使い魔
「……えーと、君名前なんだっけ」
「ちょ、アニタさんですよ。アニタ・カルレア」
「あ~~あの~……パフォーマンスの子ね。はいはい。」
のっそりと窓から入ってきた副隊長、二ール・スコットは、やっぱりというかなんというか、裸足であった。同じように戻ってきたエディさんのお説教をさらりと受け流しながら、上等な椅子に腰かけてゆっくりと靴下を履いていく。
「だいたいニールさん、いくらクロエ隊長がいないからってこの書類の溜まり具合は……」
「書類といえばアニタ君ー。そのネコは君の使い魔かね?」
なんとも雑な話題転換と、整っているようで適当なその口調に苦笑しつつ、私は首を横に振った。
「最近ボスワース領で見かけられていた、例のネコかと。」
「ほぉー……。」
今度は踵を靴に入れるために屈み、デスクと書類の山で見えなくなってしまった。この人、話を聞いているのかいないのか分からないな。
「あ、あの……」
「君の使い魔じゃないとしたらおかしい。」
「え?」
ようやく靴を履き終えると、副隊長はよっこいせと椅子に背中を預けて、書類の山のてっぺんで悠々と毛づくろいをするネコを指差した。
「使い魔は通常、魔力源である呼び出した術者と行動する。術者との距離が遠ければ遠いほど使い魔に供給される魔力量も少なくなるし、そもそも実体を保てなくなる。だが……」
副隊長は積まれた書類をぐいっと押し出した。崩れ落ちると思われたが、その書類はある程度のところで止まり、自然と元の位置に戻っていった。
「実体はあるし魔法も発動してる。俺ら剣族が操れるものじゃないし、アンタ以外いないだろ。」
「でもニールさん。ネコの目撃情報は彼女が来る前からありました。」
「え~? じゃあ旅行しに来てたとか。どうよ。」
「いえ、ボスワースはこれが初めてで……」
「はあ~~~?」
投げやりな返答にいちいち脱力するが、それはエディさんも同じらしい。肩を落として副隊長の適当な言動を諫めている。
「使い魔が術者なしで歩き回るのはおかしい。……なら、もしかして『生き残り』なんでしょうか……?」
「生き残り?」
エディさんは腕を組みながら、今日一番に集中した様子で話し始めた。
「現在使い魔とされているイヌやネコといった動物、精霊、魔物は、古代に絶滅したといわれる生物たちなんです。絶滅した理由は定かではありませんが、ユリシス・ビェルカが著作した歴史書では神による『二度目の創造』時に耐え切れず姿を消したのではないかと考えられていて……」
「おーいエディくん。要点だけを言いたまえー。」
「あっ、えっと、まあ絶滅したとされているんですけど! なんでもモンテマジョル領では数匹ほど術者のいない野生の使い魔を見つけて研究してるらしくて……」
最初からそこだけを言ってくれたまえよ、と副隊長は椅子を三周ほど回しながら、紙になにかを書き始めた。一、二行ほど書いたその紙を飛行機の形に折ったかと思うと、小さく呪文を唱えて紙飛行機がたちまち闇に吸い込まれていった。属性によって送り方は少し異なるが、文などを送る際によく使う魔法だ。
「じゃあもしかしたら、そいつは飼い主のいないニャンコってことか。」
「可能性としては、ありえるかと。」
「ん~~~~~~~~。」
唸ったまま再び椅子で回り始めた副隊長を、私とエディさんはひたすら見つめ続けた。エディさんに関してはもはやなんの感情も感じない虚ろな眼差しだ。
その状態で二分ほど経った頃だろうか。突然エディさんの前に、ほのかに黄色がかった光の塊が現れたかと思うと、そこからきっちりと折られた紙が飛び出してきた。
「おー、返事はえ~」
副隊長が無造作に広げた手紙を、私とエディさんは後ろから覗き込んだ。
「『字が汚い。重要な案件ならもっとしっかり書け。』……」
どうやら先程副隊長が送った文への苦情が書かれているらしい。下の方に目をやると、そこには綺麗な文字でクロエ・ボスワースと記されていた。
「クロエ隊長に文を?」
「そそ。他の領も絡んでくるんじゃ、あの人にも報告しとかないとさー。」
「いや普通もっとちゃんとした文を送りますよ……なんで紙飛行機にして、しかも一行や二行で終えるんですか……」
「気にしない気にしない。それより赤毛、君テイムってできる?」
「テイム、ですか?」
名前を忘れられて髪色で呼ばれてしまったが、きっとこの人はこういう人なんだろうと強引に納得して、少し考えこむ。
