第73話 穢れし器と無知な器
楽しげに笑みを浮かべ見下ろしてくる少女。
彼女は告げる。『ボクを造った親なのだ』と。そう言ってゆっくりとした歩みで距離を詰めてくる。そうして、ボクを押し倒し、覆い被さってくる。二色の瞳を満足そうに目を細めて、近づいてくる。
その行為をされるがままに、抵抗する術が無いかのように拒めず、目を反らすことも出来ない。
ボクを造ったと語ってきたのはあの黒い靄みたいな奴だ。目の前の少女ではない。
「ボクは、君を、知らないっ」
「その様な事は無い。この器をお前は見ているだろう? そして、その際に我の姿も見ているだろうに。あの穢れきり、黒く染まったあの姿を」
ボクの否定の言葉にそう返してくる。知っている。そう、その姿は知っている。あの場所で眠っていたのを見たから、その時に見た黒い靄もだ。その靄と彼女の話し方は靄と同じだ。
「この体は我を受け入れる為の空の器。我が入った事で初めて生を得て動くのだ。お前がその体に入った事で初めて、シアとして存在したように、な」
ああ、そうだ。ボクは最初からシアだった訳じゃない。
この世界で必要な体は最初から用意されていた。それが、今のボクになる。ならば、あの時に眠っていた少女はつまり、眠っていたのではなく魂が入ってなかったから?
『器』は魂を入れる為の肉の檻。そうか、なら
「君は、あの時の黒い靄みたいなのなの?」
「そうだ。漸く理解したか。あれから幾百、幾千くらいもの時が経ち、手持ちが心許なくなり出来た器はお前と我の体だけとなった。だが、その割に満足のいく出来となったよ。今も、我を肉体が馴染ませようと侵食してきている」
ボクの質問に彼女は肯定し、それを聞き、体を駆け巡る熱に突き動かされるようにボクは彼女の顔へと拳を振るう。それは受け止められてしまう。
と、ボクの周囲に碧い光が満ちる。ボクの上に乗っていた彼女をボクから引き剥がして吹き飛ばした。立ち上がるボクを見て、一瞬だけ驚きの表情を浮かべ、すぐに笑みに上書きされた。上から降り注ぐ光が相手の姿を
「そうだな。伝聞でのお前の性能は知っているが、直接見た事は余りなかったな。良いぞ。来るといい、我もこの体の性能を知りたい」
余裕に満ちた表情で告げられる言葉に返事はしない。
それをつまらなそうにやれやれと肩を竦ませてみせると、地を蹴り、彼女は右足で蹴りを放ってくる。
その動きに反応し、ボクと彼女の間に碧い壁が形成され、攻撃を阻む。右足を引き戻し、今度は左足が迫ってくる。だが、これも阻む。
「ふむ、反応は出来るか。いや、我が接近戦が不得手故か? コレは要改善だな」
「このっ!」
どこまでも冷静な相手に思わず、カッとなり防御を捨て、反撃に移る。拳をがむしゃらに振るう。が、それらを容易く躱してくる。こちらの攻撃の隙をついて繰り出される殴打が顔に当たり、思わずよろけてしまう。
「どうした? この程度かっ!」
腕を顔の前で組み防御の構えを取り、耐える。腕から伝わる痛みを堪えながら、周囲に浮かぶ光に意識を向ける。光は漂うのを止めて、彼女へと襲い掛かる。それらが彼女にぶつかり、弾け、霧散していく。
「っ!? ほう、そうきたか!」
体勢を崩され、尚も止まぬ光の雨を受けながら何処か楽しげに彼女はボクから距離を開けた。その姿に違和感を覚えつつも追撃の手を止めない。彼女は走り、躱し、立ち止まる彼女の紅い瞳が妖しく輝いていた。
「我と我らの敵を殲滅する闇の炎よ、その深淵より生まれし炎で眼前に立ち塞がる者を焼き尽くせ、『シャドウフレア』!」
詠唱の後に形成された漆黒の魔法陣から魔法陣と同じ黒い炎が、ボクを焼き尽くそうと迫り飲み込んだ。ボクはなんとか光により防ぐ。だけどその壁を壊さんと炎は勢いが増してきた
どれだけ経ったかわからないが漸く、炎が消えた時には、壁のあちこちに罅が出来て、煙が上がっていた。
「……はぁ、はぁ」
「ほお、今のを耐えたか」
なんとか耐えたけど、壁となった光は崩れ落ち霧散した。彼方は何かを考えるように腕を組み、ボクを見ている。
「さて、此方も使ってみるか。然し、自分でそう設定したとはいえ悪趣味だな。我を貫け、鮮血の槍よ。『ブラッディランス』」
そんな言葉を言うと、彼女は魔法陣を出現させて、彼女は自ら発動させた魔法の槍で串刺しにされた。突然の行動に言葉も出ずに立ち尽くす。鮮血が舞い、地面を赤く染めていく。なんだ? 何をしてるんだ、彼女は!?
