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旦那様は良き友人

作者: 有梨束
掲載日:2026/03/29

「おはようございます、セルジオ様」

夫であるセルジオ・ベルガーと食堂にて挨拶を交わすのが、私の1日の始まりだ。



「おはようミレイユ。よく眠れたかい?」

「ええ、それはもうぐっすりですよ」

「それはよかった」


結婚して1年、寝室を共にしたことは一度もない。

だけれど、セルジオ様との結婚生活は充実しているし、この生活は想像していたよりもずっと心満たされる日々である。 


セルジオ様と結婚してよかったと、私は思っている。



遡ること2年近く前。

貴族学校の同級生であり、同じ生徒会のメンバーだったセルジオ様が私を訪ねてきたことが始まりだった。


たしかに他の男性よりは仲がいいとは思っていたし、生徒会という仕事を一緒に乗り越えた仲だから、他の女性よりは友達と呼べたかもしれない仲だった。


でもそれだけで、節度ある程よく遠すぎないくらいの友好関係だと思っていた。


学生時代から女子生徒からの憧れの的だったセルジオ様に浮いた話は聞いたことなく、結婚の申し込みに来た時は驚いたものだ。



「久しいね、アーバン嬢」

手紙が届いて実家にいた私を訪ねてきたセルジオ様と、学校を卒業してからこんなふうに会うのははじめてのことだった。


「ええ、ベルガー様のお仕事ぶりは風の噂で聞いておりますよ。相変わらずキビキビ働いていらっしゃるそうですね」

「生徒会でしごかれたからね」

そう言って微笑んだセルジオ様は、あの頃より大人びていたけれど、笑顔はあの頃より自然だった。


「早速本題でもいいかな。手紙にも書いたように、もしよかったら僕と結婚を──」

「そのことなのですが、私…」

「待ってくれ」

私がお断りをしようとした時、人の話を遮ったりしないセルジオ様が止めに入ったので私は彼を見た。


「アーバン嬢が、まだ先輩を想っているのはわかっている。それでも、一度僕の話を聞いてから考えてみてくれないか?」

その言い方に、私はセルジオ様をじっと見つめた。


「何か、理由がおありなのですね…?」

「…ああ。このことは誰にも話したことがない。ただ僕の友人の中で、君が一番口が堅く、一番信用できると思って、無茶を承知で話を持ち掛けようとしている」

「お聞き致しますわ」

「…ありがとう」

セルジオ様は紅茶を一口飲んで喉を潤すと、硬い表情で提案した。


「僕と契約結婚をしてほしいんだ」


どちらかというと真面目で、礼節を重んじ、仕事人間で、貴族の務めを全うしているセルジオ様の提案には聞こえないようなもので、危うく耳から擦り抜けそうだった。


「応じてもらえるなら、どんな理由であれこの結婚が嫌になった場合は、僕の有責にして離縁してもらって構わない。その際は、君がその先も困らないように手配する。慰謝料もしっかり払うし、再婚相手を探してもいい」

