第七話 採用担当者からの相談
午後の産業保健室には、やわらかい光が差し込んでいた。
窓の外では、ビルの隙間を抜ける風が、かすかに木の葉を揺らしている。
ノックは、少しだけ早かった。
「先生、ちょっといいですか」
顔を出したのは、採用担当の中村直樹だった。
どこか軽い調子で、そのまま中に入ってくる。
「採用面談に来た人のことで相談なんですけど」
寺西は、椅子に座ったまま視線を上げる。
「どうぞ」
「この人なんですけど」
差し出された健康診断の結果用紙には、いくつか赤い印がついていたようだった。
「“要治療”って書いてあって。血圧と血糖がちょっと引っかかってて…… トラック乗る仕事なんで、こういう人って採用していいんですか?」
寺西は、紙に一度目を落とさず、中村を見つめて答えた。
「なるほど」
うなずきながら、少し思案したように壁に目を向け、再度中村に視線を戻す。
「中村さん、採用の可否に健康診断結果を用いるのは、原則NGです」
間を置かずに言う。
「私がここで、“運転は不可です”といった回答をして、それを理由に採用を見送った場合、法令違反にあたる可能性があります」
中村は、一瞬きょとんとした。
「え、そうなんですか……?」
寺西は、淡々と続ける。
「したがって、採用が決まっていない方の個々の健康情報のご相談はお受けかねます」
やわらかい口調だったが、線ははっきりしていた。
中村は、戸惑ったように紙を見て、少し身を引く。
「あ、すみません……じゃあ、これは一度持ち帰って……」
そのままドアに向かいかけたところで、
「ただ」
寺西が、静かに声をかけた。
足が止まる。
「業務内容を踏まえて、どのような健康状態だと勤務ができるか、という一般的な当社のルールであればお答え可能です」
中村は、健康診断の書類をファイルにしまいながらゆっくりと振り返った。
「……お願いします」
寺西は、手元のファイルを開いた。
数枚の資料を取り出し、机の上に並べる。
「うちの衛生委員会では、健診の判定基準を整理しています」
血圧、血糖値、HbA1c、貧血。
それぞれの数値に、区分と対応が示されている。
「これは、“どうフォローするか”の基準です」
指先で、項目を軽くなぞる。
「例えば、血圧であればこの範囲は受診勧奨、この範囲は業務内容の配慮を検討、といった形で整理しています」
中村は、少し身を乗り出して資料を見た。
「こういうのがあるんですね……」
「はい」
寺西は、もう一枚の資料を差し出す。
「こちらは、運転業務に関する国の考え方です」
トラック運転時の健康管理に関するパンフレットだった。
「トラック運転をさせる際、運転可否の基準になるのは血圧の180/110という数値です。高血圧は、脳や心臓の病気のリスクですね」
中村は、ページをめくりながらうなずく。
「血圧以外に、気をつけるのは低血糖とか、意識障害とか……」
「そうですね」
「なるほど……」
最初の軽さは、もうなかった。
「じゃあ、この方については……」
「個別の判断はできませんが」
寺西は、静かに言葉を重ねる。
「要治療の所見があるのであれば、受診を勧めていただくとよいと思います。そして、改めて入社後にご本人の健康状態を私たちに判断させてください。雇い入れ健診を確認します」
中村は、ゆっくりとうなずいた。
「分かりました。ありがとうございます」
今度は、落ち着いた足取りで部屋を出ていく。
ドアが閉まる。
午後の光は、変わらずやわらかく差し込んでいた。




