依頼内容を伺いましょう ―the adventure of the one student
「……胡桃。うちは創作部だと、何度言ったら覚える」
唐突に、そして賑やかに部室に飛び込んできた胡桃真知子へ、上水流は腕組みしながらそう言った。
胡桃真知子。二年、新聞部の部員にして、創作部の常連だ。いや、正確には『創作部の』常連ではなく、
「『困ったときと記事のネタがないときは、捜査部を頼りなさい』――今は亡き先輩の遺言よ」
「卒業と言ってやれ。ついでに言えば当時の創作部部員も全員卒業してる、そろそろ我々もその名を返上してもいいんじゃないか」
「それで今日、ここに来た理由なんだけど」
胡桃は先輩にも後輩にも、同級生にも遠慮がない。容赦がない、の方が正しいかもしれないが、さほどの違いはないだろう。
ともかく。普段の彼女なら、新聞のネタがないから何かトラブルはないか――という話が続くけれども、今日は違った。ふんぞり返った姿勢のままで、こんなことを言ったのだ。
「こいつのことで、捜査をお願いしたいの」
「……だから、何も盗ってねえって言ってるだろ!」
と声を荒らげたのは、胡桃の隣にいる男子生徒だった。胡桃が教室のドアを開けた瞬間から彼女の隣にいて、今もいかにも面白くなさそうな表情で立っている。ときどき新聞部の後輩をアシスタントとして連れてくるから、今回もその類いかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
壁に寄りかかって話を聞いていた鑑が、ここで始めて口を挟んだ。
「っていうことは、今日は胡桃からの依頼ってことか? 珍しいな」
「あら、いたのねトーコのおまけ」
「おっ……」
「――とにかく、胡桃も胡桃の連れのきみも、そこに座れ。依頼を諦めて帰る気はないんだろう?」
胡桃の物言いの鋭さは、大抵の人間に対して緩むことがない。学年で言えば彼女の先輩にあたる上水流でも、勝率は五割あるかないかだ。
絶句した鑑にこれ以上の毒が降り注がないよう、椅子を指さして告げる。胡桃は、勿論よ、と笑った。一点の曇りのない笑顔……彼女の顔はそれなりに整っているから、それだけなら悪い見世物ではないのだけれど。
ともかく胡桃は、満足そうに頷くと、椅子の一脚を引いて腰かけた。
犯人呼ばわりされた彼も、渋々といった様子で続く。上水流は、机を挟んで二人の向かいに座った。先ほどの大声に対する驚きを未だ消化できず、目を見開いて立ち尽くしているトーコを呼んで、彼女にも席を勧める。トーコは、上水流の隣に座った。
創作部の部室にあるものは、壁際に三つの棚と、大きめの木箱が三つ。カーペットの敷かれた土足禁止スペースの他、大きな机が一つある。部員が各々創作活動を行ったり、部内会議を開いたりするには充分な大きさの机だ。
「それで。わたしの依頼っていうのはね」
「ああ」
「この三谷原慎一がわたしから何かを盗んだから、盗んだものを取り戻してほしいってことなの」
…………。
「……はぁ?」
疑問符つきの声を実際に口に出したのは鑑だったが、もし彼がそうしなかったら、あるいはそうするのが一拍遅かったら、上水流がまったく同じことをしていたはずだ。
理解ができずにいると、三谷原と呼ばれた彼が、たまりかねたように叫んだ。
「だーかーらー、冤罪だ! 俺は何も盗んでねぇって言ってるだろ!」
「盗んでたじゃない! わたしは見たのよ、確かにあのときミヤシンがわたしの机から――」
「だったらそれが今どこにあるって――」
「静かにしろ」
上水流の叱責に、二人の視線がこちらを向く――正確にはトーコと鑑も含む、四人の視線が。
トーコは目の前で起きかけていた客人二人の喧嘩も気になるようで、彼女の視線だけは上水流と向かいの席を行き来している。しかし上水流だって、何もわからないままなのだ。三谷原慎一が何をしてどうなって何の罪に問われているって?
