初任務
ボスワース領は牧畜が盛んな一方、有名料理店が多い。というのも、ボスワース領に居住している人の大部分は剣族であり、その中にはナイフや包丁といった、戦闘向きでない刃物を持つ人も多いからだ。
今こうして町を歩いただけでも数十件は料理店を通り過ぎたが、どこも高級そうだ。
「おっアニー、あの子は?」
「んー違うね。あれニワトリだね。」
現在私とカミラは、朝の見回り中である。クレオンはダーシャと同じく見回りに行き、リリィ――リリアーヌの略称である――は白魔族なので、軍医隊とともに別行動をしている。
そんな中で仰せつかった初任務は、『ネコの保護』だった。
「なにか進展はあった?」
「エディさん!」
エディ・サージェント。ボスワース領に所属する先輩隊士で、私たち見習いの指導を担当してくれている人だ。
「僕の方で聞き込みをしてたんだけど、今のとこ誰も知らないみたいだ。」
「ありがとうございます。私たちも、ネコらしきものはまだ……」
「『ネコを町で見かけた』なんて、本当なんでしょうか?」
カミラの言う通り、ネコがご主人無しで歩いているなんて起こり得ない。そもそもネコとは黒魔族の召喚術によって呼び出される上位使い魔の一種であり、あまり見られない。その上剣族が多く住むボスワース領になどいるはずがないのだ。
「さあ……ごめん、僕先輩なのに……役立たずで…………」
「え!? いや全然そんなことないですよ!?」
「そんなことあるんだよ……はぁ、また隊長に殺される……」
「姉さまはそんなことしません!」
カミラは力強く叫んだ。俯いていたエディさんはビクリとしてカミラを見上げた。
「ああ、そうか。君隊長の妹さんだったね。失礼なこと言っちゃったよね……」
「いえ。ただ姉さまはだれに対しても優しいので、人を殺すなんてことしないと、そう言いたかったんです。」
つまりは『失礼なこと』だったのだろう。エディさんは勢いに押されて、小柄な身体をますます小さくさせた。
「そうだね、たしかに隊長は優しいよ。ミスも許してくれる。ごめん。……でも、あの目に見つめられると、どうにも委縮しちゃうんだよね……。」
「エディさんは隊長さんが怖いんですか?」
「怖いというか……いつも無表情で、考えてることがわかんないっていうか」
「姉さまはいつも素敵な笑顔を浮かべておられますけど……?」
「え、笑顔?」
「?」
カミラとエディさんの間に謎の空気が流れた。私はまだ隊長さんの顔を拝んでいないのでなんとも言えないが、果たして二人は本当に同じ人を想像しているのだろうか。
とはいえ、ずっとこの調子では任務が進まないのだけれど。
「きゃあっ!」
「!」
この謎の空気を止めたのは私ではなく、突然響いた悲鳴だった。
カミラもエディさんも、そして私も、咄嗟に声のしたほうへと走った。
前方にはいくらか人だまりができており、エディさんを先頭にかき分けていく。
「すみません、どうされました!?」
見れば、若い女性がガタイのいい男性二人の前にうずくまっているではないか。
「ちょっと君たち、なにしてるんです」
「ああ? 何って当然の権利だろうが」
「権利?」
エディさんが男二人と対話している間に、私とカミラは女性から事情を聞いた。
「買い物の帰りに、『アンタは剣族か』って声をかけてきて……そうですって答えたら、急に……急に腕を引っ張られて……抵抗したらけ、蹴り飛ばされてっ……」
女性は私の袖を掴んで、溢れ出すように泣き出した。見た目から男二人は拳族だと推察されるので、蹴り飛ばされたとなればよほどの痛みだろう。私は背中をさすって慰めた。
その間にカミラはエディさんに事情を説明しにいったようで、エディさんとともに男二人と向き合っていた。
「んだよテメェらはよォ」
「僕たちはセリュジア王国軍隊士です。ご存じない、ということは観光客の方ですか?」
軍隊かよヤベェんじゃねぇの? と、片方は逃げ腰のようだが、もう片方は相変わらず攻撃的だ。
