組曲『白い喘ぎ』
1
とある建物の内部にある木製扉の前に、ヌウッと幽鬼のごとく立つ、赤と茶の斑の頭巾をかぶった長身の女がいた。扉の表札には、『菱翼建築興業』と。長身の女の耳に掛けたアルミ鍍金のヘッドホンからは、また別の女と思われる声が話しかけてゆく。
『ハク(白)、抜かりなくやりなさい』
その指示に、ハクと呼ばれた長身の女は頷く。そして、次に与えた声の女の指示は耳を疑うものだった。
『今回は貴女の仕事だから、貴女の曲を使うわよ。―――じゃ、いつものようにスイッチを入れて』
ハクがベルトに掛けてあるMDプレイヤーの再生ボタンを、人差し指でONに。すると、ヘッドホンの奥からピアノの静かな旋律が鳴り響いてきたではないか。静かでいて、その内に秘めたる危険さを思わせるこの伴奏は、組曲『白い喘ぎ』。ハク自身の曲でもあったのだ。そうして、前奏の終わりかけた時に、声の女が最後にこう告げた。
『狩りを始めなさい』
このひと言と同時に、ハクは扉から距離をとると、長い脚を突き出した。
大きな音を立てて、事務所の出入り口が破壊され、書類を整理していた眼鏡の組員にぶち当たって壁へと叩きつけた。声をあげて目を剥く他の組員たち。
「な……! どこの鉄砲玉だ、てめぇ!!」
投げられた質問に、ハクは薔薇色の瞳孔を流して腰に差していた刀に手を乗せる。そして走り出していき、机の引き出しから武器を取ろうとしていた丸刈りの組員をめがけて、光りを横に走らせた。すると、たちまちその男の躰は二つに割けて、床にずり落ちる。肉の断面から赤い飛沫があがり、ハクの頭巾に噴きかかって、新たな染みを広げてゆく。女の後ろから斬りかかって来た口髭の組員の長ドスを、素速く踵を返して防いだ。刃と刃の高い金属音が鳴る。小手を返して口髭の組員から武器を振り払うと同時に、膝の皿を踵で叩き壊して、その首をはねた。
この時、ハクは血色の良い魅惑的な唇の端を釣り上げたのだ。
直後、数発の銃声を響かせて、アロハシャツの組員が真正面から女の躰へと弾丸を浴びせたが、当のハクはその衝撃により少しよろけたのみで、堪える素振りすら見せずに男の腹に踵を突き刺した。次に、尻餅を突いたアロハシャツの組員の両脚を、膝から下を斬り離したのである。床に落ちていた長ドスを拾い上げるなりに、男の肩から胸にかけて振り下ろした。
耳へと流れ込んでくる鍵盤を弾くリズムが、激しさを増していった時、ハクの動きも心身の高ぶりと共に勢いを付加していく。己の手持ちの武器で、斬れる人数は今までの経験によって把握できている。よって、ハクは事務所の組員たちが振りかざしてくる長ドスや短ドスなどを、弾き飛ばして奪い取ったのちに、我が武器として使って斬りつけたり、遠方の敵には投げつけて刺したりして使い分けていた。ただし、ピストルやハンドガンなどの銃弾は、こちらに幾らでも喰らわせてやる。それは、前もって、極薄に加工成形された特殊合金とゴムによって構成された、特注品の防弾チョッキを着用していたからだ。
組曲も終盤にさしかかった頃には、大半の組員たちを斬り割いていた。刃にまとわり付いた血糊を、振り払って落としたときのこと、荒い息遣いを聞いてその方へとハクが首を向けてみると、若い長髪の組員が机越にハンドガンを構えていたのだ。先ほど見てきたの拳銃よりも、若干だが口径が大きい。腕を突き出して、照準もハクへと問題なく固定しているものの、いかんせん、手元が小刻みに震えて脂汗を噴き出させている。この青年の様子を見るなりに、ハクは薔薇色の虹彩を歪ませた。が、しかし、相手側の口径が大きいために油断はならず。鍔の無い本身を静かに鞘の中へとしまい込み、身を屈めてその組員と向き合った。
事務所に訪れた静寂。
長髪の組員が意を決して引き金をひいたと同時に、爆音が響く。すると、倒れたのはハクではなく青年の組員であった。その成り行きは、撃ち出された銃弾を反射的に身を退いてかわしたハクが、間髪入れずに踏み込んだ。それと一緒に鞘から逆手で引き抜いた本身を、真っ直ぐと投げつけて、青年組員の前頭葉を貫いたのである。そのあとは更に用心のために、床から長ドスを拾い上げて詰め寄ると、腕を真横に振り払って青年組員の首をはね飛ばした。そして、組曲の演奏の終わる頃には、男の頭に刺した己の武器を抜き取って鞘に収めると、静かに立ち去っていった。
2
事務所から出てきたハクは、建物の死角へと回り込み、前もって壁に立てかけてあったモンザレッドのファッションカートを開けた。血に染まった頭巾を脱いで現れたその顔は、色素の抜け落ちた象牙色のきめ細やかな皮膚と、毛細血管によって薔薇色に輝いている切れ長な瞳。同じように色素を失った、セミロングの頭髪。紅を引いたかと思えるほどに、血色の露わな唇。それらの特徴は、紛れもなくアルビノの奇形体であった。だが、それらを構成している顔の造形や、しなやかな躰つきなどは、驚くほどに均整のとれたもので、街中を歩いているだけでも誰もが振り向きそうである。
そして、頭巾をバッグにしまい込んで、銃弾で穴だらけになった上着を脱いだのちに、その中から替えの上着とスカーフを取り出すなりに、着替えて頭に巻き付けた。あとは、サングラスを顔にかけて完了となる。頭巾を脱いだハクの身なりは、白いブラウスにベージュの膝上五センチのスカートといったもの。近く駐車場までファッションカートを引いてゆき、そこに停めていた白い乗用車へと乗り込んだ。やがてキーを回して、我が家に向けて転がしていった。