第九六話 神界に置かれた大鏡
本殿の奥にある襖をがたっと開けて広がっていたのは綺麗な世界でした。本当に気が狂いそうなくらいの美しさです。
「綺麗……です!」
思わず口に出した言葉です。他に言う事がありません。
「これだけ大規模な理想郷を創る事の出来るのは私くらいしかいないよ!」
「信仰は少ないんじゃなかったっけ?」
そうですね。お稲荷さんは忘れられた存在ですものね。今こうやって季節さんが存在していられるのも、私達が神様を信じているからですね。
「信仰は関係ない! 有名かどうかの問題よ!」
「どっちも同じに聞こえるんだけど……」
「気のせいだ!」
実際は違います。信仰は神を信じ敬い、その教えに従おうとする事。有名は世間に広く知れわたっている事を表します。一々言いませんが。
「そうなのかしら? それはいいけど、早く行かない? 私、気分悪いわ」
「はいはいはい。結構奥まで行くから、迷子にならないようにね」
さっきまで緩く握っていた季節さんの手が開き、両端にいる宇佐見さんとハーンさんにその手を向けているのですが、何でしょうか?
「どのくらいですか?」
「九十九キロはあるね」
「遠っ! しかも、九十九とか地味!! せめて、約百キロって言うでしょ!」
私も宇佐見さんの言う事が正しいと思います。
しかし、そんなに距離があるとは……どうやってたどり着くのでしょうか?それと季節さんの手が何か関係があるのでしょうか?
「そこは突っ込まない決まり!」
「何それ……」
「えっと……その、約百キロ先にある鏡までどうやって行くのですか?」
一応訊ねておかないといけません! 新聞のネタだって、気になる事は全て聞かなければなりません! 自分の思った事を主に言いますが、たまには客観的に見て質問せねばなりません。恐らく、この質問は二つとも含まれています。
「だから、迷子にならないようにって言ってるんでしょ。手をこうやって差し出しているのも同じ」
「あー……」
「えっ? どういう意味ですか?」
「こういう事だよ!!」
その直後、季節さんは宇佐見さんとハーンさんの片手を握りしめました。その後、宇佐見さんは自由な片手で私の片手を握りしめました。
「な、何が起きるのですか!?」
「気を付けて! エニー! きゃぁぁぁぁぁ!」
「えっ!? うわぁーーーー!?」
━━━━
何か物事をする時は、ちゃんと話しておいてほしいです。吃驚するじゃないですか。
「あー……頭がぐらぐらします……」
「大丈夫? エニー……」
「宇佐見さん達は何ともないのですかぁ……」
座り込んでいる私の足元に立って見下ろしているのは、宇佐見さんとハーンさんと季節さんです。皆さん、心配そうにこちらを見ています。
「本当だぁ。何で貴女達そんなに元気なのよ?前の時は死にそうな顔してたのに」
「んー……慣れ?」
宇佐見さんが不器用な答えを言い、季節さんは眉を寄せました。
「慣れで出来るわけないアホが」
「竺紗も毒舌になってきたなぁ……神のくせに」
「神も気紛れなの」
私も季節さんの言葉を聞いて神様は本当に気紛れだと思いました。自分の事を''気紛れ''と言っている時点で思いました。
「意味分からないわ……」
宇佐見さん……いえいえ! 違います! 違いますよ! ハーンさんです!
間違えました。この世界の性質である、気を狂わせると言うもののせいでしょうか?
えっと、はい。
ハーンさんは苦笑いをして季節さんを見つめました。
「さてね。それはおいてて真面目な話。前を見てごらん。エボニーは後ろを見て」
私は座ったまま後ろを見るのは失礼だと思い、立ち上がろうとしました。
「はい」
まだぐらぐらしていてなかなか立てないので、宇佐見さんが手を貸してくれました。
「ありがとうございます」
私は差し出された宇佐見さんの手をしっかり握り、なんとか立ち上がりました。そして、そのまま後ろへと振り向きました。
「鏡……」
「そう。貰い物の鏡でね、大きすぎて変な力を持ってたからここに置くことにしたけど、ここを閉めきっていたら狂気で満ち溢れちゃってね」
「だから、約百キロの地点でも狂うわけね」
「うん。さて、もう行くの?」
場の切り替えが上手ですね。私もまだまだですね。
「そうだね。ずっとここに居ると私達が危ないし」
「狂気で満たされている鏡の中を潜るのもどうかと思うけど」
「そこは気にしない気にしない」
「何よそれ」
「あー、はいはい。お二人の気持ちはよーく分かる。だから早く行きなさーい!」
「わぁっ!!」
「きゃっ!!」
宇佐見さんとハーンさんは季節さんに背中を押されて正面の鏡に向かって飛び出しました。すると、そのまま鏡の中へと入ってしまいました。
「う、宇佐見さん!? ハーンさん!? ま、待ってくださいっ!」
私はそのまま鏡の中に飛び込んで、宇佐見さんとハーンさんを追いかけました。
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「行っちゃったぁ。暫く待とうか」
緑が広がる壮大な神界にただ一人、鏡の前で立っている神は考えていた。
「そういえばこの鏡、誰から貰ったっけ?」
風かゆらりゆらり吹き抜けて、神を迷いに誘った。
「これがもし、歴史を明らかに映す鏡だったら……」
竺紗は鏡の中をじっくり見つめた。自分の姿と後ろの景色が映っていたが、それは歪み始めた。