「ちょ、ちょっと待ってください。話が飛躍しています、もう少し手前をお願いします…!」

「アーバン嬢がマテオ先輩以外に愛する人がいないのは、僕もわかっている」

「……そう、ですね」

「惜しい人を亡くしたと、今でも思っているよ…」

セルジオ様の瞳が揺れて、私も鼻の奥がツンとした。



私には、5年前まで婚約者がいた。

2つ年上で、同じく生徒会のメンバーであり、良き先輩であり、恋人だった。


もう結婚式の準備を始めていた頃、馬車の事故に巻き込まれて帰らぬ人となった。


幼い頃からずっと一緒にいた人が、未来も一緒にいるはずだった人がいなくなって、私はこの気持ちをどうしていいのかわからなかった。

幸い、両親も私とマテオが政略結婚以上の感情があったことを知っていたから、新しい婚約者を募ろうとはせず、そっとしておいてくれた。


そのまま、時が止まったように、私は独り身のままだった。

マテオ以外との結婚など、想像もつかなかった。


「その気持ちを邪魔するつもりはない。だが、僕も君もこれ以上結婚しないのは、面倒な年齢になってきたのも事実だ」

「…そうですね」


実際、その通りだった。

未亡人というわけでもなく、未婚のままの結婚適齢期を過ぎようとしている私のことを、社交界ではあまりよく思われなくなってきている。

マテオが亡くなったばかりの頃は、想い続けていても許されたのに、今はもう許されない空気を感じる。


私は、まだ、マテオが好きだというのに、他も、時間も待ってはくれなかった。


「…これは他言無用で、お願いしたいのだが」

「はい」

神妙な面持ちのセルジオ様に、口は硬いですと表すようにしっかりと頷いてみせた。


彼は一呼吸してから、口を開いた。


「…僕はね、同性愛者なんだ。今は恋人もいる」

その告白は、今まで聞いたどの秘密ごとよりも質感があり、重いようで、熱かった。


胸がキューっとなるようでいて、ホッとするようでもあった。


それだけで、今までのセルジオ様の言動なんかが勝手に意味付けされていくようで、意外にも腑に落ちたし、あんまり動揺もしなかった。


「…私、相当信用していただけているようですね」

そう言って笑みを零すと、セルジオ様も肩の力が抜けるように笑った。


「アーバン嬢以外に、頼める人が思いつかなかったよ」

「契約結婚ということは、白い結婚をお望みですよね?」

「ああ、そうなる。…君には失礼な話だとも、思っている」

「後継者はどうなさるおつもりですか?」

「親戚に8歳の子がいる。利発で向いていると思って、打診してある。他の候補に、6歳の子もいる。彼は少々やんちゃだが、早いうちに教育すれば問題ないと思っている」

「私に求めることは、女主人としての切り盛りくらいですか?」

「ああ、それもできる範囲で構わない。なんせ無理を言っているのはこちらだからね」

肩を竦めるセルジオ様を見て、学生の頃より随分柔らかくなったなと思った。


今の恋人の、いい影響なのかしら。


「私、好き同士は結ばれていいと思っていますの」

「力強い言葉だね…」

「想い合っているのにそばにいられないというのは、悲しいですからね」

「アーバン嬢…」

「ですので、その話、お受け致しますわ。私でよければ、ぜひお願い致します」

「ほ、本当にいいのかい…!?」

「ええ、ベルガー様となら今の関係のまま夫婦になれる気がします。その代わり…」

「その代わり?」

「ベルガー様がお嫌じゃなかったら、ぜひ私にも恋人様を紹介してください。友人の恋人にお会いしてみたいですわ」

私がそう言うと、セルジオ様は目を見開いて、それから破顔した。


その笑みが眩しくて、マテオを思い出すようだった。


「ああ、アーバン嬢がいいならぜひ」


こうして、私たちは合意の上で契約結婚をしたのだった。




「セルジオ様、使用人の配置を変えてもよろしいですか?」

「何かあったかい?」

「メイドが2人、懐妊したのです。1人は辞めることが決まっているのですが、もう1人は出産後も働きたいと言っているので、もう少し軽い仕事に変えたくて」

「そういうことなら、人員を増そう。何かあった時のためにも」


こういう会話をしている時は、生徒会を思い出す。

改革派の先輩たちと、猪突猛進な後輩たちに挟まれて、私たちはよく頭を抱えながらも働いたものだ。


「あら、ありがとうございます」

「こちらこそ。ミレイユが家のことをしてくれるようになってから、使用人も生き生きしている。助かっているよ」

