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人生の主人公

作者: かざふりょじん(風吹旅人)

映画やドラマで、自分は主人公になれるだろうか、と考えることがあります。

主人公とはいつも物語の中心にいる人です。

だから、みんなが注目してくれますし、玉が飛んできてもアッサリとはやられません。

しかし、自分に関して言えば、そんなに皆んなが関心を持っているとは思えませんし、玉が飛んでくれば百把一絡げで討ち倒されるその他大勢の一人にしか思えません。

しかし、自分の人生では自分は取り換えの効かない唯一無二の存在です。

どんな人生でも、一人一人がかけがえのない生命を生きているのです。

◾️黄昏の日々


「あなた、また今日も1日うちの中なの。少しは風に当たらないと身体に悪いわよ。」


まったく、掃除、洗濯、飯の用意、朝から晩まで動き回っているのに、おまけに亭主の世話まで焼くとは、まったく女ってえのは大したもんだ。

オレと言えば、日長一日、また今日もどう過ごそうか、自分の身体を持て余してるって言うのに。


「あなた、まだ70とちょっとなんだから、家にこもってばかりじゃ勿体無いわ。はやく老け込むわよ。」


ほっておきやがれ。


「お隣のご主人なんて、もう85歳なのに毎日どこかに出かけてるわよ。」


あの爺さんは特別なんだよ。未だに老人会の世話役なんかに祭り上げられて、張り切って行事なんか企画してるんだから。

オレはそんなボランティアなんかに使われるのはゴメンだね。これでも、現役の頃は800万ドルの男って言われたんだ。

それに、「もう85なのに」なんて、まるで動いているのが奇跡みたいに言われて、心の中でカウントダウンされてるのってどうなんだ。

それより、今更生産能力のない人間は、無駄に世の中の資源を消費せず家でひっそり過ごすべきなんだ。

そうして、いつの間にやら溶けて無くなっちまうように消えていなくなるのが老人の嗜みってもんじゃないか。


◾️一番残酷なこと


昔、うまいことを言ったヤツがいたな。

「歳をとって一番残酷なことは、若くて良かった時のことを覚えていること」なんだと。

全く、その通りだ。

オレはこれでも若い頃は世界を股にかけて海洋プラントの建設に飛び回ったもんさ。

そう、真っ青な海の上にあんなたいそうなものおっ建てるんだぜ。

オレは心から自分の仕事に誇りを持っていたし、このために生まれたんだと思っていた。

子供たちも、「一番尊敬しているのはお父さんです」っていつも作文に書いてたしな。

オレは特別な人間だったんだ。

そして、オレがプラントを一つ建てるたびに、会社に何十億も利益が転がりこんだ。

だから、会社の連中も有り難がって「800万ドル」の男って持ち上げてくれた。

そんなことをしながら、いつの間にかオレも65の定年の歳になった。

ほんとはまだまだやれたけど、ま、後進に花道を譲らなくちゃならないし、男は引き際が肝心って言うしな。

それで、少なくない退職金を貰って、40年以上の会社員人生に幕引きをした。

それからは、いつも家を空けて寂しい思いをさせていたうちのヤツに孝行をと思って、次から次といろんなところへ連れて行った。

本当に行っていないのは、南極と北極くらいじゃなかろうか。

だが、そんなことも5年もやっていたら、なんとなく飽きちまった。

仕方なく家のあるこの町にへばりついて静かに生きようとしたんだが、それで気がついた。

オレは小金はあるが、それ以外は何も社会から期待されていない存在だと言うこと。

子供たちも自分の生活が優先と見えて、すっかり行き来が途絶えている。

町に出れば「おじいちゃん」「ご老人」「高齢者」だ。

口では丁寧に接してるフリはしてるが、腹ぞこでは「もう、あんたに何も期待してないよ」って思っているのが分かるんだよ。

ああ、嫌だ、嫌だ。


◾️刻まれる命


オレは、当年とって72だ。

まだ、若いって?

よしとくれ。

平均寿命って言葉を知っているか?

