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ホラー系短編集

遊戯室の怪

作者: 風風風虱

伏線一部回収せず

 そこは、どこまでも広かった。

 灰色の雲に覆われた空の下。白い大地に私は一人、ポツンと佇んでいた。

 茫茫としたとても寂しい世界。

 風すら死んだように息をひそめる。 

 ただ、どこか遠くから歌が聞こえてきた。

 羽虫のうなりのような微かで、もの悲しい歌。



  これはこの世のことならず

  死出の山路の裾野なる

  さいの河原の物語

  聞くにつけても  哀れなり




「……さん、起きて。

(たちばな)さん、起きてってば。

時間よ。起きなさいって」

「んにゃ……

えっ!あっ、はいいぃ」


 私はすっとんきょうな声を上げて飛び起きた。腫れぼったい目をぱちくりすると、目の前に柏木先輩の顔があった。


「えっ、ちょっと大丈夫?

なんか変な夢見てた?」


 ドン引きされているのが手に取るように分かって辛い。


「ああ、えっと、はい……

あれっ、うんと、どうだったかな」


 なにか夢を見ていた、と思うのだけどどんな夢だったか思い出せない。


「ちょっとぉ。本当に大丈夫?

まあ、いいわ。時間だから交代よ」


 先輩は私をベッドから追い出しにかかった。


「オムツはみんな交換したから。

最初の見回りの時には特に問題はなし。

今日は静かで助かったわ。

もうそろそろ、見回りの時間なのでよろしく。終わったら朝の薬の用意をお願い。時間になったら起こして。二人でダブルチェックしましょう。

それじゃあ、お休み」


 先輩はそういうとベッドに潜り込んだ。

 私は少し唖然としながら仮眠室を出た。

 夢を見ているときに強引に起こされたせいかだるかった。頭も少し痛かった。


 眠気覚ましのコーヒーをすすっているとすぐに見回りの時間になった。私は腰を上げると見回りを始めた。 

 私がこの小児科病棟に配属されて2年になる。配属された当初に比べると大分慣れた。最初は一人で見回りをするんだと泣きたくなった。自慢ではないが私は怖い話が大の苦手。そして、この病院は怖い話が多かった。

 深夜の待合室にお婆さんが座っていたとか、廊下をストレッチャーを軋ませながら歩く看護師が出るとか、枚挙に(いとま)がない。入った時にさんざん先輩看護師に脅さ、いやいや教えていただいて、さすが市で一番の大病院と感心したものだ。

 おかげで、最初の夜勤は本当に泣きながら見回ったものだ。あの時のことを思えば私も成長した、と子供たちの病室を回りながら思った。

 途中、おしっこに目を覚ました子をトイレに連れていったり、布団を掛けてあげるついでに天使のような寝顔に癒されつつ見回りをそつなくこなしていく。

 そうしているうちに私はある病室の前で立ち止まった。

 その個室病室の(あるじ)は八歳になる女の子。名前を美住(みすみ)陽子(ようこ)ちゃんと言う。

 陽子ちゃんは小児癌の末期。そして、この子のために私たちがしてあげられることはもうあまりない。

 余命2ヶ月。

 それが陽子ちゃんに下された診断だった。勿論、本人には内緒だ。

 私はそっとドアを開けると中に入った。

 彼女の様子を見ようとしてはっとなる。ベッドはもぬけの空だった。

 私は慌てて部屋を見回す。そして、すぐに胸を撫で下ろした。窓際で目指す女の子を見つけたからだ。

 窓際に立ち、陽子ちゃんはじっと外を見つめていた。窓を通して月の光がひどく明るく射し込んでいた。

 私は声をかけようとして、その声を飲み下した。窓辺に佇み、なにかを願うように一心に外を見ているその少女は銀色のベールに包まれてそのまま空に昇っていってしまいそうな、そんな神々しさと儚さがあった。

 不意に彼女は私の方に顔を向けた。

 その目は悲しみの色を湛えていた。お腹が痛いとか、気持ちが悪いというようなそんな単純な苦痛からくる悲しみではない、もっと深い、海の底の深淵(アビス)から沸き上がってくるようなものだった。


「どうしたの。眠れないのかな」


 私は努めて明るい笑顔を浮かべ、言ってみた。

 

