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薄紅の研究 ―A Study in Pale Red



「どうしてあなた、まだ嘘をついているんですか?」



 トーコ以外の全員が言葉と表情をなくし、一斉にトーコを見たのは、単純に驚いたからだ。

 人によってはそれを、阿呆の振る舞いと見たかもしれない。しかしトーコはそうとは取らなかった。ひっ、と短く息を飲んで、頭を下げる。

「すみません、あの、でも、おかしいです。ごめんなさい、ええと、ええと」

「トーコ」

 あの、とか、その、とか、意味のない言葉を連ねるトーコの肩に手を置いた。トーコの目に焦点が戻って、上水流を捕らえる。

「大きく息を吸え」

「すうー」

「吐け」

「はあー」

「落ち着いたか」

「ありがとうございます」

 にこ、と笑ったトーコは、もういつもの彼女の様子を取り戻していた。

「で。何が変だと思ったって?」

「はい。手紙の発生した時刻です」

 手紙の、発生時刻。

「……胡桃ちゃんは手紙の存在を知らなかった。このことから、胡桃ちゃんが教室にいて、『胡桃ちゃんたち掃除当番が掃除を終えて、胡桃ちゃんが帰り仕度をしていたとき』までは、胡桃ちゃんの机に手紙はなかったことになります」

「……となると手紙は、胡桃が帰った後に、誰かが胡桃の机に入れたんだな」

 とは、鑑。しかし――

 遅ればせながら上水流も、そうではないと気づいていた。トーコがかぶりを振ったから、そのゆるい三つ編みがふわふわ揺れた。

「違うよ、ちいちゃん」

 確定して『違う』と述べるのは早計かもしれないが、ほぼ同じことだろう。

 言わんとすることに気づいていて、上水流は無言で彼女の説明を聞く。

「だって、三谷原くんは言ったもん。――三谷原くんは『今週の掃除当番だった』『掃除が終わって帰り仕度をしていた』さらに『自分の席は胡桃の後ろ』つまり三谷原くんは、ずっと胡桃ちゃんの机を見られる位置にいたことになる。つまり」

「……ミヤシンは、わたしの机にこれを入れた誰かを見ていないとおかしい。だけどミヤシンはそれを『知らない』と言った。ミヤシンが見ていないのだとすれば……」

 だとすればその手紙は、胡桃が教室を出、三谷原が手に取るまでの間に、まるで瞬間移動でもしてきたかのように机の中に現れたことになってしまう。

「トーコ」

「はい」

「だからお前は、三谷原くんがその手紙を入れた人を『知らない』と言ったことに対して、嘘だと思った……三谷原くんは手紙の差出人を知っているはずだという解釈でいいな?」

「はい。そうでないと、説明がつかないからです」

 はっきりうなずくトーコを前に、上水流は言葉を選ぶ。自分が今から行う、彼女の推理に対する指摘が、引っ込み思案で臆病な、彼女自身の否定にならないよう。

「……なら、今からわたしが言う、それ以外の三つの可能性を論破してくれるか」

「はい」

 砕かれることを前提とする可能性。

 アンダーフレームの眼鏡の奥、とび色の瞳が、上水流を映しながらきらきら輝いている。

「一、手紙は、胡桃が教室を出るときに、すでに机の中にあったのかもしれない。二、胡桃が帰ったあと、三谷原くんがほんのいっとき目を離した隙に、誰かが胡桃の机に手紙を入れたのかもしれない。三……」

 右手の薬指を立てた時点で、上水流はさすがに口ごもった。三つめに考えた『可能性』を、今ここで本当に提示していいものか、迷ったからだ。

 しかし、その上水流の考えを汲んでくれた人間がいた。『可能性』自身が、こう言ってくれた。

「『わたしが』何らかの嘘をついている可能性は?」

 彼女が――胡桃真知子が、三谷原を陥れるために何らかの嘘をついている可能性。

 トーコは、うつむいてしばらく自分の右手の指三本を立てたり折ったりしていたが、やがてふたたび顔を上げる。

 その表情にもなお、陰りはない。

「一つめ。『手紙は、胡桃ちゃんが教室を出るときに、すでに机の中にあったのかもしれない』それは……ないとは言いませんが、確率としては相当低いです。

 たとえば手紙が机の奥にあったなら胡桃ちゃんが見落とす可能性もありますけど、手紙は、机の中でも『三谷原くんが覗いてすぐわかるところ』にあったと言います。また、胡桃ちゃんは帰り仕度をしてから教室を出ました。帰り仕度をするのに、机の中を見ない人はそういないでしょう。もし胡桃ちゃんが教室にいたときすでに手紙があったとしたなら、胡桃ちゃんは手紙に気づいていたはずです」

 上水流は、ここにいる全員の顔を盗み見る。異議を唱えたい人間はいないようだ。

「二は?」

「『胡桃ちゃんが帰ったあと、三谷原くんがほんのいっとき目を離した隙に、誰かが胡桃の机に手紙を入れたのかもしれない』それこそ、ないと思います」

 今度はきっぱりと切って捨てた。

「三谷原くんは、今はともかく、基本的には、胡桃ちゃんのお友達……胡桃ちゃんと仲がいい部類の知り合いにあたると思います。そうでなかったら、あだ名でなんて呼ばないでしょう」