上水流は、隣で腕組みをして立っている鑑を見た。
「情報を整理するぞ。――鑑、書記を」
「はい。ホワイトボードを持ってきます」
「ありがとう。それから、トーコは……」
「お、お茶でも入れましょうか」
「……いや、いい。わたしの隣で一緒に話を聞いてくれ」
彼女に湯のみを載せた盆など運ばせた日には、まず三歩で転ぶ。
「それで、胡桃。そのミスター三谷原はお前の何だ」
「わたしの同級生で、今回の盗難事件の犯人よ」
「だから俺は――」
「黙れ」申し訳ないと思いながらも、三谷原の発言をぴしゃりと遮った。「三谷原くん、きみの抗弁の機会は、胡桃の後に必ず与える。内容がまとまらないから、今は彼女の言い分を一緒に聞いてくれ」
「……」
不満そうにしながらも、彼は静かにしてくれた。「大体、何なんだよ、ソウサ部って。創作部じゃねえのかよ」などと小声で呟いてはいるが、話を進める上では支障ない程度に収まっている。その疑問はもっともだし。
ホワイトボードを設置した鑑は、さっそく板面に黒のペンを走らせている。『人物……ミヤハラ、男、二年B組、クルミの同級生、今回の盗難事件の犯人』
「鑑、その『盗難事件の犯人』の下に、クエスチョンマークと、カッコで『クルミの証言』と書いてくれ」
「はい」
指示の通り追記されて、それまでこわばっていた三谷原の表情が、わずかながら緩んだように見えた。
さもありなん、彼女の証言を鵜呑みにしないのは上水流たちからすれば当然のことだが、創作部の面々と初対面となる彼には不安だったことだろう。
「今日、掃除当番だったんだけど。いつも通り掃除が終わって、いつも通り荷物をまとめて、いつも通り教室を出たの。……だけど、新聞部の部室に着いたとき、教室に忘れ物をしたことを思い出したのよ」
「忘れ物?」
「体操着。今日の二限、体育だったんだけど、ロッカーに入れっぱなしで」
「うん」
「だからわたし、B組の教室に戻っていって――教室のドアを開けたの。そしたら、ミヤシンがわたしの机から何か、メモみたいなものを抜き取ってたのよ!」
「誤解だ!」
我慢ならないと椅子を蹴って立ち上がる三谷原を見ながら、上水流は心の中で「なるほど『ミヤ』ハラ『シン』イチだからミヤシンか」と一人納得していた。
おろおろと取り乱し、机に身を乗り出しかけながら、トーコ。
「あ、あの、どうか落ち着いて」
「落ち着いてる。……俺も、今週の掃除当番だったんだ。掃除が終わって帰り仕度をしていたんだけど、そのとき、机に置いてた付箋の束が床に落ちたから、かがんで拾っただけだ。これ」
三谷原は、ポケットから取り出したものを机の上に放った。五センチ四方の、深い青色をした、大きめの付箋。よく参考書やノートに貼って使うたぐいのもので、高校生の持ち物としては珍しくない。
「そこに、ちょうど胡桃が入ってきて――」
「三谷原の席は、胡桃の席から近いのか?」
「胡桃の後ろだ」
ホワイトボード付近からの質問に、三谷原が答える。
そのおかげで、胡桃の目撃した絵が想像できた。同級生が、自分の席の近くに立ち、腰を屈めて自分の机を覗き込んでいるようだ。手には何かメモのようなもの――
三谷原の言い分も通っているから、そうなると胡桃の分は悪くなる。ちらりと胡桃を見ると、こちらも声を荒らげた。
「嘘よ! だってわたしが見たとき、ミヤシン、確かにわたしの机の中に手を入れてたもん! それに、あんたが持ってたあれは薄ピンク色で、絶対その付箋じゃなかった!」
「じゃあ、あるのかよ。俺が取ったっていう『何か』は、どこかに?」
「それは――」
胡桃の勢いが削がれる。少しの時間が流れたのち、ふうっと息を吐いて、彼女は上水流たちを見た。
「……教室に飛び込んで、わたしはミヤシンに『何してるの!』って叫んだわ。そしたらそいつ、その何かを握ったまま、教室を飛び出したの」
「教室は前後にドアがある。三谷原くんが飛び出したのは、どちらから?」
「前のドアにはわたしがいたから、後ろ。急いで追いかけたら、図書室に入っていって――本棚の間を探していったら、一分もしないで見つかった。そのときのミヤシンは、本を一冊、本棚に押し込んだところって感じだったわ」
「なら、その本のページに挟んで隠したのかな。胡桃が言うところの、盗まれた『何か』は」
メモだか名刺だかノートの切れ端だか、『それ』が何かは知れないけれど、その類いのものだというのなら、本に挟んで隠すのは容易だ。だから上水流は、そう安直に呟いた。
「と、思うでしょ。わたしも思ったわ。だけど――」
だけど。
胡桃は言葉を切ると、眉を寄せ、いかにも不思議そうに首を傾げた。――そして。
自分でもにわかに信じがたい、といった様子で、
「こいつのポケットの中を調べても、本のページを全部確認してみても、わたしが見たそれはどこにもなかったの」
忽然と消えてしまった、ということか。