盗品失踪のなぞ ―the adventure of the missing stolen goods
「ここが件の本棚よ」
事件現場その二となる、図書室にて。胡桃が『件の本棚』と呼んだそれは、図書室の奥まったところにあった。
安楽椅子探偵なんていう言葉もあるし、捜査には現場検証が不可欠というわけではない。しかし依頼が『なんだかわからないが盗まれたものを見つけてほしい』などという無茶苦茶なものである上、現場がさほど遠くないのであれば、部室に引きこもって悶々(もんもん)とする必要もないだろう。
という上水流の判断のもと、創作部三人と自称『被害者』の胡桃、胡桃称『加害者』の三谷原は、図書室に来ていた。
図書室は三階にある。現場その一にあたる二年B組の教室からは、廊下を歩いて突き当たりを右手に曲がるとたどり着くから、さほど遠いとは言えない。先ほどB組の教室を訪れ、B組から図書室まで廊下を歩いてみたけれど、ものを隠せそうな場所は見当たらなかった。
件の本棚の段数は四、横幅は目測で一メートルくらいか。高さとしては上水流の胸の高さほど。壁に背を向けるように設置され、その向こうには窓があって、見下ろすとグラウンドがある。新書サイズの書籍が並んでいる。
「窓から捨てたとかは?」
「うちの図書室は、鍵がないと開かないようになってるんだ」
鑑の問いかけは胡桃に対するものだったが、答えたのは上水流だった。
以前別件で図書室絡みの相談があり、そのときに司書教諭に教えてもらった。生徒が、正規の貸し出しの手順を踏まずに蔵書を持ち出さないよう――それこそ正しい意味で、盗難防止の措置なのだそうだ。
鑑は「そうなんですか」と、あっさり持論を捨てた。
「胡桃が三谷原くんを追い詰めたとき、三谷原くんが押し込んでいたという本は?」
「うん。これよ」
胡桃が棚から取り出したのは、一冊の本。
背表紙は日に焼けて色が薄くなっているけれど、借りられる頻度が低いのか、表紙自体は背表紙ほどには色落ちしていなかった。
しかし胡桃は、タイトルを見て、表情を曇らせた。
「『シァーロク・ホウムズの生還』コナン・ドイル……?」
「シャーロックホームズじゃないんですか?」
「時代や訳者によって様々だよ、鑑。今でこそホームズ表記が多くなったが、ホルムスと書くものもあれば、ホウムズと読むものもある。明治初期には『本間』と日本名に置き換えたものもあるし、そこはさしたる問題じゃない。読んだ人……訳した人によって様々だ」
どうやら胡桃も同じ疑問を覚えていたらしい。曇った表情が和らいだ。
――それはともかく。きっと胡桃がしたのと同じように、上水流もその本を手に取って最初から最後まで一気にページをめくってみた。
何らかの紙が挟まっていれば止まるだろうが、一つの違和感もなく裏表紙にたどり着いてしまう。
「ないでしょ」
「うん」
胡桃の言葉に、頷き。
上水流、鑑、胡桃の唸り声が綺麗に揃った。顎に手を当てた鑑が、続けてこんなことを言う。
「……『どこかのページの下側と外側を糊で貼って袋とじ状態のページを作り、その中にメモを隠す』とか、どうだろう」
それは違う、と上水流が言うより早く、
「あのね、鑑。わたしが図書室に入ってからミヤシンを見つけるまでに、一分かからなかったって言ったでしょう。本を取り出して糊を塗って乾かして袋にして盗品をその中に入れて本棚に戻す――そんな時間はないわ」
胡桃の指摘。
上水流も心の中で同意したが、意外にも今回は鑑も粘った。
「乾かす必要はないんじゃないか。糊を塗って挟んで閉じて、そのまま本棚に戻せばいい」
「いや。『生還』にはそういう仕組みはなかったようだ。ページ同士がくっついて中に何かが入っているというのなら、それだって、触り心地でわかるだろう。わたしは、そんな細工がされているようには思わなかった」
「……じゃ、胡桃が本のタイトルを見間違えたとか……ここには似たような本はたくさんあるし……」
早々に案が尽きたのか、もう絞り出すような声になってきた。
しかし、そうであっても諦めることなく彼を犯人とする説を並べる鑑の姿勢が、腹に据えかねたのか。ずっと黙っていた三谷原が苛立たしげに鑑を睨んだ。
「いい加減にしろよ。俺は何も盗んでない、無実だって言ってるだろう! やってないんだから、どの本を調べたって、こいつの言うメモらしきものなんて出てくるわけがな――」