ドクン。自分の心臓の音が聞こえた気がした。ソレは何かの警告だろうか? 槍が消滅すると彼女はフラつき今にも倒れそうになっている。だと言うのになんで嫌な予感がするの?
血が動き、彼女の足元で動き、魔法陣を描いていく。血を流し、ボクを見る彼女の紅い瞳が一際強い輝きを放つと一筋の紅い柱が彼女を包み、天を貫いた。上空にも描かれた魔法陣はボクの使う魔法陣と色の違いはあれど同じ物に思える。
「カッ…くっ、相変わらず、得られる恩恵だけは大きいな。この術は」
やれやれと零す彼女から服こそ赤く染まっているが、先程自らつけた傷は見当たらない。恐らくは治っているのだろう。そして、彼女を守るように紅い光がふわふわと漂う。
「さて、如何するか……ん?」
攻撃されると構えると彼女は突然に空を見上げ眼前に紅い壁を形成した。と、空から轟音がして、火球が落ちてきて、形成された壁にぶつかり爆発した。
上空から咆哮が響き渡る。劈くような咆哮に思わず竦みそうになる。ソレを我慢してボクは見た。陽の光を受け照らされる漆黒の巨躯、力強く羽ばたく翼を
「ちっ、お邪魔虫が来たか」
そう告げる彼女目掛けて、勢いよく降下してくる黒龍、レジナルドの爪も防がれてしまう。
「久しぶりだな。我が盟友レジナルド」
『ふん、長らく見ない間に愛らしい童女へと姿を変えたか。だと言えど相変わらずの様だな。盟友にして愚者フェリクスよ?』
フェリクスと呼ばれて、彼女はハッと笑うとボクがしたように、いや、光を剣の形にすると飛ばす、ソレをレジナルドは受けるも直前で火球を吐いた。轟音とともに煙が昇り、双方を飲み込んだ。
「レジナルド!?」
『そう不安がるな、シア嬢。私は問題ない。擦り傷だ…彼奴も健在だがね』
煙が晴れると姿が見えた。レジナルドはいつの間にか空を飛んで見下ろしている。その視線の先にいるだろうフェリクスと呼ばれた彼女は見えた。片膝をついているが、目立った外傷が見当たらない。あの距離での火球を受けたのに無事だなんて自分も持っている力とはいえ無茶苦茶過ぎる
「ふと思ったが、この体にその名前は不釣り合いじゃないか?」
『相変わらず貴様は、下らん事に拘るな。で、器の中に入り、新たな生を得てどう名乗るつもりだ?』
「そうだな、フェリシアとでも名乗ろうか」
『そうか。下らん。実に下らんな』
ボクを一瞥し彼女は両手を広げて、フェリシアと自らの名前を宣言した。光は彼女の右手に集まり、魔法陣が出現する。
「さて、新しい名も得た事のだ。我は娘との交流がある故に、旧友にはご退場願いたいな!」
言い終えると共に放たれる紅い光の奔流をレジナルドは躱して火球を浴びせる。火球はまたもフェリシアに当たる前に防がれてしまう。
『ふん、自らで器に与えた力を貴様が行使するとはな。妙な事もあるものだ』
「そう言うな。我にも色々とあったのだよ。ほう、シアのツレも来たか」
リントさんとオラヴィさんの二人が、前から此方に向かってきているのが、見えてきた。リントさんの手には二本の短剣が握られている。ソレを投擲するも苦もなく躱していく。そのまま、投げられた短剣がボクの方に飛んでくる。ボクは慌てて躱してリントさんを睨む。
「リントさんっ、危ないじゃないですか!?」
「ん? ああ、すまない。君なら避けれると思っていたので、ついな」
悪びれもせずにしれっとそんな事を告げてくる。つい、じゃない。何かの間違いで当たったらどうするつもりだったんだこの人は!?
