第70話 黒龍
何やら、音が聴こえる。風により届く微かな音が聴こえてくる。
木々を揺らしい、地を蹴る音。物好き達が此の場に建て、私に住まうようにと懇願してきたこの社に向かってきている。此処で無邪気に遊ぶ子供らか、はたまた、あの煩わしい男、オラヴィか、オラヴィの娘か? さて、どちらかな?
ああ、そうか、カイン坊か。あの男なら、この時間でもお構いなしであったな。然し、傾斜のある道を苦にも感じず、此方へと向かってくるとは、何とも腕白な事よ。ならば、相手する必要はなかろう。そう決め込み、身体を伏せる。風に運ばれてくるカイン坊の笑い声の他に、少女の声がする
『やれやれ、カイン坊め。連れてきよったか』
未だに年相応に落ち着きを身につけぬ坊主の他に感じるこの魔力。彼の地にて話をした娘、シア嬢か。ヒトを模した空の器にして歪な存在。我が愚かしく、どうしようもない盟友が造った玩具の一つ。あの愚者の娘。我らの敗北が決まり、その時から姿が消した盟友の新たな創造物の一つ
あの私を負かしたあの敵、マクシミリアンの知り合いであるらしき小娘。あの白龍が、嘗ての己が焼き払ったモノと同種と交流があるとは……。世の中、何が起こるかは分からぬな。
その人形、シア嬢は送り還した後に何やら、集落で一騒ぎ起こしたようだが、何があったのやら。あのお嬢さんは何か奇妙な因果にでも巻き込まれておるのか?
どうして、カインと共におるのだ? ともあれ、このまま待つのは、些か面白味に欠けよう。どれ、どうしてやろうか。ともあれ、ただ普通に対面するのは芸に欠ける。と、なるとだ
『ククク、さあ、歓迎しよう』
ヒトを驚かすのはあの坊主の十八番だったが、偶にはよいだろう。まだ此方へと着かぬ来客との対面に心躍るものを感じるのがなんともたまらぬことか
地を蹴り、跳躍して太めの木の枝に着地し、また跳ぶ。コレを繰り返しながらボクを担いでいる人は、やけに機嫌が良い感じで高笑いしている。
それに驚いたのか、木々で休んでいた鳥達がバタバタと羽を羽ばたかせて何処かへと飛んで行ってしまう。その羽ばたきを聞いてか、楽しそうに笑う。うん、楽しそうでなによりです。でもね、ボクを担いだままなのはどうなんでしょうね? ていうかね、一つだけ言わせてもらえると嬉しいんだけど
「いい加減、降ろしてくださいっ!?」
「ヌーハッハッハー!! ぬっ、何か言うたかの?」
「カインさん、ボクを降ろしてください! ていうか、なんでボクをこんな、こんな風に担いで連れてくんですか!? あと、みんな、固まってませんでしたか!?」
「クク、まあ落ち着け。目的地が近くなれば降ろすゆえ、しばらく、じっとしておれ」
「わかりました。じゃなくて、担いでいる理由はなんですか!?」
カインさんは、なんで、こんな風にボクを担いでくんだ。これで理由がなかったらどうしよう? ああ、きっと理由とかないのかもしれないけど。あってもどうせくだらないんだろうけど
「いやなに、なんとなく歩いて行くよりかはこっちの方が早いと思ったのじゃ」
そんな理由ですか。それを聞いて溜め息を吐くボクを見て、またも笑う。ていうかね、ボクだって今は女の子でしてね。だいたい、人をこんな荷物を肩に担ぐような運び方はどうかと思うんですが、これいかに。
今は女の子? じゃあ、前は違っ!? ズキンと軽い痛みが頭に走った。
っ。これっていったい!? うぅ、これ以上考えたり、何かを思い出そうとしても思考が黒く塗り潰されてしまう。ズキンズキンとと痛みが走る。くぅ、ダメだ。これ以上はよそう。
ああ、でも、この痛みとか違和感って、これもきっと対価の影響なんだろうけど。だとしたら、なんてーー
「むっ? シアよ、どうした?」
「……。」
「何か言うてくれんと退屈なのじゃが」
声がする。目を閉じてゆっくりと深呼吸。うん、大丈夫。痛みは治まってきた。何かカインさんが言ってる。何か言わないと
「もしや、拗ねたのか?」
「……。ボクも女の子なんですから。その辺を少しは考えてください」
「カッカッカ。それはすまなんだ。ワシはどうにもその辺の配慮が出来なくてのお。以前よりよく注意されておったわ」
「……でしょうね」
なんとか絞り出した声に、カインさんが返事をしてくれた事にホッとする。誤魔化せたかはわからないけど、何とか言葉は出せた。でも、ボクはここに来る前のことをどれだけ覚えているんだろうか? あの黒い靄が言っていた『あマミやゆウト?』って名前も、今はどこかで聞いた事がある位にしか引っかかりを覚えていない。あの時はあんなに気になったのに。それ以外にも、色々と抜け落ちてきてしまっている。
「………こんど、確認しなきゃ」
「ん。何か言うたか?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「そうか。して、先程の話じゃが」
「えっ?」
「お主が言うた皆が固まっておったというたのじゃよ。あれぐらいならば、後で詫びればなんとかなろう。不満のある者は追ってくるとも」
そうかなぁ。追ってくるかどうかはともかく、後で謝らないといけないのは確かだよね。と、いきなり、カインさんがボクを降ろした。木の枝の上に降ろされたボクはゆっくりと立ち上がろうとしてフラつき、カインさんにしがみつきながら、突然の事で首を傾げるボクに指を指して示す。指を指された方に映る光景を見て、ボクは息を飲んだ。
「あれが、彼奴のおる社じゃ。相変わらず、立派な建物じゃのお」
そう告げるカインさん。社。幾つもの赤い鳥居が並んでいる。その先に大きな神社が建っていた。ボクがレジナルドと会話した時の場所がそのままに、そこにあった。えーと、ここは現実だよね? 見れば見る程にそっくりだ。なら、あの場所はレジナルドのいるこの神社を再現したものということ?