「いや。ありえない可能性ではない」
鑑に食ってかかる三谷原に向けて上水流がそう宥めるように言ったのは、鑑を庇いたかったわけではない。貸し出しカウンターにいる司書教諭と当番の図書委員が、こちらに不快そうな視線を向けてきたからだ。
あまり騒々しくしていれば、きっと注意に来るだろう。
「胡桃が、三谷原くんの持っていた本を見間違えた、という可能性。それがゼロではない確率なら、証明するべきだ。――鑑、胡桃。お前たち二人で、三谷原くんが何かを隠したというこの本棚に置かれている本を検めろ」
「ぜ、全部ですか?」
「なんでわたしまで!」
抗議の声。しかし先ほどの三谷原よりは大人しいのは、彼らもカウンターから向けられている視線に気付いたせいだろう。上水流は頷き、ややひそめた声で、
「その説を唱えたのは鑑だ。そして、彼を犯人と呼んでいるのは胡桃だろう? なら、二人で証明しろ。なに、図書室すべての本棚を検めろと言っているわけじゃない。この本棚たった一つだけだ」
と言っても、本棚はそれなりの大きさがある。そこに新書サイズの書籍がびっしりと入っているのだから、その労力は推して知るべし、だ。
胡桃は眉を寄せ、しばらく唸っていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「……仕方ないわね。やるわよ、鑑!」
「えっ!? やるのか!?」
「当たり前じゃない!『取材は根気よく』が新聞部のモットーよ、こんなので挫けるわけないでしょ! 言い出しっぺはアンタなんだから、今さら一抜けなんて許さないわよ、ほら!」
本棚の端から三冊ほどを掴んで、ぐい、と鑑の胸元に押しつける。
鑑は本を受け取りながらも、往生際悪く呻いた。
「いや、でも、だけど――」
そのとき。
「あの」
声がした。それはこの場にいる誰の声とも違っている。
背後だ。上水流が振り返るとそこには――
「あ」
当たり前と言えば、当たり前だが。
そこには、引きつった笑顔を浮かべる図書委員の姿があった。
「図書室では、お静かに」
*
四人で頭を下げた――三谷原は「何で俺まで」と口を尖らせながら――後、鑑と胡桃は盗品捜索を開始した。後輩らに任せきりというのも忍びないと思い、上水流も一冊本を手に取る。
すると。
「なぁ先輩、俺、いつまで付き合わされるんだ?」
もう帰っていいか、と上水流に尋ねるのは三谷原。さすがに先輩には強く出ることができないのか、口調は同級生二人に対するものよりは穏やかで、眉は困ったように寄っていた。
その気持ちもわからないではない。しかし。
上水流は苦笑して、肩を竦めた。
「申し訳ないが、野良犬にでも噛まれたと思ってもう少しだけ耐えてくれ。君への嫌疑はまだ晴れていないからな」
「嫌疑って……だってさ、先輩。ないものをないって証明しろってのは無理な話だろ。そもそも、あのとき教室には俺しかいなかったし、俺が何かしていたのを見たって言うのも、胡桃しかいない」
「悪魔の証明ってやつだな。……まぁ、二人の確認が終わって、そのメモだか手紙だかとやらが見つからなかったら、そのときはわたしから諦めるように言うさ」
「……それなら、まぁ」
不承不承、といった様子で三谷原は頷いて――それから彼は、やはり落ち着かない様子で、どこかを見た。
視線を追う。その先には、トーコがいた。
彼女はいつの間にか、少し離れた閲覧用机に一人腰かけていた。手には本――先ほどの『シァーロク・ホウムズの生還』三谷原が何かを隠したと胡桃が言い、しかし何も見つからなかったそれ。トーコはそれを読みながら、両腕を広げて奇妙なポーズを取っている。
その姿勢に、どういう意味があるのだろう? 悩むまでもなく、思い当たる。『生還』には、『踊る人形』が収録されている。
しかしトーコが踊っていた時間はそれほど長くない。やがてトーコの姿勢は通常の読書のものへ戻った。『踊る人形』を読み終わったようだ。
上水流は、『踊る人形』の次に収録されている物語が何だったかを、思い出そうとする。確かヴァイオレットスミスの話だが、タイトルをど忘れした――そう考えている間にも。
ページは、次の物語へと進んでいる。
トーコは、あの本をまだ読み続けている。