日本の平均寿命ほ、80.7歳。

もし仮に、80歳までが生きることが約束されている年齢だったとして、それまであとたったの8年。それ以上生きたら、おまけの人生ってことになる。

あとは、どこまでレコードを伸ばすか、役所も周りもカウントを始めやがる。

生きるってのは、そんな伊達や酔狂でやるもんじゃない。

皆んな、1日1日生命を噛み締めながら生きているんだ。それは、あんただって同じだろ。

なのに、周りから生きている長さをカウントされながら生きるってのはどうなんだ。

じゃあ、いいだろう。

あと8年と決めようじゃないか。

そうすれば、1日1日の大切さが分かろうってもんさ。

あと、7年と364日、あと7年と363日って具合にだ。

それで1日が終わるときに、今日は悔いなく生きられたか振り返ろうじゃないか。

そして、最後の1日を終わるまで、血の一滴まで絞り出すように生き切ってやる。

オレは、生命のカウントダウンを人任せなんかにしてやるものか。


◾️消化試合


などと言っても、それば全部年寄りの強がりさ。

そもそも、一分一秒無駄にしないように気張ったら、身体と気持ちがついてこない。

そうだろ、少し一生懸命何かをすると、その倍の時間は休まなけりゃならない。そして、気がつきゃ、ボーッとして時間ばかり過ぎてる。そんなことで、この間「あけましておめでとう」と人の顔さえ見れば言っていたと思ったら、もう来年の年賀状の準備をしている。

これで、もう一年。

あと、8回もこれを繰り返したら時間切れなんて実に儚いもんさ。まるで今更勝つ見込みもなく、何も期待することができない消化試合をさせられているようなもんだ。

そして、この虚しい人生の幕切れに気づいちまった年寄りはひたすらゲームのリセットを願っている。

それが過去何千年も繰り返した言われたあの言葉。


「ああ、早くお迎えが来ないかのう」


そう、オレ達があれほど尊敬し、焦がれた大先輩宮田さんすら、きけない口で毎日言っているに違いない言葉なんだ。


◾️生きる意味


宮田さんは、オレ達が新人の頃から世話になっていた先輩で、ちょうど20こ離れている。

若くして部長を務めるほどの切れ者だったが、オレら若手をよく可愛がってくれた。

今は希少な戦争出征組の生き残りで、よくオレらに語っていた言葉が忘れられない。


「なあ、オレ達世代は、もうお前らの年齢で生き死にの自由がなかったんだぞ。女も知らない、人生の何たるかも知らないような若いヤツらがお国のためとか言う大義名分で生命を散らして行ったんだ。なあ、オレは幸いにして今こうして生きていられるが、アイツら何の為に生まれて来たんだろうな」


