組曲『月の姉妹 ト短調』
1
息を短く吐いて、阿部姉妹が同時に床を蹴った。左右から降りかかってくる銀色の輝きを、ムツは“各自二本ずつの片腕で”捌いてゆく。赤い飛沫で染められた部屋で、銀の軌道が煌めいてお互いに打ち合い、甲高い金属音を鳴らして、オレンジ色の火花を散らせていった。膝を狙ってきた満月のナイフから飛び上がり、宙で身を捻って着地。すかさず三日月の蹴りが、ムツの頭をめがけてきた。これから身を沈めて床を転がり、片膝を突いた瞬間に、満月からの後ろ廻し蹴りが迫る。容赦なく顔面ド真ん中へときた踵を腕を上げて防ぎ、立ち上がるなりに足首を脇に挟んで赤毛の女を振り回していった。襖を突き破って、満月が廊下に放り投げられる。その直後に後方からきた三日月の短剣から潜り抜けて全身を捻ると、ブロンド女の背中に思いっきり脚を鞭のように叩きつけた。妹と同じように襖を破って吐き出された女は、受け身をとるも壁に背を強打したために咳き込んだ。
風穴からムツが廊下へと出てきたのを見るなりに、阿部姉妹は起き上がって再び構えていく。
中央で腰を落としながら四本の両腕を広げてゆく赤頭巾をめがけて、阿部姉妹が両側から攻めてきた。年子だが、まるで双子のような息の合いかたで、三日月と満月は短剣とナイフを繰り出してゆく。同時に上を狙い、次は胸元と腹とに走らせて、ときには互い違いに振り、切っ先で突いたりなど。三人それぞれの刃が擦れ合い、打ち合う音を鳴らしていくなかで、遂にムツの両腕を封じた阿部姉妹。鉈と出刃包丁と短剣とナイフとが鎬を削る状態へとなり、つまり、三日月は相手の右腕二本を押さえて、満月も同じく左腕二本を押さえ込んでいた。暫くはこの膠着状態へと入ろうかと思われた矢先に、阿部姉妹は背中合わせにムツの土手っ腹に踵を突き刺して壁に叩きつけたのだ。
背骨を貫いていく太い稲妻を体感しながら、ムツは軽い呼吸困難を起こして咳き込んだ。しかし、落ちそうになった膝を立てて四つの刃物を構えた。これを見た三日月と満月が目を合わせるなりに、踏み入れて左右から刃を振るう。数度ほど火花を散らせたところで満月のナイフから頭を下げて退き下がったときに、ムツはさらに飛び退けた。それは、三日月が宙から弧を描いて足を突き出してきたからである。ムツの目の前に片膝を突くなりに、ブロンド女は起き上がって踵を天井高く突き上げた。一歩引いてそれをかわした直後、頭上から第二撃が迫る。さらに足を引いて飛び退けたムツを追うかのごとく三日月がダッシュしてきて、逆手にした短剣を繰り出してきた。打ち合わせていったすぐに、三日月は身を捻って脚を鞭のように振り上げる。
爪先から顎を引いて避けたのちに、ムツも軸足を使って独楽のごとく回転して踵を突き出した。これを三日月は胸元で腕をクロスさせて防ぐも、床を滑っていき、なんとか踏ん張る。そんな姉と入れ替わるかのように、跳躍してきた満月が飛び蹴りを放つ。離脱して避けたムツを逃さず、赤毛の女は着地もコンマ数秒にして、それは、バネのごとく跳ねて側転宙返りをして四本腕の赤頭巾に追いつく。そして、そのまま横から踵を槍のように放った。この蹴りにはさすがに腕を交差させて防御したあとに、ムツはさらに後退してゆくも、それを満月が許すことなく踏み込んで脚を振り上げてきた。膝を落として頭の蹴りをかわしたすぐに、ムツの足下を狙って満月の足が円弧を描いて迫り来る。
上段から時間差も僅かにして繰り出してきた、満月の水面を滑るような蹴りから垂直に跳んで避けたムツは、着地もまもなく鉈の両腕を突き放った。これらを刃先で打ち返して離脱するなりに、満月はムツの胸元と顔面とをめがけて二連続も踵で蹴りやってゆく。それぞれ前後一対の腕を巧みに使い分けて、赤毛の尼僧の蹴りを防ぎ、後転宙返りをして間合いを確保。そして再び満月と入れ替わるように宙で身を捻って着地してきた三日月が、ムツのエリア内に入るやいなや、急所を狙った短剣の切っ先を連打してきた。擦れ打ち合い、ときには引っ掻く音を響かせていく攻防のなかで、顎に風が当たるのを感じたムツはとっさに首のあたりで腕を交差。瞬間、三日月が躰を丸めて蜻蛉返りをした矢先に、クロスさせた交点に打撃と熱とが天井へと駆け抜けた。しかも、続けざまに二度目の襲撃。なんと、三日月はムツの目の前で蜻蛉返りと同時に踵で蹴り上げたのだ。それも連続して。