 窃盗の疑惑をかけられている今はともかく。

 胡桃を見ると、彼女は「まあ、そうね」と肯定した。

「……さて。『三谷原くんの目を盗む』と言っても、三谷原くんは胡桃ちゃんの机のすぐ近くです。簡単にできることではありません。手紙の主は、『胡桃ちゃんと仲の良い三谷原くん』に、もしかしたら手紙を入れるところを見られるかもしれない。……たとえそれが成功しても、胡桃ちゃんの机の中に入っている手紙を発見されるかもしれない。しかし手紙の主は、『絶対に、万が一にも』三谷原くんに手紙を発見されるわけにはいかないのです」

 想像する。窓の外を鳥が飛んで、三谷原が空を見る光景。あるいは誰かに声をかけられ、三谷原がその誰かに応える光景。

 その瞬間、誰かが胡桃の机に素早く歩み寄り、そしてやはり素早く去る。

 あとに残るのは、薄紅色の手紙……

「机の中に入った手紙が、三谷原くんに見つかった場合を考えてみましょう。……手紙の主が手紙を入れて教室を出た後、『胡桃ちゃんと仲の良い三谷原くん』は、胡桃ちゃんの机の異変……手紙の存在に気づき、胡桃ちゃんに携帯電話で連絡をします。お前の机に何か妙なものが入っているぞ、と。

 不思議に思った部活中の胡桃ちゃんは、教室に引き返してきます。そしてこの手紙を見つけ、三谷原くんと一緒に中身を見ます。そうなると……手紙の主は、とても困ることになるのです」

「三谷原に手紙の中身を見られるから?」

「それもあるけど……違います」

 鑑は腕を組み、胡桃は顎に手を当てた。三谷原は黙って立ち尽くすままだが――

 トーコの説明を聞いて、遅ればせながら、上水流もそのことに気づいた。答えの出ない現状にトーコが不安そうな表情をするより早く、彼女の求めることを言う。

「『今日の放課後』か」

「そうです!」

 言い当てられて、トーコの顔がぱっと輝いた。縦に大きく首を振り、

「先ほど、一つめの可能性で申し上げたとおり、手紙はほぼ確実に、胡桃ちゃんが教室を出たあと、言い換えれば胡桃ちゃんが帰ったあとに、胡桃ちゃんの机に入れられました。……そのことから、胡桃ちゃんがこの手紙を見つけ、読むのは、明日になります。

 つまりこの手紙は、明日読まれることを想定して書かれたものなのです。手紙が指す『今日の放課後』とは、『胡桃ちゃんが本来手紙を読む日の放課後』つまり、本日を基準として考えると『明日の放課後』なのです。

 だから、手紙を今日読まれてしまうことは……差出人にとって、とても、問題のあることだったのです。だって」

指定したはずの日付が、ずれて伝わってしまうから。

つまり二つめの案も、上水流の要望通り論破されたことになる。では――

「三は、有り得ません」

提示した三つの可能性の中で、一番強い否定が返ってきた。

強すぎて逆に不安になったのか、胡桃が首をかしげる。

「なぜ?」

「胡桃ちゃんは、今までに何度も、新聞部としてわたしたちと行動してきました。わたしたちが捜査ソウサ部と呼ばれ、いろいろな事項の矛盾点を見抜いたことを知っています。……嘘をつくつもりなら、わたしたちのもとに来て依頼をした理由がわかりません」

「自首の考えがあるわけでもない限り、泥棒が自分から警察に出向くわけがないってことか」

鑑のたとえに、トーコは嬉しそうな顔をした。

「じゃあ、つまりミヤシンはこの手紙の差出人と共犯関係にあるってことね!」

「いや、待てよ。『教室にいた三谷原が手引きして胡桃の机に手紙を入れた』そこまではいい。だけど、なんでそれを三谷原が盗む必要がある?」

 胡桃と鑑の意見を聞きながら――

 ――すべてに説明のつく案がある。

 上水流には理解ができた。そうだ。そんな面倒なつじつま合わせをしなくても。

 ことの始まり、頭のたった一つが、間違っていただけなのではないだろうか?

「あの」

 上水流が気づけたのだから、もちろんのこと、トーコはとうにわかっている。

 ささやかな声は、まごうことなき事実を伝える。

「……確かにそうではあるんです。わたしの言いたいことは『三谷原くんはこの手紙の主を知っているのではないか?』ということです。だけど」

 しかし。

 ――本当のところを言ってしまうのか?

 トーコは説明をすることに必死で、きっとわかっていない。それを今ここで告発することが、どれだけ三谷原を辱めることに繋がるのか!

 上水流は思う。トーコは言ってしまうのか。トーコに言わせてしまっていいのだろうか。自分は先輩として、彼女を止めるべきではないのか?

 その一瞬、深く考え。上水流が出した結論は――……

「もっと、すべてに説明のつく素直な言い回しが……彼が逃げた理由が……あるような気がして」

 ――まあ、いっか。

 別に三谷原を思いやる義理もないわけである。こみ上げてくる苦笑いを噛み殺しながら横目で三谷原を見ると、彼はすでに、耳まで真っ赤になっている。

 窃盗の疑惑を抱かれ、逃亡し、嘘を重ねてまで、なんとか三谷原が守り抜きたかった真実。それは、

「そもそも、三谷原くんは……手紙を盗んでいたのでは、ないんじゃないかって」

「え?」

 胡桃が急いで、三谷原を見る。

 その顔に、胡桃は。



「三谷原くんは、その手紙を盗んでいた……胡桃ちゃんの机から、取り出していたのではなくて。胡桃ちゃんの机に、入れようとしていたんじゃないでしょうか」



 つまり。

 三谷原が、このに及んで嘘をついた理由とは。

 胡桃への愛を告白した、薄紅の手紙の差出人とは――





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