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be.-存在-  作者: 藤沢あき
ACT00.Prologue
7/21

06 別れ

 (たける)が店に戻ると、大将が厨房に立っていた。

いつもなら とっくに寝ている時間だ。


 明日の仕込みが長引いたのだろうかと思いながらカウンター席に寄っていくと、

焼き餃子が乗った皿を差し出された。

試作品だというそれは、羽が付いているわけでもなければ皮に何かが練り込まれているわけでもない、見るからに素朴な餃子だ。


「食べてみ。おもろいで」


 意味深な文句に釣られた武は、箸立てから箸を抜くと、湯気がのぼる それに箸を入れた。


ひとつを取って あらゆる角度から眺めてみるが、やはりどう見ても普通の餃子だ。

何が面白いというのか。

そんなことを言い終えてから これを口に入れるまで、無意識のうちにノリツッコミの準備をしていたことに気がつかなかった。


そのまま気がつかなければ素直に、最もオーソドックスな餃子じゃないかと大いにツッコめたのかもしれない。

しかし、これは困った。ギアが固まって動かない。

そうして咀嚼しながら人知れずギアチェンジを試みた武だったが、戻すことすらできないまま とうとう飲み込んでしまった。


 敢え無く無言で皿を置いた武の手は、チョーカーに伸びていた。

首を心地よく絞める 黒い帯から下がる丸い鏡の輪郭を指で なぞる。

そうしているうちに、ようやくギアが元に戻りだした。


「何が新作だよ。普通じゃん。期待して損した」


 苦言雑じりに恐る恐る顔を上げると、大将は油で黒光る顔を皺にまみれさせて笑った。

それだけで武の胃に落ちたはずの餃子が、オーソドックスなりの個性を持って味覚に訴えかけてくるから不思議だ。

そして知りたくなる。この味を再現してみたくなる。

こうなれば強いものだ。


 厨房に飛び込むなり作り方を教えてくれと頼み込んだ武を、大将はいつものように断固拒絶する。

しかし、最初は攻略不可能な鉄壁と思われたそれも、根気強く熱意を伝えれば、壁の僅かな隙間から小出しに見せてくれることを武は知っている。


そうして どうにかこうにかイケズな師匠から『宝楽』の味を手にする頃には、開店まで5時間を切っていた。

今から寝ても気分が乗らないから今日は休みにしようと言いだした大将に年中無休じゃなかったのかとツッコんところで、この頑固な鶴が発言を撤回するはずもない。


 カウンター席に落ち着いた武は、端の席で酒を傾けている大将を茫然と見ていた。

人柄が滲み出た細い目は、酒のせいかいつもより重たそうな瞼のせいで開いているのかどうかさえ疑わしい。

そんな いつになく ゆったりとしている大将を見ている武も、どこか まどろみのなかにいるような心地になっていた。


だからだろうか。

夜を煌びやかに彩る光の中を、まるで身の丈ほどもある鉄球を引きずっているかのような足取りで帰ってきたことも忘れ、饒舌になってしまった。

そうして実に無邪気に、大阪を離れ、山形にある私立紫山(しのやま)学園に入学しようと思う旨を話したのだ。


失態を犯したことを知ったのは、大将が酒を零すという非常にベタな動揺を示してからだった。

武は慌てて大将にツッコんだ。

しかし、大将は こぼした酒を拭おうとしない。

酒をそのままカウンターに流したまま俯いてしまった。

武は遂に1歩も動けなくなってしまった。


しかし、この無言は、そう長くは続かなかった。

大将が俯いたまま話はじめたのだ。


いつになく饒舌だった。

饒舌に、これまで暗黙のうちに避けていた家族のことを語った。



 大将には息子がいた。

歳をとってからできた待望のひとり息子だ。可愛くて仕方がない。

大将は、その子に文字通り溺れるほどの愛情をかけて育てたという。

しつけという言葉を理由に偏った考え方を押しつけたくはないとの思想から、叱りつけることも滅多になかったが、人様に迷惑をかけてはいけないとだけは よくよく言い聞かせていた。


そんな教育方針が間違っていたのか どうかは分からない。

高校生になった息子は、傷害罪で警察に捕まってしまった。

詰まるところ それは友人によって負わされた冤罪というやつだったが、少年院に入っても なお無実を訴えていた息子を大将は信じることができず、辛く当たってしまった。


 その後、別の事件で捕まった友人が息子に罪を着せたことを告白。

息子は すぐに退院となったが、大将が迎えに行った時には すでに息子の姿はなかったのだ。


行方も分からず捜索願を出した その1年後、私立紫山学園という訊き慣れない施設から1通の手紙が届いた。

そこには、生徒として在籍していた息子が失踪したと記されていた。


「聞けば、紫山学園いうのは、世間ばかりか親からも見捨てられて行き場 失のうた子どもらが行く“子捨て山”や言われとるらしいがな。なんでそんなとこ行かな あかんねん。お前は、そんなとこ行かんでもええ。ずっと ここに おったらええんや」