オラヴィさんは息を荒げながら、フェリシアを見て固まっている。それに気づいたのかフェリシアはクスクスと笑う。
「そうか、此処は異界人共の土地か。許せよ、我も娘との交流でついハメを外してしまった」
「娘? 君は一体誰だい?」
「我か? 我はフェリシア。シアを造った親だ」
「造った? 君が? どう見てもシア君と同じ位の年齢にしか見えないが? それに普通なら産んだじゃないのか?」
オラヴィさんはフェリシアの言葉に不審がり言うもフェリシアはふぅ、と溜め息を吐き、紅い光を集めて自分の体を覆っていく。
「戯け。お前も異界人なら、自らの手で調べろ。これ以上は教えん。知りたくば我が盟友に聞くがいい」
「待て! お前はなんでシアと似た姿をしているんだ!?」
「リント、だったか? 容姿が似ていて当然だ。そうなる様に造ったのだからだ娘はお前に預けよう。お前もソレを望んでいるのだろう?」
「な、に!?」
「ふふふ、分かるさ。お前の様な者の考える事は、な」
リントさんの瞳が驚愕でなのか大きく見開かれる。リントさんがソレを望んでいる? 何の話だ?
「では、シア。いずれまた」
その言葉を最後に彼女の身体は完全に光に覆われて消えた。上空に描かれた魔法陣も形が崩れて、紅い光となり地上へと降りてくる。
見届けているとボクの方の魔法陣も消えて同様に、碧い光が降りてくる。途端に身体中に脱力感が襲い、思わず座り込んでしまう。
レジナルドはそんなボクの側へと降りて翼を畳んで、頭を近付けてくる。
『あの愚者め、暴れるだけ暴れて帰るとは、昔と変わらんでないか』
「そう、なの?」
『そうとも、彼奴は周りの目など気にもせんからな』
フェリシアと名乗った彼女の言葉にオラヴィさんはブツブツと何かを呟いている。
リントさんは固まったまま、身動き一つしないでいる。どうしたんだろうか? 首を傾げながら、リントさんを見ているとオラヴィさんが、ゴホンとわざとらしい咳払いをした。
ハッとなり、リントさんがオラヴィさんの方を向いた。
「思わぬアクシデントが起きたが、今は研究所に向かわないかい? 幸いにも我が家よりもそちらの方が近いしね」
「……そうだな。そうしよう」
どうだろうと尋ねるオラヴィさんにリントさんが同意すると、オラヴィさんはボクを見た。ボクも賛成だ。だから、ボクは何度も首を縦に振ると彼はレジナルドを見つめた。
『さて、あの愚者も去ったなら人里に長居は無用か。ではな、シア嬢』
「あ、うん。ありがとね、レジナルド。助かったよ」
感謝の言葉しか出ず。レジナルドの頭に寄りかかり体を預けるとレジナルドが苦笑する。
『やれやれ。無防備なお嬢さんだ。オラヴィ、カイン坊にでも案内を頼み我が寝床にでも足を運んだならば教えようじゃないか』
「あの娘さんが言っていた事かい?」
『それを含めて、だな。さ、シア嬢、離れてくれ』
レジナルドに従い、離れると彼は翼を広げて飛んでいった。ボクが姿が見えなくなるまで手を振っていると、リントさんに左手をがっしりと掴まれて引っ張られてしまった。
「さて、行くぞ。良いな?」
「わっ、わわ。リントさん、危ないですって、転んじゃいますよ!?」
「そうならん様に気を付けてくれ」
「そんな無茶苦茶な!?」
抗議してもリントさんには聞き入れて貰えず、結局、目的地に着くまでの間、ずっと手を掴まれたままの状態が続いた。この歳にもなって手を繋いだままとか恥ずかしいのですが!? 無視ですか!?
あれ、ボクって何歳だっけ? 16歳だっけ? あれ、ソレはこの体の歳で? ん、じゃあいいのか。うん、そうだとしても恥ずかしいものは恥ずかしいのだけど。
研究所に着き漸くリントさんに手を放してもらい、ボクはリントさんの隣でオラヴィさんの準備が終わるのを待つ事になった。
準備が済み次第に呼びに来ると言ってボクらが案内されたのは診察室みたいな部屋だった。そこでリントさんは窓際まで行き、窓から見える景色を何も言わずに眺めていた。ボクはと言うと、置いてあった丸椅子に座り天井を見上げていた。
「あの女」
「え?」
ふと、リントさんが呟いた。ボクはそれに思わず反応する。
「……あのお嬢さんが言っていた事は気にするな。ああいうのはコチラを動揺させる為のデマカセだろうさ」
「え、はい。そうなんですか?」
「ああ、だから気にするな。いいな?」
「……はい。分かりました」
そうかとだけ言ってまた何も言わなくなるリントさん。そうだろうか? でも、その言葉はまるで自分に言い聞かせるように言っている様な気がしたのは気のせいなんだろうか?
ボクは何も言えずにただ、リントさんの背中を見つめるだけしか出来なかった。
少しでも読んでいただけると幸いです。




