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be.-存在-  作者: 藤沢あき
ACT00.Prologue
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01 タケルと大将

 世の中には、14歳で世界を制した直後、その四半世紀にも満たない、ましてや まだ終わってもいない人生の中で1番幸せだったと喜びに打ち震えた名選手がいる。


彼女の言葉を借りるなら、(たける)と大将との出逢いは まさしく、これまで生きてきた中で1番 運命的なものだった。


とはいえ、彼女の功績やそれを生み出した精神力やセンス、練習量、そして彼女を支えた人々の情熱を思えば、借りるなどと容易く口にできるような言葉ではない。


しかし、そんなことは重々承知の上で、それでも敢えてこの名言を出したくなるほど感動的だったのだ。


 遡ること1年前―――――

アスファルトから うだるように熱がのぼる、2000年9月9日のことだった。

中学卒業と同時に親元を離れ、笑いと食文化の街・大阪にその身ひとつで乗り込んできた神山 武は、“学歴は無いが、住み込みで働かせていただけるのならば何でもします”を謳い文句に職を転々としていた。


転々という言葉が示す通り、これまでいろんな仕事をしてきたものの、行く先々で礼儀がなっていなかったり計算ができなかったり、なんだかんだと失敗続きで ことごとく追い出されていたため、どこも3ヶ月以上続いた試しがなかった。


中卒とはいえ まともに中学生をやっていなかったこともあり、ほぼ小卒と変わりない。


そんな武が この学歴社会で生き残っていけるはずもなく、容赦なく襲いかかる残暑の下、もう3日は まともに食事をしていない状態でフラフラと街を歩いていた。


彼らと ぶつかったのは、そんな時だった。


 見紛うはずもなく底抜けに分かりやすい不良集団だった。

今思えば、あれもまた運命的な出逢いのひとつだったのかもしれない。

袖触れ合うも なんとやらというやつだ。


とはいえ、そんな綺麗な言葉で飾り立てるほどの価値はなかった。

寧ろ、できることなら関わり合いになりたくはなかったが、向こうから言い寄ってきたのだから仕方がない。

あれよあれよと言う間に がっちりと囲まれ、完全に逃げ場を失ってしまった。


見るからに血の気の多そうな不良たちに、360度3次元方式で睨みつけられる恐怖と緊張感。

連れ込まれた路地裏に乱立する室外機が作り出す灼熱地獄が武の理性を鈍らせ、鳴ることを諦めた胃が痛覚に訴える ひもじさ、不甲斐なさが、度重なる不採用で傷ついた精神を更に荒れただれさせる。

加えて、彼らが誇らしげに着崩して見せているのは、この近くにある高校の制服だ。


そうと解るや否や、なんでこんな奴らが高校に受かっているのに自分は受からなかったんだと世の中の不条理に苛立ちを覚えた。

それが、動機だった。


まずは、目の前にいたやけに大声で捲し立ててくる男の顔面に拳を叩きつけた。

意外にもあっさり倒れたことに驚く暇もなく掴みかかってきた円らな瞳の男も同じように叩き伏せると、今度は残りのメンツが一斉に飛びかかってきた。


しかし、どいつもこいつも攻撃が単調すぎて全く相手にならない。

気がつけば、武 以外はみんな湿った地面に倒れていた。


 道が拓けたことに解放感を覚えたのも束の間、今度は出口からこちらを見ていた警察官と目が合った。

頭の中が真っ白に塗り潰された気がした。

次いで どこからか聞こえてきた さよなら放送は、当時の心象を描写するには充分すぎるほどだった。


先に手を出してきたのは そっちだ、とすっかり被害者ヅラを決め込んだ不良たちに反論する気力もなく、武は現行犯逮捕された。

本当なら、そのまま少年院に放り込まれるところだったのだ。


しかし、神は武を見捨てなかった。


「いちゃもんつけて手ぇ出したんは、その子らや。そこのデカい兄ちゃん捕まえるんやったら、その子らも捕まえるんが筋なんとちゃうか」


 油汚れが目立つ白いシャツを着た中年男性の言葉に目を見開いた不良たちは、一斉に立ち上がると散り散りになって逃げていった。

それに声を上げた警察官も、中年男性に敬礼するなり駆けていってしまった。


すっかり取り残された武が茫然としていると、中年男性は泰然として頑固そうな体躯の割に優しい目で、腹は減っていないかと訊いてきた。


それが大将との、まさに運命的な出逢いだった。



 大将が ひとりで切り盛りする『宝楽』は、表の赤茶けた古臭い のれんが示している通り歴史ある こじんまりとした店で、カウンター席が5つ、テーブル席2つをねじ込むようにして配置されているうえに、床は油で滑りやすい。

加えて厨房は、年中無休の札を掲げているだけあって、年季の入った汚れが目立っていた。


お世辞にも繁盛していそうな店には見えなかったが、出てきた醤油ラーメンは、そんな欠点だらけの店のイメージを一瞬にして吹き飛ばすほどの強烈なボディーブローを叩き込んできた。


モヤシにネギに半熟玉子、メンマにチャーシューが3枚と乗っているものこそ一般的だが、程良いコシがある細麺に濃い目の鳥ガラスープがよく絡み、啜った瞬間に喉を通して旨味と辛味がダブルパンチで五感に揺さぶりをかける。

その勢いで頬張ったチャーシューは舌の上で じわりと溶けだし、癖のない まろやかな肉汁を口いっぱいに広げた。


それは、この3日間 公園の水しか通していなかったためにすっかり縮こまっていた胃にしてみれば、夢にまで見た大物だったに違いない。

あっと言う間に平らげてしまった。


 器を置くなり席を立った武は、厨房に駆け込み、助けてもらった恩返しがしたいので ここで働かせてほしいと願い出た。


どうやら大将は、武のことを学生だと思っていたらしく、この唐突すぎる申し出に目を丸めた。


無論、答はノーだ。

バイトを雇うほど広い店でもなければ、毎月 決まった給金が出せるほど繁盛しているわけでもない。


何より、先代から店を継いで以来、弟子も取らず大将ひとりで やってきた店だ。

中途半端に人を雇うことはできないと はっきり断られてしまった。

しかし、それでも諦めきれなかった武は、油まみれの床に手をつき頭を下げた。


「お願いします。オレ、こんなだからさ、頭悪ィし、カッとなったら殴っちまうしで ろくでもない人間だけど、大将がスッゲー良い奴だってことだけは はっきり分かる。それに、こんな美味いもん作れるなんてスッゲーよ、やっぱ! だから、ここで働かせてください」


 あの時は、なんとかこの運命的な出逢いをものにしたいと ただただ必死で、そのため、まとめきれていない未加工も未加工な言葉を並べ立て訴えるしかなかった。


 何が大将の琴線に触れたのかは1年経った今でも定かではない。

しかし、こうして働かせてもらっているのだ。

恐らく大将の目には、武自身には見えないキラリと光る何かが映っていたに違いない。


それを知ることができれば、記念すべき この日をより輝かしいものにすることができるのではないか。

そう思った武は、思い切って大将に訊いてみることにした。


開店前の冷たいテーブルを拭きながら、どんな言葉が返ってくるのかと期待に目を輝かせる武に、大将は優しげな細目を皺に埋もれさせながら笑う。


「こないなアホ、どこも雇わんやろなと思ったから、しゃあなくや」


 人との出逢いなんて、所詮は こんなものだ。

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