 そう吐き捨てるように言った大将の背中は、いつもより小さく見えた。

強張った肩も、俯いた顔も微動だにしない。一切揺るぎない。

そんな、到底 似合いそうにない虚勢を張ってまで引き留めてくれようとしている。

ここが武の居場所なのだと言ってくれている。

それは まさに、何年もの間ずっと求めていた、聞きたかった言葉だった。


 昔から集団行動が苦手で、学校でも浮いた存在だった。

そのうえ勉強も苦手で授業には丸っきり付いていけず、みんなが できていることが自分には できない劣等感に苛まれ卑屈になって ろくに学校にも通えなかった。


誰も自分を知らない土地で最初からやり直したい。

そう逃げるように やってきた大阪でも、雇ってもらった先々で失敗ばかりを繰り返し、肩身の狭さに耐えられず また逃げる。

その繰り返しだった。


こんな出来損ないが誰かに受け入れて もらえるはずはない。

失敗するたびに、逃げるたびに首を絞め、改良の余地を模索した。

その努力が報われたのだ。嬉しくないわけがない。


しかし、どうだろうか。

込み上げ、目頭を熱くさせる感情に反して、武は ずっと言葉を探している。

それは、関西人に喜ばれるような返しでも、大将 個人を喜ばせるような内容でもない。

それとは対立する、主張だ。


 求めてもいない首元の窮屈さばかりが誇張されて、まとまった言葉が全く見つからないことに苛立ちが募る。

しかし、だからといって このまま黙って店を飛び出していきたくはなかった。


今まで関わってきた人々にしてきたような終わらせ方はしたくない―――――

そこまで考えたところで、武は ようやく自分が別れるための言葉を探していることに気づいた。


違う。そうではない。

別れたいのではない。ここを去らなければ いけないのではない。

それに気づいた瞬間、武は歩き慣れた床の上に立っていた。


「チャンスなんだ。オレ、バカだからさ、高校なんて受かるわけねェって諦めてたけど、こんなオレでもさ、なれるんだよ。高校生に」


 これを逃せば、一生 後悔することになるかもしれない。

先のことは その時になってみなければ分からないだろうが、そうして また卑屈になるのは辛い。

それだけは避けたいから、このチャンスをものにしたいのだと必死に伝えた。


 小さな背中は、強張ったままだった。

しかし、しばらくして肩が僅かに揺れたのを最後に筋が切れたかのような柔らかさを取り戻す。


苦笑まじりの溜め息が聞こえてようやく上がった顔は、未成年 特有の無計画で周囲の追随を嫌う勝手極まりない主張に観念したというふうでもなく、寧ろ驚くほど清々しく穏やかだった。


「高校で、なんぞ やりたいことでもあるんか」


 まるで秘密基地をつくる計画を立てる子どものように目を輝かせて訊いてきた大将に武は、眠気を思い出すまでの間、思い描く学校生活を無我夢中で語った。

そのどれもが、これまで誰にも話したことはないものばかりだったが、次から次へと溢れ出す理想は手慣れた様子で滞りなく言葉を紡いでいった。


いかにもドラマやマンガから影響を受けたのだと分かる都合のいい世界を大将が肯定することは一切なかったが、冷たく あしらわれるということもない。

馬鹿にされて貶されるほど、高校という場所が魅力的に思える。

そこに飛び込んでみたいと思う。

それが楽しくて仕方がなかった。



 その日の夜、武は同封されていた東京行きのチケット片手に店を出た。


1年も住んでいたにしては拍子抜けするくらい荷物は少なかったが、大将が渡してくれた弁当や、ゲンさんによって両脇にねじ込まれたパチンコの景品、それから急いで来てくれたヤッさんからは長旅の友にとエロ本を持たされたので見事なまでに両手が塞がってしまった。


このまま大阪駅まで結構な距離を歩くのは、さすがに目立つ。

かと言って、リュックにしまおうとすれば、このオッサンらのことだ。

空きがあると分かれば更に何かしらを詰め込もうとしてくるだろう。

それが関西人だ。


 路地裏の出口で振り返ってみれば、どうだろうか。

見事なまでに誰もいない。

そういえば、別れの言葉どころか手を振ることさえも していなかった。

これがドラマなら、どんなに いい音楽が流れていたとしても泣くに泣けない。

しかし、きっと これでよかったのだ。

この薄汚くて温かな暗がりに別れを言うつもりはない。


「絶対 帰ってくるから。それまで店 潰すなよ」


 室外機が出す生温かい風を背にした武は、両手に抱えた荷物をしまうことも忘れて夜に浮かれた街の中を歩きだした。

2001年9月10日のことだった。

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