「はて、彼奴は本殿には居らぬのか。扉が開いておるな」
「えっ?」
「ほれ、あれじゃ。彼処が開いておろう? まさか、留守とはな。まあ、せっかくだし、このまま行くか」
あ、本当だ。遠くに見える本殿の扉が開いてる。レジナルド、居ないのか? いったい何処に行ったんだろう?
「ほれ、行くぞ」
「あ、はい」
「では、行くぞ」
「うわ、ちょっと!?」
またもや、カインさんはボクを担いで、鳥居の前まで跳んだ。そうして、鳥居の前に着くと、ボクを降ろし、進んでいく。その隣を歩きながら、ふと気になり、空を見上げると陽は傾いてきて、空は青から赤へと変わってきていて。夕陽が世界をゆっくりと赤く染めていく。それすらも、あの場所の再現のように感じてしまう。そんなはずはないと分かっていても、そう感じてしまうのだ
「相変わらず手間を掛けておるのお。この『トリイ』なる物なぞ、レジナルドには不要じゃろうて」
どう言ったらいいか浮かばずに苦笑いを返して、辺りを見回してみる。やっぱり鳥居には提灯が飾られていた。ここも一緒だ。ただ一つ違うとするとカインさんが居ることぐらいで。なら、このまま行けば鳥居の先にはあの本殿があって、きっとレジナルドは
「物珍しかろう?」
「え? はい、そうですね。」
「であろう。彼奴らの趣味でな。嘗て住んでおった世界にあった物を建てたとの事じゃ」
「そう、なんです」
「左様。ワシが此此の地に来た時にそう語っておってな」
其奴らは既に居らぬか、老人かのどっちかじゃがなと付け加えて笑った。ん、老人か亡くなってる? となるとこの人は今、何歳なんだろうか? マーカスさん達と戦争に参加してたり、してる割には見た目は若いままだし。それって『黄昏の森』の影響なのかな?
「どうした?」
「カインさんって、今お幾つなんですか?」
「なんじゃ、藪から棒に」
「あ、何となく気になって」
と、カインさんは立ち止まり、空を見上げるだした。これって禁句だったとかそんな感じなのかな? だとしたら、どうしよう
「知らぬ」
「えっ?」
「知らぬと言うた。なにせ、師匠に拾われる以前の記憶が綺麗サッパリ抜けておる。故に知らぬ。あの森に住んでおるのじゃ。実年齢などどうでも良かろう」
「気になったりとかしないんですか?」
「どうでも良くなったの。それに年齢不詳じゃと、謎な感じがしてカッコ良かろう?」
「はあ。そう、ですか? 胡散臭いような」
「はて、そう言えば昔、ルミナの奴にも言われたのお」
「え? そうなんですか?」
「ウム。ワシが持っておる知識を自慢したら同じ様に尋ねてきてな。ヌシと同じ様に言ってきたわ。いやはや、懐かしいのお」
カインさんがそう言って先を歩く。ボクは慌てて後ろを歩いていく。ルミナ。マーカスさんの仲間の一人で、マーカスさんの憧れで初恋の人らしい。ボクと同じ金の瞳をしていた人。でも、それは後からの変化だとか。前から気になってたけど、ルミナって名前からして同じ世界から来た人かなぁ。ううん、気になる
そのまま、鳥居の下を潜ると、鳥居を抜けて境内の方に辿り着いた。まんまだ。あのままの建物がそこに存在していた。左右には狐の石像が鎮座している
「さてと着いたわけじゃが、もぬけの殻とはな」
やれやれと、溜め息を吐くとカインさんは肩を竦めさせる。ボクはあの時と違いまだ陽は沈んでいないし、開いている本殿の前に立ち、中を覗き込んでみる。中は広くて、ガランとしていて夕陽の朱があまり差し込んでいなくて、暗くて寂しい感じがしていた。
「彼奴はだいたい、用が無い時はそこで寝ておるのじゃがな」
「……レジナルド。何処に行ったの?」
ポツリと呟いた時だった。突然に風が吹いた。風になびく髪を抑えて、空を見上げる。風が吹き荒れている。これってもしかして?
「レジナルドっ!! レジナルド、どこにいるの!!」
声を張り上げて、名前を呼ぶ。レジナルドが来る。そんな確信めいた予感がして、呼びかける。空に向かって、彼の名前を
『ほお、何処とな? 此処だ。シア嬢』
彼が応えた。上空からこっちに向かって黒い姿がやって来る。それはあの時と同じく凄まじい速さで此方へと降り立った。土煙を上げて着地すると黒い龍はその力強い翼を広げて、天へと咆哮した。彼が降り立った際に起きた強い風を受けて思わず身体のバランスを崩して、尻餅をついてしまった
その咆哮に、思わず耳を塞ぐ。ビリビリと身体が震える。そんなボクの姿を見て、満足したのか黒龍は此方へと来る。彼が今、姿を見せて言った
『よく来たな、器よ。歓迎するぞ』
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