第一〇二話 小さな頼り
私は走った。上る感覚は既に消えた。
こっちは疲れが出てきて足が唸る。向こうはといえば、スピードを落とさずに向かってきている。距離があった筈のトランプ達はもう近くだ。
「あぁっ!」
このままだと……と思った矢先に、足が階段に引っ掛かり転けてしまった。転けたら終わりというのは聞かずにも分かっていた。だから、もうここまでかと思った。後は夢から覚めるか覚めないかの話である。
でも、それは運次第。運が悪かったら私はトランプ達に何をされるか分からない。
それが嫌だったから、諦める事が出来なかった。ふらついた体を起こして私の進む先を目指し、再び走り出した。
私が立ち上がれたのはもう一つあった。私はその''もう一つ''に向かっていた。そして、そのまま飛び込んだ。案の定、トランプ達は追ってくる事はなかった。
私の飛び込んだものというのは、境界の事。メリーでいた事に感謝だね。
「ふう……ふうーーー」
そんな事よりも、息切れが酷い。私の体だったとしても、あの螺旋階段はきつい。終わりが見えなかったあの螺旋階段をずっと上り続けていたのだろうと思えば、鳥肌が立ってきた。
飛び込んだはいいんだけど、ここは何処だろう? また襲ってくるような所じゃなかったら嬉しいけど。
白い空間は静かでよく声が通りそうだ。実際にそうだった。
━━あぁ、君か。
今の私の声よりも低いけど、高い声が響いた。
「だ、誰!?」
辺りを見回しても、白くてよく見透せるこの空間でも何も見えなかった。
最近よくあるよね。声は聞こえるのに姿が見えないって事。今までに何回あった?
━━僕が知ってても君は知るわけないか。
「知るわけないわ。居るのなら姿を表しなさい」
いつの間にか逆転されていたけど、寧ろいいね。いちいち頭回さなくても勝手に喋ってくれるし。
━━……何か、怒ってる?
「怒ってる」
━━うわー。きっぱり言われちゃうのは痛いね。ちょっと待ってて。
どうやら姿を表してくれるみたいだね。私の事知ってるみたいだけど、一体誰なんだろう? 声は高いけど、しっかりした口調だから幼子じゃないね。べ、別にロリコンとかじゃないからね!
色々あれこれ考えていたら、何もない空間に風が流れた。その風は次第に強くなって渦を巻いた。
「竜巻?」
風の流れなんて見えないけど、そんな気がした。
目に見えない風の渦は急に酷くなった。風が目に刺さってきて瞼を閉じてしまった。
「うっ! 何! 何なの!?」
━━もう少し待ってて。
「さっきも言ったけど、貴方は誰なの!」
━━だから、待ってって言っているんだよ! 急かさないで!
我が儘だね。仕方ないなー。
私はメリーの帽子が飛んでいかないように手で押さえようとしたけど、帽子はなかった。そっか、寝る前に帽子外したんだっけ。後、夢何だから飛ばされないよね。
そうだそうだと色々思い出して、体勢を緩やかにした。うん、大丈夫みたいだね。
でも、あの時は何で元に戻らなかったんだろう? あの時っていうのは、ペンキが溢れた事。ちゃんと集中したんだけどな。
今まで感じた事のない強風が押し付けて、風は止んだ。
「お待たせ」
「……誰?」
今まで見た事のない生物が目の前にいるのですが、本当に誰ですか?
でも、この色の組み合わせ、何処かで見た事あるけど。いつ見たっけ?
「まぁ、私の事はのちに分かる筈。君はよく結界を弄ってくる三人の内の一人だよね?」
「知ってるの? 私の事を?」
でも、よく分からない生物は''三人''って言った。じゃあ、メリー達の事も知っているの?
「だって、よくあちこちに飛んできてるし、特に君はあっちに行ったと思ったら時空を飛び越えちゃったりするし、僕にとっては君達は有名なんだけど」
やっぱり、メリー達の事も知っているみたいだね。
でも、ちょっと吃驚だな。誰にもばれないようにしていたけど、まさか気付かれていたとは思っていなかったよ。
「それで、何か聞きたい事があって来たのかな?」
「聞きたい事……?」
まるで全てを見透されているような言いぶりだった。
わざわざそう言ってくるって事は、相当のお偉いさん?