今ので痺れを覚えたのか、たまらずに飛び退けたムツ。これを逃すかと云わんばかりに、姉を飛び越えてくるかたちで、満月が宙で躰を旋回させて踏み込んだ。好機を与えてなるものかとムツはさらに離脱。の、ところが、それをさらに満月が両膝を抱えるかっこうで側転宙返りをして六本腕の赤頭巾に追いついた。ムツは今まで二十年近く生きてきたなかで、このように両脚がバネで出来ているんじゃないかと思った相手は初めてである。しかも、二人ときた。感心のなかに半ば呆れの入った舌打ち。
そうしている間にも、満月が足を高くあげてムツの顔を狙ってきた。とっさに腕で防いだそのすぐあとに、胸元を蹴ってくる。これにも反射的に防御するも、なんと、次々と機関銃の放つ弾丸のごとく蹴りを繰り出されてきたではないか。この足技の当の本人である赤毛の尼僧は、見事なまでに軸足をぶらすことなく蹴りを連射しながら、少しずつムツを追い詰めていった。このように“ひっきりなし”に来る足の襲撃から、なんとか四本腕を駆使して捌いてゆくムツのその先で、つまりは満月の後ろから潜り込んできた影を発見したその刹那。
下から現れてきた二つの銀色の軌道が、鋭利な切っ先となって、ムツの肋骨へと両側から突き刺したのだ。
廊下いったいに、割れる金属音が響き渡ってゆく。
「あかん、しもうた……」
三日月の呟きとともに、短剣の切っ先が床に落ちた。ムツの装備している極薄の特殊合金製防弾着により、肋骨を狙ってきた刃から守っただけでなくその短剣そのものをへし折ったのである。これに、阿部姉妹の動きが一斉に止まった。瞬間、目の前でバック転宙返りをしたムツから、二人は仲良く顎と鼻とを蹴り上げられてしまい、よろけてゆく。鼻孔から垂れてくる赤い筋を手の甲で押さえながら、三日月は「こなくそ」と心で叫びをあげて床を強く蹴って、ムツの間合いに入るやいなや身を捻って踵を振り上げたり、垂直に跳ねるなりに瞬時に軸足から蹴りへと脚を入れ替えてなどの足技を連続的に放ち、四本腕の赤頭巾を叩きのめさんと迫る。そして、顔を潰さんとばかりの高角度に突き上げた足を流されたそのとき。
腰を落としたムツから踵で軸足の膝の横を砕かれた次は、上げていた脚の膝の皿をめがけて肘を落とされて破壊された。三日月は、突然と力を奪われたようにまるで下から糸で引っ張られる感じでマホガニーのフローリングへとへたり込んで、そのまま横倒れとなった。その直後に駆け上ってくる激痛という名の稲妻に、思わず歯を食いしばり眉間に力いっぱい皺を寄せて、苦痛の呻きを漏らしていく。
「姉さん!!」
思わず悲鳴混じりに叫んだ満月が、ムツを強く睨みつけるなりに駆け出した。間合いの数歩手前で跳躍すると、ムツの上体を狙って二段蹴りを放つ。惜しくも四本腕で防御されようとも、諦めずに踏み込んで、両腕のナイフの切っ先を機関銃のごとく撃ち出してゆく。先の戦闘とは倍以上の刃の光りとオレンジ色の火花とを散らしていくなかで、ムツが広げた“後ろ一対の腕”によって満月の手元からナイフを弾かれた。呆気にとられていたその刹那に、片腕へと“前の一対の腕”が巻きつけられたその次、突き下ろしてきた踵で膝を破壊されて体勢を崩す。そして、ムツの仕上げはここからであった。グイと身を捻られて背中合わせにされたと思った矢先に、肩に肘を叩き落とされた上に潜り込んできたあとは、なんと、一本背負いをされて、床に腹を強打してしまった。このとき、体重を乗せられた瞬間に、満月の肩を外されてしまったのである。
2
去りゆく赤茶けた“まだら模様”の背中を見ながら、満月は姉に声をかけていく。
「(姉さん)あの子、エラい優しいな」
「ほんまにの。こうまで徹底してやられてまうと、気持ちええわ。……ツッ……!」
「あはは! こら暫く車椅子やな。……アタタ……ッ」
「笑うたらあかん。そう云う満月も松葉杖で暮らさなならんで」
「さ、さいですか」