「看護師さんは人が死んだらどこへいくか知ってる?」

「えっ?!」


 私は薄ぺらな笑顔を凍りつかせたまま固まった。『死ぬ』とかを絶対に使ってはいけない相手からその単語が出てくるとは思わなかった。おまけに質問の内容も難しい。

 

「さ、さあ。きっと誰にも分からないと思うよ。それよりはもう寝ないと。ねっ?」

「人は死んだら――」

 

 私の言葉を完全に無視して陽子ちゃんは言葉を続ける。


(おこな)いの良い人は極楽に、悪い人は地獄に行くの」

「えっ?ま、まあ、そういうことを言う人もいるかしらね。

でもね、それは本当かどうか分かんないし、陽子ちゃんは死ぬなんて考えちゃいけないよ。ちゃんと治るんだから」

「看護師さん、嘘つき。

嘘つきは地獄に行って舌を抜かれるよ」

「嘘って、やだなぁ、嘘なんてついてないよ」


 私は内心どぎまぎしながら答えた。


「わたしが治るって嘘ついた」


 私の胸がずきりと痛んだ。


「わたしは治らない。もうすぐ死ぬの」


 陽子ちゃんは私を睨みながらいった。この強い断言に私はたじろぐ。でも、ここで慌ててはいけないと自分に言い聞かせる。


「誰かにそう言われたの?」


 出来るだけ落ち着いた低い声で聞く。すると、陽子ちゃんは目をそらすと、嘘つき、と呟いた。


「わたしはもうすぐ死ぬの。

子供は死ぬと地獄に行くの。『さいの河原』って知ってる?

わたしはそこに行くのよ」


「駄目よ!」


 自分でもびっくりするぐらいの大きな声が出た。私は窓のところへ走っていくと、さっとカーテンを閉じた。陽子ちゃんを包んでいた月の光が遮られた。私は陽子ちゃんを抱き抱えるとベッドに運んで座らせた。


「変なことを考えちゃ駄目。陽子ちゃんは地獄なんか行かないから。死なないから。ちゃんと治るから」


 私は陽子ちゃんの肩をぎゅっと抱きしめて言い聞かせようとした。ところが陽子ちゃんは私を突き放した。思った以上の力に私はよろめき離れた。陽子ちゃんは怒ったような表情で私を見たが、ふっとベッドに横になった。ごろりと背中を見せると、出てって、と小さく言った。


「なにかあったらナースコールで呼んでね」


 私は少し悩んだけれど、一声かけて部屋を出るのが精一杯だった。ナースステーションに戻った私はやり場のない無力感に包まれた。


□□□


「そんなこと言ったの?」


 柏木先輩は少し驚いた表情で言った。

 先輩と朝の薬の読みあわせが一区切りした時、私は陽子ちゃんの話をした。自分だけで抱えるには重すぎた。


「誰かに言われたの?」

「さあ、聞いてみましたけど、言われたとも違うとも言いませんでした」

「雰囲気かなんかで察したのかしらねぇ。

子供って無邪気なようで勘が良いから……」


 先輩は考え深げに呟いた。それをみているうちに私はもう一つ気になっていることを聞いてみることにした。


「あの、柏木さん。『さいのかわら』って何ですか?」

「えっ?なにを急に」

「いえ、これも陽子ちゃんが言ってたんです。

私は『さいのかわら』に行くんだって」

「そんなこと言ったの?

ふーん。そう」


 先輩は強ばった顔でため息をついた。


「それで、『さいのかわら』ってなんなんですか?」

「『さいの河原』ってのはね、死んだ子供が落ちる地獄よ」

「えっ、何で子供が地獄に落ちるんですか。

なにか悪いことしたから?」

「親よりも先に死んだ子供が落ちると言われているわ。親よりも早く死ぬのが親不孝だからってことよ。

でも、それが本当なら、病気や事故で死にたくなくても死んでしまった子供も親もたまったもんじゃないわよね。

もしも、『さいの河原』なんてものがあって、そこに実際子供が落ちるっていうなら、自分が馬鹿なことをした結果、死んだ子供って条件をつけるべきよね」

「それで、その『さいのかわら』に落ちちゃった子供はどうなるんですか?」

「『さいの河原』はね、だだっ広いところでね。河原によく落ちてる丸っこい小石が辺り一面を覆っているの。そこで子供たちはその小石を積んで塔を作るの。

『一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため』ってね。石を最後まで積めたら成仏できるんだけど、積み上げる前に鬼が来て塔を崩しちゃうのよ。何度やっても石塔が完成することはないの」