そして、なき戦友の人生まで背負ってよく働いていた。巷じゃ、「海洋プラント建設のパイオニア」とか言われて、最後は副社長まで務めた人だった。

しかし、宮田さんがいくら偉くなっても、オレ達との交流は絶えなかった。

年に数回は「ミヤタの会」と称し、宮田さんを中心にして、それぞれいろんな立場に出世した同僚が集まって飲んで語りあった。

いくら忙しくても宮田さんはそれに付き合ってくれたし、宮田さんが副社長を最後に引退をした後もオレ達有志で年一回の「ミヤタの会」を開いていた。

それは、とても懐かしくて楽しい集まりだったが、その宮田さんが自宅で脳梗塞に倒れ、寝たきりになってからは揃って病院に見舞いに行くのが「ミヤタの会」になっちまった。

80過ぎても髪の毛も、歯も全部残っていた若々しい宮田さん、いつまでもオレ達の良いリーダーだったのに、今は病院を見舞っても満足に口をきくこともできない。

ただ、年に一回「ミヤタの会」に顔を揃えて見舞ったオレ達を見て、うっすらと目に滲ませる。それで、「ああオレ達が分かるんだな」って思う。

でも、宮田さん、戦争に生き残ったあんただったが、散って行った戦友の分まで悔いなく生きられているのかい。

こんな人生の幕切れを喜んで受け入れているのかい。


◾️少女の微笑み


そして、今年もまた気の乗らない「ミヤタの会」の日。

もと同僚たちと連絡を取り合って訪問の日を決める。

だが、最近は参加者も減少傾向。薄情な、とも思うが、一概に責める気持ちは起きない。

何故なら、本当はオレ自身もやめちまいたい。でもいつの間にやら、オレが発起人だったってことになっているから、やめるにやめられない事情もある。

結局、今年の「ミヤタの会」はオレも含めて3人で行くことになった。

昨日のうちに用意した見舞いの品を持って、一応上にはジャケットを着て家を出た。

地下鉄とJRを乗り継いで、1時間ほどかけて宮田さんが長期入院している病院に着く。

本当のところ、長期入院は病床数の関係でできないはずだが、そこは宮田さんのコネで無理がきくらしい。

さて、病院にはかなり早く着いちまった。

他のヤツらが集まるまで1時間以上ある。

まあ、家に居てもやることなかったしな。

それで、広い病院の待合の片隅に陣取って時間を潰すことにした。

売店で雑誌とコーヒーを買ってページをめくりながら、見るとも無しに病院の薄く青みがかったガラスを通し外を眺める。

嫌な空だ。

黒く厚い雲が空いっぱい垂れ込めている。まるで今の自分の心と、これからの自分の未来を暗示するようじゃないか。

やがて、車椅子に乗った小柄な少女が、母親に押されてオレの隣にやって来た。


「いい?お母さん、お買いものに行ってくるから、ちょっとここで待っててね。」


「あ、あ、いいお。」


低く絞り出すように少女が答える。かなり喋りづらそうだ。

母親はそれを聞いて、安心したようにその場を離れて行った。

障害があるのだろうか。ぎこちない喋り方を聞いて、思わず隣の少女に目を向けた。

年の頃なら、13、4くらいであろうか。

黒髪をおさげに結んで肩に垂らしている。

前髪の下には不似合いな大きなメガネ。

分厚いレンズの下でキョロキョロとよく目が動く。

そして、顔全体が腫れぼったい感じがする。口からは、ああ、口からはだらし無くヨダレが垂れているじゃないか。

ピンクのジャンパーを着た小柄な少女は、明らかに障害を抱えていた。

(かわいそうに、あんたも厄介な身の上に生まれついちまったもんだな。)

