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踊るトーコ ―the adventure of the dancing ditective




 今日の放課後、新書を借りていった生徒はいない、と貸出係の図書委員は言っていた。

 新着図書でもない古い新書棚だ、犯行時刻から創作部が図書室を訪れるまでに、この本棚から持ち出された本は確実にない――と言うのは早計かもしれないが、まずないと見ていいだろう。

 三谷原に共犯者でもいて本からメモを持ち去ったというならまた話は変わるが、胡桃に現場を目撃されたところを慌てて逃げ出したそうだから、その可能性も薄い。本当に共犯者がいるのなら、犯行中にそいつを見張りに置いておくなりした方がはるかに効率がいいはずだ。

 つまり『本当にあるのなら』、その盗まれたメモだか手紙だかは、今もなおこの図書館にあることになる。犯行時刻から今まで――さて、何時間?

 どれだけ経ったろう。上水流が壁の時計に視線をやると、針は五時三十分を指していた。

 図書室の利用時間は六時まで。暦はまだ初夏にすら至らないから、窓の外はすでに薄暗い。創作部が訪れたとき読書をしていた生徒も、ほんの数名を残しおおかたが帰宅の途についている。図書委員ももうおらず、図書室にいるのは司書教諭の姿と、それから。

「指がめっちゃカサカサしてる……」

 延々本をめくり続ければ、そうなるだろう。

 両手を眺めているのは、明らかに疲れた様子の鑑。胡桃の方は本を一冊手にしているが、もうそれを見るだけの気力はないようだ。

「いい加減、気が済んだか?」

 二人に向け、薄笑いすら浮かべながら胸を張る、三谷原。三谷原を睨むが何も言い返せない胡桃――鑑も胡桃も、もうギブアップ寸前だ。

 しかし、上水流はそれをさほど残念なこととは思っていなかった。鼻息荒く事件に首を突っ込むが志半ばで倒れる胡桃の姿も、捜査人員として働かされヘトヘトになる鑑の姿も、創作部の日常では決して珍しいものではないからだ。

 二人が降参を宣言しようがしまいが、あと約三十分で、時間切れとなる。三谷原の言うように、やはり彼は無実だったのだと説得するべきだろうか。――そんなことを考えながら、頭の別のところでは、また違うことを思っていた。

 今回も、二人に事件解決は無理だった。

 ――では。

『彼女』には?

「……あの」

 そのとき。

 ささやくような、声がした。

「あの……先輩」

「どうした?」

 上水流が声に誘われて振り返ると、そこにはトーコがいた。

 しかし、一人でのんびり本を読んでいたときの彼女とは、雰囲気が少々異なる。

 トーコは胸の前で手を組み、「あの、その」と、迷うようにあちこちを眺めていた――上水流は、トーコの先輩になってもう、一年になる。だから上水流は、こういうときのトーコが何を思っているのか、よく知っていた。

 そして彼女がこういうとき、どういう言葉を欲しがっているのかも。

「何か思うところがあるなら、言うといい。わたしは、後輩の話はだいたい何でも聞くぞ」

 上水流の言葉に安心したのか、眼鏡の向こうの目が緩み、ほっとしたような表情になる。礼を言う口調も、柔らかく。

「……あの」

 それから、トーコは。

 図書室という場所を考えてか、やはり小声で、話し始めた。

「その、胡桃ちゃんが盗まれたっていう、メモなんですけど」

「うん」

「ちいちゃんも、胡桃ちゃんも、さっきからすごく頑張って探していて、でも、見つからないから、もし本当にそんなメモがあるとしたら、三谷原くんは、すごくすごく、見つけるのが難しいところに隠したんだと思うんです」

「うん」

「でも、わたし、いつも、二人みたいにてきぱき動けなくて、ぼやっとしてて、注意力もあんまりなくて。だから、二人が見つけられないものなら、きっと、わたしなんか絶対に無理で」

「……」

「だから、その……」

「うん」

「だから……」

 迷いながら、ためらいながら。

 トーコの手が、不安そうに、上水流に向けておずおずと差し出すものは、

「……『これ』じゃないかも、しれないんですけど」

 いつもそうだ。

 常にどこかふわふわしていて、危なっかしくて、注意力散漫で。毎日毎日、絵に描いたような失敗ばかり繰り返す彼女。

 だけど。

「うん」

 薄紅色の、小さな封筒。名刺サイズのそれは、遠目からは何かのメモ用紙にも見える。

 他の誰もが、見つけらずにいる真実もの

「うん。……きっと、『これ』だ」

 それを見つけるのは、なぜかいつでも、彼女トーコなのだ。



     *



 トーコの見つけたメモ――正確には、小さな封筒だったそれ――を胡桃に見せた瞬間、

「これ! これよお!」

 と胡桃が叫んだので、一行はついに図書室を叩き出されることになった。

 しかしその程度ではへこたれないのが胡桃という人間だ。廊下を歩きながら、興奮冷めやらぬ様子でトーコに話しかけている。

「どこにあったの?」

「本と、カバーの間。付箋の糊部分をテープのように使って、本に貼ってあったの」

 自分の話で相手が喜んでくれているのが嬉しいのか、にこにこと笑顔で返すトーコ。

 胡桃がいの一番に指し示し、トーコが読んでいた例の新書本。そのカバーを外すと、中には付箋が二枚、まだ貼られたままでいた。本の状態と比較して付箋は新しく、また、三谷原がポケットに持っていた付箋の色によく酷似していた。