「それじゃあ、成仏できないじゃないですか。そんなのひどい!」 

「ひどいわよ。だって地獄だもん」


 事も無げにいい放つと、先輩はぐるぐると首を回して肩の凝りをほぐし始めた。


「ちょっと、師長に申し送ってこうか。

八歳の子供が『さいの河原』なんて言葉を知ってるとは思えないわ。

馬鹿なことを吹き込んでる不届き者がいるかもしれない」


 先輩の目は少し怒っていた。


□□□


    二つや三つや四つ五つ

    十にも足らぬおさなごが

    父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は

    この世の声とは事変わり

    悲しさ骨身を通すなり


 やはりそこは茫茫とした空間で、空はどんよりと鬱屈した雲に覆われていた。

 白い大地と思っていたものは実は(こぶし)か、その半分ぐらいの大きさの小石だった。

 私はしゃがみこみ何故か石を積み重ねていた。変に角が取れてすべすべした石は積み重ねようとしても不安定で、何度やっても音をたてて崩れるのだった。

 どこか遠くの方から歌が聞こえてきた。

 前、聞いたのと同じもの悲しい歌だ。


    かのみどりごの所作として

    河原の石をとり集め

    これにて回向の塔を組む



 私は目を覚ました。

 見慣れた仮眠室の天井が見えた。

 頬の違和感に手をやると、ぬるりとした感触。私は寝ながら泣いていたことに気がついた。


「あれ、早いね」


 ナースステーションに行くと、三原(みはら)さんが驚いた顔をした。

 

「交代にはまだ一時間ぐらい早いよ」

「うん、なんか変な夢見て。もう寝れそうにない」


 三原さんは、私の一年先輩だけどほぼ同年代なのでタメ口で話せる気心の知れた同僚だった。正直、三原さんとの夜勤は楽しい。


「夢?どんな夢。怖いやつ?」

「う~ん、よく覚えてない」

「なんじゃそりゃ」


 頭を掻きながら答える私に呆れながら三原さんはコーヒーを出してくれた。


「ちょっと早いけど見回りに行ってきます」


 手持ちぶさたになった私はそう言うと席をたった。


 私は見回りの途中、一つの個室病室の前で歩みを止めた。今は無人だ。一週間ほど前まで美住陽子という女の子がいたが治療のかいなく亡くなった。陽子ちゃんが、私は死ぬと言った、あの夜勤の出来事が思い出された。


 嘘つきは地獄に行って舌を抜かれるよ


 まざまざとあの時の言葉が思い出された。結果的に私は嘘をついたのだ。ならば、私も地獄に落ちるのか、と思った。


 ナースステーションへ帰る途中で、私は立ち止まった。そして、耳を澄ます。なにか変な音がした気がしたからだ。


カチャリ


カチャリ カチャリ


 なにか固いものがぶつかり合うような音がする。どこからだろうかと回りを見回すと一つのドアが目についた。

 遊戯室。

 昼間、子供たちが遊ぶための部屋で、玩具とか絵本が置いてある部屋だ。

 私はそっと遊戯室のドアに耳を当てた。


カチャリ カチャリ


 確かに音は遊戯室から聞こえてくる。


「誰かいるの?」


 声をかけた。返事はない。耳をつけたまましばらく様子を見ていたが、もう音はしなくなっていた。

 私は遊戯室のドアを開けて中に入った。

 真っ暗で何も見えない。

 入口の電灯のスイッチを入れる。


「えっ?」


 目に飛び込んで来たものに私は絶句する。

 遊戯室の真ん中に積み木が何個も積み上げられていた。まるで塔のようだった。

 少し混乱する。

 机の下や棚の影に誰か居ないかとキョロキョロと見回したが、誰もいなかった。

 心拍数がバクバクと早くなった。


 こんなの、誰かが遊んでいて片付けなかっただけよ


 そう、私は自分に言い聞かせる。


 音もきっと空耳だから


 元来の怖がりの虫が現れて、無性に怖くなった。


「こんなもの!」


 私は積み木を乱暴に突き崩した。積み木は他愛もなく床に散らばり転がった。

 私はしばらく遊戯室の真ん中に立ちすくでいたがだんだんと落ち着いてきた。

 そして、馬鹿なことをしたと反省した。遊戯室に積み木が積み上がっていたからといってなにをそんなに怖がる必要がある?