思わずしげしげと眺めちまったオレの無遠慮な視線に気づいてか、少女は俺の方を見てニッコリと微笑んだ。


◾️たった一つの人生


その笑みには軽い驚きを受けた。

正直、オレたち老人や、障害を抱えた子供ってえのは、大抵世の中を拗ねてしかめ面をしているもんだと思いこんでいたから。

しかし、障害者をジッと見るのは良くない。

オレは自分のしたことが恥ずかしくなって思わず視線を逸らした。

すると、少女は人懐こい性格らしく、オレに話しかけてきた。


「えお、おじさあん、どこおがあ、悪あるいのお?」


「え・・・?」


そうか、病院に座っている老人は皆んな病気持ちってわけだ。


「いや、別にどこも悪くはないよ。知り合いの見舞いに来たんだ。」


「そ、そお、よかあったね、ああたし、うまあくしゃべれえないびょおきなあの。あと、足いも悪あるいのお。」


言葉はたどたどしいが、しっかり受け答えをしている。頭は至って聡明らしい。


「そうか。おじさんの知り合いもね、もう歩くことも喋ることもできないんだよ。」


「そおお、かあいそお。もう治らあないの?」


優しいんだな。自分だって相当たいへんだって言うのに。


「ああ可哀想だ。もう死ぬまで治らない。」


「ああたしも、死ぬまで治らあないんだよ。」


「つらいかい。」


「わあからない。だあって、わあたし、生まあれてからずっとこおのままだあから。」


「せっかく生まれるのなら、他の子のように健康に生まれたかったんじゃないか。」


本当はそんなこと聴く気は無かった。

しかし、無意味で残り少ない命を呪っているオレや、残酷な人生の幕引きを強いられている宮田さん、でも人生にはまだ良い時があった。でも、この娘にはそんな記憶もない。

そんなつまらない人生に何の価値を感じて命にしがみついているのだろう。

できることなら、あっさりこんな人生リセットして一からやり直せたら良いだろうに。

しかし、その問いかけに少女は強くかぶりを振った。


「ちがう!ちがう!」


それはビックリするくらいの大きな声だった。


「ああたし、つうまらない人生じゃなあい。ああたしだあけのたった一つの人生。だあれかが、勝手に決めちゃだあめ。」


私だけのたった一つの人生。

不意の重い言葉にたじろいでしまった。


「それは済まなかった。おじさんが悪かったな。」


「おおじさんは、生きるうのがつうまらないの?」


もちろん、大人らしく良識ある答えもできた。つまり、嘘を言うこともできた。

しかし、どう言う訳か素直な気持ちが出た。


「ああ、そうなんだ。人生の良い時は終わっちゃったから、後はツマラナイ時間が残っているだけなんだ。まるで、映画が終わってエンドロールを見ている気分だよ。はやく、席を立ちたいな。」


◾️笑って死ねる人生


「おおじさん、こおんな話をしいっている?

あのね、ふうかい海の底に目えの見いえない亀が住うんでいたの。そおの、亀はひゃあく年に一回だあけ、海のう上に顔を出すの。

海のう上には、丸太あがう浮かんでいいてえ、ちいいさあいあ穴が空いているうのお。

そおんな目のみ見えない亀がう海の上にひゃあくねんに一度顔を出して、丸太あのちいいさあな穴にあ頭を入れえることがああると思う?」


それは、あれだろ、有名な『盲亀浮木』の喩えだ。

お釈迦様が、人間に生まれることがどんなにたいへんかを喩えで教えたものだと、昔近所の和尚から聞いたことがある。


「丸太は広い海の中だから、はるか遠くに浮かんでいるかも知れないな。たまたま、近くに漂ってきても、亀は目が見えないから丸太目掛けて泳いでは行けないし。あと、百年に一度しか浮かび上がらなかったら、100億年でも一度あるかないかのチャンスだろう。」


これは皆んな和尚の受け売りだ。


「そおお。」


少女は、嬉しそうに顔を輝かせた。


「そおれくらい、人間にう生まれるのはたあいへんなあの。そおやって、やあっとう生まれたんだもおの、ああたしの人生がつツマラナイもおのじゃだあめなの。」


そう少し上気した少女の顔に、窓の外からさした日の光が映えた。

雲が切れてきたようだ。


「ごめん、待ったあ?」


ちょうど、その時少女の母親が迎えに来た。

彼女はかぶりを振って、嬉しそうに母親に手を差し伸べた。

そして、母親に車椅子を押してもらって、窓から差し込んだ光の中を遠ざかって行った。

少女は、オレの方を振り返りながら、ニッコリ笑ってバイバイをした。

決して美少女とは言いがたい彼女が、とても美しく気高く見えたのは光の加減ばかりではなかろう。

しばらく、オレはその場に呆然として座り込んでいた。

時間にして、ほんの2、3分でしか無かったと思う。障害を抱えた少女とのわずかなやり取りが不思議な余韻を残していた。

オレは、自分の人生が思うままにならぬことに腹を立て、周りを毒づいていただけの小さな人間だったのか。

ビジネスとしての仕事は役目を終えても、まだ自分の人生の卒業式を済ませていないじゃないか。

獲難い人生なのに粗末に扱って、70年以上も生きて来た大人として恥ずかしい。

あの子供の方が、障害を抱えながらも自分の生を愛おしんでいる。よほど人間として立派だと思う。

ちゃんと勉強しなきゃな。

人生の卒業式の日にキチンと笑っていられるために。

そして、いつの間にか、陰鬱な雲は払われて青空が窓の半分を占めているのが見えた。


(おわり)



障害を抱えた人を見ると、気の毒に、とか、貧乏くじ引いたな、とついつい安易な同情をしてしまいます。

でも、どんなに不自由な身体でも、取り換えの効かないかけがえのない人生です。

私自身は、そのように自分の生を愛おしく思い、大切に過ごしているか反省させられます。

どこかのセレブのように大いに欲を満たせるだけが人生の価値ではありません。このかけがえのない生命を生き遂げることこそ大切です。

なぜなら、自分こそ自分の人生の主人公なのだから。

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