「カバー、あるいはジャケットとも言うな。それと、本自体の間の隙間。本に隠したと言われて、ページの間しか見なかったことが我々の敗因だったな」

 とはいえ個人戦ではないから、上水流としては、創作部の誰かが解明できれば負けとはならない。言いながら、上水流は三谷原を見た。

 鑑に腕を掴まれた――逃げられないように捕まえておくよう、胡桃が鑑に命じたのだ――三谷原の表情は、いかにも悔しそうに歪んでいる。

 盗品が発見された今、今さら逃げる気も、否定をする気もないようだが、自分の行動を反省しているという様子でもまた、ない。

「本とカバーの間は狭いから、ただ挟んだだけでもなかなか落ちない。付箋自体の粘着力はさほど強くないが、補助、補強としての役割を果たすには充分だ。件のメモ自体も、本とカバーの間に挟んだところで触り心地に違和感を生むだけの厚みはない」

「……チッ」

「で、胡桃」

 三谷原の舌打ちに続いて、鑑。

 胡桃の視線が鑑を向いた。

「何?」

「結局それは、何なんだ?」

 それ。――胡桃が握る、薄紅色の封筒。

 表には宛名も何も書かれていない。ひっくり返して裏を見て、そこにも何も書かれていないことを確認してから、胡桃は言った。

「わかんない」

「わかんないって、お前の机にあったものだろ? だいたい、盗られてあれだけ執着してたのに」

「だって、わかんないもんはわかんないんだから仕方ないでしょ」

「……掃除が終わった後、こいつが荷物まとめて出ていって」

 始まりかけた言い合いを遮るように、三谷原がぽつぽつと語り始めた。

「俺も帰りの支度してたら、こいつの机からその手紙が見えて。こいつが新聞部なのは知ってたから、これも、学内のスクープのネタか何かかと……別に、盗むつもりはなかった。ちょっとした、好奇心だったんだ。だけどそこで、ちょうど胡桃が帰ってきて……泥棒なんて人聞き悪いこと叫ぶから、つい」

「んー。でもこれ、何かしらね。本当に」

 しかし胡桃は、三谷原の動機告白など聞かない。ハウダニットが解明された今、犯人自体はどうでもいいのか、見つかった封筒を興味深そうに観察している。

 しばらく眺めて、外身に情報はないと悟った彼女は、スカートのポケットに手を入れた。

「新聞部ホープ・胡桃ちゃんの七つ道具、その一ー」

 言いながら撮りだしたものは、カッター。カチカチ音を立てて刃を出すと、糊づけされた封筒に刃を差し入れてさくさく切っていった。

 刃が封筒の端から端まで走り終えると、胡桃は指を封筒の中に差し入れる。出てきたものは――色は封筒と同じ。一枚の、やはり名刺サイズの紙だった。

 用紙には、短い文章が書かれている。胡桃が文章に目を落とした――

 その瞬間。

 胡桃の足が止まった。



   胡桃真知子様

   あなたのことが好きです。

   今日の放課後、裏庭に来てください。



「これは……」

 覗き込んだ鑑は、何かを言いかけ慌てて口をつぐんだ。さて、何を言おうとしたのだろうか。

 覗き込んだ上水流がまず思ったことは、ラブレターとは今時古風だな、ということだった。こちらも口にはしなかったけれど。

 手紙の主に指名された胡桃は、手紙の文面を見据えたまま、何かを考えるように立ったままでいる。だけど彼女の佇まいは、驚いているようでも、突然の誰かからの告白を、恥ずかしがって照れている乙女のもののようでもなかった。この顔は……

 三谷原も何も言わない。彼もまた、言うべき言葉を失っているようにも見える。

 突然の告白。妙な雰囲気に陥ってしまった場を打開するのは、上級生としての役目だろうか。しかしさて、何を言ったものだろうか。上水流が顎に手を当てる――

「あのっ」

 先ほどにも聞いたのと同じ声。……しかし今度は、先ほどよりもやや鋭く。

 声の主は――

「……どうした、トーコ」

「あ、あの、すみません、先輩。すみません、その、あの、三谷原くん」

 返事をしたが、上水流にではなく、三谷原に対する呼びかけだったらしい。

 三谷原は少し身構えたようだった。

「何だよ」

 続く返事もまた、硬い。

 しかし、それにトーコの方こそ怖じ気づいたようだった。慌てて頭を下げ、

「あの、すみません。わたしとろくて、いつも失敗とか、勘違いばかりで、お話とかも上手くなくて、頭もそんなに良くなくて。だから、みんながわかることも、なかなかよくわからないこともよくあるので……だから、たぶん違うっていうか……間違ってるかもしれないんですけど……一つ、教えてほしいことがあって……」

 おどおどと気弱そうに続く言葉に、三谷原の毒気は削がれたようだった。

 ふん、と荒く息を吐くことで空気を誤魔化して、

「何がだよ。言ってみろよ」

 その言葉に、トーコの肩から力が抜けた。

 柔らかい笑顔で、三谷原に対し礼を言う。

「ありがとうございます」

 しかし反対に、上水流の胸に、消化不良にも似た異物感が去来する。

 トーコはいったい、何を言いたいのだろう?

「あの、三谷原くん……」

 ゆるめに編まれた髪。胸の前で両手を組み、顎を引き、上目遣いで、自信のなさそうな表情。――しかし。眼鏡の向こうの目は、少しだけ濃さを増したように感じる。

 そして続いた、後輩の短い一言は。

 下校時刻近き、静まり返った校舎内に、よく響いた。




「どうしてあなた、まだ嘘をついているんですか?」




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