 私は床に散らばった積み木を片付け始めた。


「あれ」


 一つ足りない


 と、思った。その積み木はセットになっていて、家の形をした木の枠にきちんと隙間なく入れるようになっていた。

 長方形やL字、十字形と色々な形をした積み木を決められ配置で入れないと入りきらないようになっている。それも遊びの一種で、それを楽しむ子供もいた。

 けれど、今は何度やっても三角形の隙間が一つ出来てしまった。間違いなく積み木が足りない。落ちていないかと部屋の中を探したが見当たらない。

 私はあきらめて、三角形の隙間が空いたまま、積み木を棚に戻し、ナースステーションに戻った。


「遅かったわね。なにかあったの?」


 三原さんの質問に私は、何でもない、と答えた。三原さんは少し変な顔をしたけれど、その後すぐに仮眠室へ行った。

 私は一人でナースステーションでじっと夜が明けるのを待った。

 遊戯室の積み上げられた積み木がずっと頭を離れなかった。あれは一体なんだったのか。ずっと気になった。


□□□


    一重組んでは父のため

    二重組んでは母のため

    三重組んではふるさとの

    兄弟我身と回向して

    昼は独りで遊べども

    日も入り()いのその頃は

    地獄の鬼が現れて……

 


「橘さん、ちょっと起きなさいって」


 肩を揺すられ私は目を覚ました。


「えっ、えっ?」

「えっ、じゃないわよ。

しっかりしなさい。居眠りなんてバレた大目玉よ」

「あっ、はい。すみません」


 私は突っ伏していた机から弾けるように飛び起きた。いつの間にか眠ってしまったようだ。

 ずきりと頭が痛んだ。


「大丈夫?見回りから帰った時も顔色悪かったから、調子悪いんじゃないの?」

「いえ、大丈夫です。朝の薬の準備しますね」


 私は無理矢理笑うと言った。


□□□


 申し送りも完了して、長い夜勤がようやく終わった。

 私と三原さんは一緒に帰路につく。その途中、私はふと遊戯室が気になり、覗いてみた。

 そして、固まった。

 遊戯室の真ん中にまた積み木が積み上がっていた。


「なんだしょうがないなぁ。誰かが遊び放しにしたな」


 固まった私の肩口から中を覗いた三原さんはそういった。


 いや、そんなはずはない


 積み木はちゃんと私が片付けたのだ。


 三原さんが積み木に手をかけようと中に入ってきた。私の体に稲妻が走った。


「ダメです。それにさわっちゃ駄目!」


 思わず私は叫んでいた。

 分かったのだ。全て分かったのだ。


「『さいの河原』の石塔なんです!!」

「えっ、なに。『さいのかわら』?」


 まくし立てる私に三原さんは困惑する。


「陽子ちゃんの石塔なんです。成仏するために、石の代わりに積み木を使って……」


 私の頭に積み木を納める木の枠の隙間がよぎる。


「ああ、だけど、積み木が足りなくて、石塔が完成しない……成仏できない。

探さないと。

三原さん、一緒に探してください」

「えっ?探すってなにを」

「積み木です。三角形の積み木がこの部屋のどこかにあるはずなんです。それを探さないと」

「えっ、積み木?

いや、いいけど……えっ?なんで?」


 理由は後で話すと、三原さんを押しきって、私たちは積み木を探した。30分ほど探し回って、本棚の奥で赤い三角の積み木を見つけた。


「あった、あった!」


 私は震える手を押さえながらその積み木を部屋の中央の積み木の塔の一番上にそっと置く。

 そして、手を合わせて一心に祈った。


 どうか、陽子ちゃんが安らかに成仏できますように、と。




 






 





2019/08/29 初稿

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[一言] 夏のホラー2019から来ました。『さいの河原のうた』が静かな雰囲気の中、厳かに聞こえてくるような気がしました。大きな病院で会談に事欠かないということですので、もしかしたら陽子ちゃんもそのうち…
[一言] 自分の知っている地蔵讃歌は鬼もお前らが現世に執着するから両親が悲しむだろと言っていますし、鬼の行いは幼子が現世の執着を捨てられる様にやっている業務っぽかったです。刑期(たぶん親が未練を断ち切…
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