頷く。
「それで、これからですが…」
話出そうとしたアデルさんの身体から突如ふらりと力が抜けた。
地面へ倒れ込みそうになるのを咄嗟に支えたが、その身体はぐったりとしている。見ると彼の褐色の肌は赤みを湛えていた。
(話しているうちに熱が上がったのかもしれない)
彼の身体へ衝撃が伝わらないように気をつけながら地面へ横たえる。
「もう休ん、だ、方がいいです」
声をかけるわたしにアデルさんは不明瞭な眼差しを向けたが、やがて目を閉じる。
眠りに落ちた彼の様子を暫く伺った後、わたしは静かに蝋燭の炎を吹き消した。