「ある。沢山あるわ」
「はい」
ため口だったのに急になって敬語を使った。ちゃんと話せる相手だと安心した。
「実は、貴方の知っているように、私はその二人と一緒にいるわ。その二人の内の一人と私、心が入れ替わったの」
「なるほど。でも、今はそうには見えないけど?」
そうなるよね。説明がややこしくなってきた。
「それが何故か、人前だとその体の持ち主の性格と全く一緒になって、心は制御されるんです」
上手く言えたのは良かったけど、もう維持が絶え絶えとしている。絶対に流されるもんか。
「なるほど……んー。何か心当たりは?」
「こちらは心狂いの鏡のせいだと踏んでいるのですが」
「心狂いの鏡を知っているの? へー……」
急に黙り込んでしまった。黙りは一番困る手段なんだけど。
「……あの?」
「分かった!!」
静かさから急に大声を出されると吃驚するから止めてほしいんだけど。思わず声をあげるところだったよ。
謎に包まれすぎている不思議生物は一旦、間をおいて喋り始めた。
「その原因、間違いなく心狂いの鏡だ。その鏡がある所は━━」
━━━━
「そこで終わったのですか?」
授業も講義も終わった私達は部室でメリーにも話した事をエニーに話した。
「うん。それでメリーにも言ったけど、このままだと、自分が自分じゃない気分になるんだよ。つまりは、心の自分は偽りでこの姿である自分が本物に感じる」
これは事実。秘力がなければそんな時がすぐ目の前だったのかもしれない。
「それは……最もなってはいけない事ですね。早く解決した方がいいですね!」
「でも、その方法が今の時点で分かっていなのが問題なのよね……」
「「んー……」」
結局、あの謎の生命体の名前も聞き出せなかったし、心狂いの鏡がある場所も夢から覚めた事によって運悪く聞けなかった。
「あ、ちょっと待って。メリーにも言ってない事話すから」
そういえば、あの生物、鳥ぽかったね。丸っこくって分かり辛かったけど翼があった。そんな鳥の羽の色は……!
私はポケットから鳥の羽を取り出した。
「それは?」
不思議なグラデーションの羽を見つめるエニーとメリー。
そうだよね。不思議に思えるよね。白と黒と赤と青と黄という、不自然な色の組み合わせだし。
「これは、夢に出てきた生物の羽。何の生物か分かる?」
「……鳥の羽にしか見えないけど? 色が微妙だけどね」
「確かに鳥の羽。だけど、鳥とは言い難いんだ」
「じゃあ……何ですか?」
「本当に回りくどいわ。早く言って」
私、メリーなのにこんなにかっこつけてよかったかな? エニーは未だしも、メリーにどう思われるか。もしかして、そのせいで怒ってる?
「はいはい。この羽の持ち主はね━━」
━━鳳凰だよ。
「ほ、鳳凰? 確かに鳥ですが、架空の生物ですよ?」
「例え架空の生物だとしても実際にいないとは言い切れないでしょ? 秘封倶楽部は取り敢えず何事も信じる事が大切だよ。エニー」
「そう言われましてもね……」
エニーが珍しく自分から言葉を詰まらせた。
分かっている事までもきちんと言ってくれたけど、さっきの言葉の続きは分かる筈もなかった。だって、人の気持ちは読めないものなんだよ。……言い切る事は出来ないけど。
「で、それが本当に鳳凰の羽だとして。その次は?」
「あ……」
全く考えていなかった。折角のかっこつけはメリーの厳しい一言でキャンセルされてしまった。
「結局話は振り出しね……」
「これからどうしますか?」
長い沈黙は静かに流れていった。物音一つもしなくていらいらしてくるほどの静かさだったけど、その沈黙は誰も突き破る事はなかった。