テイムとは、野生の魔物などを従順にさせる黒魔族の魔法だ。成功すれば使い魔と同じように召喚できるようにもなる。また研究職が盛んなモンテマジョル領では、依頼のあった魔物の処理を駆除ではなくテイムし、よく研究材料として使われているらしい。
だが、テイムが許されているのは軍隊や許可を得た研究者だけであり、孤児院を出たばかりの私には知識はあっても使った経験は一度もない。
「えっと、何故ですか?」
「隊長の指示によると、黒魔族にテイムさせてみて、成功するかしないかでこのネコが本当に野生か、それとも誰かの使い魔か分かるだろうから、やってみろって。」
「え、それならもっと経験のある黒魔族の方にお願いしたほうがいいのでは……?」
「あー……確かに。でも」
正直次に来る言葉は、初めてちゃんと会話してから数十分の私でも予想できた。
「めんどい」
どうやら堪忍袋の緒が切れたようだ。はじめてエディさんが声を荒げた。
「どうしてあなたはそういつもいつも適当なんだ! 副隊長だろう!?」
「おーおー、怒るなんてらしくねないねー。そんなんじゃ参謀なんて務まんないよー?」
「それはこっちのセリフだ! なんであなたみたいなのが副隊長なんてやっているんだ……!」
「そりゃーボスワース隊は実力主義だからさぁ」
エディさんといえば、優しくか弱い、オドオドした第一印象だったからか、目の前で繰り広げられる口喧嘩に少々驚いた。あんなに声が出る人だったのか。それとも単に副隊長の煽りスキルが高いだけか。
いつの間にか書類の上ではネコがすやすやと寝息を立てていて、この場を収めるためにも私は覚悟を決めた。
「あ、あの!」
胸倉を掴んでいるエディさんと、首をだらんとさせた副隊長が同時にこっちを向いた。
「私に試させてください。」
二人は目を合わせると、エディさんは息を吐いて渋々と手を離した。
「……ごめん、アニタさん。とりあえずでいいからお願いできるかな?」
「は、はい。」
とりあえずということは、もし失敗したとしても他の黒魔族の方に何度か試してもらうということだろう。
そこまで責任重大なことではないと分かり安堵するが、それでも初めて使う魔法は少し緊張する。
寝ているネコに意識を集中させ、まずはネコの属性を把握する。
―――属性は、火。
次にネコの身体の一部に触れる。
背伸びをしてやっと届いた鼻筋に触れると、ネコはゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄ってきた。
この調子なら、弱らせたり心を無理やり開かせる必要はなさそうだ。
そして一番の正念場。呪文を唱え、杖をネコと自らの額に当てる。
「アイファ・コラクト」
杖から噴き出た炎が私とネコを包み、そして消滅する。おそるおそる見上げてみると、見開かれたネコの瞳に、テイムされた証拠である紋章が浮かび上がっていた。
「お、成功?」
「いや、確かテイムって名前をつけないと成功とはならなかったはず……」
そう、最後の工程である命名。瞳の紋章が消えてしまう前に付けなければならないのだが、実はまだ何も思い浮かんでいない。
「………………え~っと……」
「ポチとかでいんじゃね?」
「それイヌによくあるやつでしょう。」
徐々に紋章が薄れていく。まずい。なにか、本当に何でもいいからつけなくては。
もうポチでもいいかと思い口を開くが、じっと瞳を覗いた瞬間、とある名が浮かんできて、するりと口から零れていった。
「―――ユア。ユアキム。私と契約しよう。」
紋章がさらに薄まり、再びネコ、ユアキムの目が閉じられる。次に開いた時には完全に消えていて、テイムできたかどうか定かではない。
「……ゆ、ユア?」
耳をピクリと動かして立ち上がると、ユアは書類の上からぴょんっと降り立った。
「にゃあ」
「わぷっ」
……私の顔に。
「ははは、これはテイム成功、かな?」
「た、多分……!」
ユアで視界が狭められているが、エディさんも副隊長もほっとした様子だった。
「赤髪ごくろー。クロエにもっかい文送っとくかー……」
「『隊長』ってつけましょうよ。あと、紙飛行機はだめですからね。」
それと彼女はアニタ・カルレアですってば! と、またわちゃわちゃした雰囲気が流れだす。エディさんのギャップに少し驚いたが、きっとこれがこの二人の空気なのだろうと、今度こそしっかり納得した。……それにしても。
「にゃあー」
―――ユアが紙を整えた時に発した魔法、私の感覚が正しければ火属性ではなかった。あれは、そう。
「……光属性。」