「軍がなんだ。俺らはそこの女に用があんだよ。」
「蹴り倒しておいて、一体どんな用なんです?」
「野暮なこと聞くなよ嬢ちゃん。女として楽しんでやるって言ってんだよ。」
「…………は?」
民衆の目も気にせず平然と、当たり前のことのように言うものだから、カミラもエディさんも思わず反応が遅れた。
「うちの国じゃ俺ら拳族が絶対なんだ。そんで剣族はモノ。奴隷だ。それをどう扱おうが勝手だろうが。」
「…………」
言葉を失ったエディさんを見て、男はひたすら愉快そうに笑った。
「そういやそこの女はどこの種族だ? 剣族でも美人だからかわいがってやるぜ?」
「…………」
カミラの周りを漂う空気が一気に冷気を帯びた。
途端、右手に細長い剣が召喚されると、目にもとまらぬ速さで刀身を抜き、気が付けば男の首元に刃が添えられていた。
「剣族だけれど、ここはセリュジアよ。」
「…………っ!」
男が怯んだのを見て、エディさんはカミラの肩をたたき、剣を下ろさせた。
「あなた方の国ではそうであっても、我が国は多様性を大切にしています。今回は相互の理解が足りなかったということで不問にしますが、セリュジアで観光するのなら、今後一切差別的発言はやめてもらいたい。」
今度こそ男二人は黙り、軽く舌打ちをして帰っていった。
カミラはそれを見届けると、静かにその長い刀身を鞘に納めた。
カミラの剣は以前本で見たことのある形だ。剣の中でも特に、片側にしか刃のない『刀』。剣族にもいくらか使い手はいるようだが、あんなにもすらりと長く、曲線美を持った刀はあまりない。
「大丈夫ですか?」
エディさんは私と女性の方に駆け寄った。泣きながらもずっと腹部を抑えているようだったので、軍医隊のもとに連れて行ったほうがよいと進言した。
するとそこに見回り中のクレオンとダーシャが現れたので、任務のない二人に女性を任すことにし、集まった民衆もいつしか散っていった。
「…………………………ふう。」
一連の騒動が収まりため息を漏らしたのは、私かカミラか、それともエディさんだったか。
三人は顔を合わせて苦笑した。
「初の見回りにしては、少し苦しかったかな……?」
「いえ、私は大丈夫ですけど……」
カミラはいかにも不機嫌そうな顔で、私を見返した。
「国が違えば、法も、価値観も、いろんなことが違ってくると、分かってはいたけれど……やっぱり、悔しいわ。」
「…………うん。」
しばらく無言だったが、エディさんはどこか複雑そうな表情で話し始めた。
「ああいう観光客は、少なくなってきた方なんだけどね。」
「少なく?」
「うん。……完全に戦争がセリュジアからなくなって、現国王が即位なさったから。」
現国王、レオナード・セリュジエ。私が物心ついた時にはもう即位なさっていたが、先々代国王の時代は他周辺国家との戦争が絶えず、先代の頃には戦争は終結していたものの、他国との貿易は行っておらず関係は決して良好とは言えなかったそうだ。。
それが国王の死を機に国を開き、今では世界に数少ない種族多様国家として人気の観光大国となっている。
だが一方で、周辺の国々では相変わらず戦争や紛争は続いており、観光客の中にはまだ差別主義が一定数存在しているというわけだ。
「セリュジアには大量の資源があるから、それを求めてきた国とは貿易を始めたんだよ。もっとも、聖塔を求めてきた国とは、戦力でねじ伏せたみたいだけど……。」
「へえ~……」
カミラは知っていたらしく、国王様はご立派な方だと相槌を打っていた。
……朝も思ったのだが、もしかして私は魔法以外のことを知らなさすぎではないだろうか。
「……カミラ」
「うん?」
「もし残ってたら、学院で使ってた教科書とか貸してくれない?」
「ちょうどいいわ。実家においてあるから、今度一緒にいきましょ。」
カミラに向かって拝むと、いつもの朗らかな笑顔を浮かべてくれた。ようやくいつもの調子に戻った私達を見て、エディさんもまた柔らかく笑った。
「さて、ネコ探しを再開しようか。」