「皆さんがよくしてくださるからですよ」

「ミレイユが頼もしいからだよ」


学生時代と違うのは、もっと気安い相手になったということだ。

今の関係は、結構楽しかったりする。


「今日はヨアンのところに寄ってから帰ろうと思うんだけど、大丈夫かな?」

「もちろんですわ、ヨアンさんによろしくお伝えくださいね」

「ああ、ありがとう」


セルジオ様の恋人は、同じ職場の平民の男性だ。

文官として働くセルジオ様の同僚であり、平民で王宮勤めなのはかなり優秀な人だ。

中世的で、男性に言うのは失礼かもしれないが、可愛らしい人だ。

私も何度か会わせてもらったことがある。


セルジオ様は、私に毎回許可を取ってから、恋人に会いにいく。

そういう誠実さは学生の頃から変わらなくて、私も安心してそばにいられる。


「それで、週末は一緒に観劇に行かないかい?今、流行りのものがあったよね」

「あら、週末もヨアンさんと一緒でなくていいのですか?」

「君へのおもてなしも大事だ。こんな僕と結婚してくれた救世主なんだから」

「それは、私もそうですよ?」

「夫婦で出かけないと、よからぬ噂を立てられかねないからね。僕の大事な奥さんを、女性陣の笑いものにするわけにはいかない」

「皆さん、私たちのことは仲良し夫婦だと思っていますけどね」

そう言って笑うと、セルジオ様も穏やかに笑った。


私たちのことは、今やおしどり夫婦だと思われている。

なんでも、私がマテオを亡くして塞ぎ込んでいる間、セルジオ様が献身的に寄り添っていたというふうに勝手に妄想されて、今や社交界では事実のようになっている。

なので、私たちはそれを否定することなく、過ごしている。


まあ、夜会ではいつも一緒だし、女性の噂のなかったセルジオ様が私には気を許しているように見えているだろう。

何よりセルジオ様がマテオのことを尊敬していたのは、割と有名な話だから、そのように思われても仕方ない気がする。


互いに尊敬する先輩を忘れることなく結ばれた、美談に見えるみたいだ。



「ミレイユ、一杯どうかな?」

時々、セルジオ様は晩酌に誘ってくれる。

それが、私たちらしい夫婦の時間なのだ。


私はこの時間が、とても好きだ。

セルジオ様は、いつもマテオの話を聞いてくれるから。


マテオが亡くなって喪が明けてしばらく経ってからは、マテオの話をすると微妙な顔をされてきた。

時間が経てば経つほど、マテオの話は忌避されて、私は誰にもしなくなっていた。

もう忘れろと言われたこともあるし、まだ囚われているのかと言われたこともある。


まだも何も、私の中では終わっていないというのに、どうして勝手に決められなきゃいけないんだろう。

マテオの写真を抱き締めて眠っても、気持ちが晴れたことはなかった。


でも、セルジオ様は懐かしそうにマテオの話を聞いてくれる。

さらには、セルジオ様の方がマテオの話をしてくれることもある。

すべて過去の話しかないけれど、ぽっかり空いた穴を埋めるような時間であり、私には必要な時間なのだ。


それに、あたたかい時間でもあった。


「マテオ先輩は無茶振りが多かったからねぇ」

「言っていることは正しいんですけどね」


晩酌の時に、セルジオ様が生徒会の時に撮った写真を何も言わずに机の上に置いてくれるようになったのは、いつからだろう。

学生時代の私とセルジオ様も、ずいぶん幼く見える。


「そうなんだよね。だから、なんとか形にしたくて奔走したっけね」

「私とセルジオ様は特に振り回されていましたから」

「おかげで柔軟な人間になれた。今の仕事で、人とのコミュニケーションがうまくできるのは、確実にマテオ先輩のおかげだよ」

「荒療治の間違いではなくて?」

「ふふっ、それで言ったら僕も君も気難しい方だったからなぁ」

「マテオが溌剌としすぎていたんですよ」

「僕は、そこに憧れたもんだよ。ミレイユだって、そうでしょう?」

ワインで少しふわふわしているセルジオ様は、眩しそうに目を細めた。


マテオもお酒を飲んだら、こんな感じだったのかしら。

今ここにいたら、誰よりも楽しそうに飲んでくれるに違いない。

マテオも、セルジオ様のことは気に入っていたから。


「太陽みたいな人でしたからね」


私がポツリとそう言うと、セルジオ様も静かに頷いた。


「先輩がいる代の生徒会にいたことは、幸運だった」

こうして、ただマテオの話ができるのが、私には何よりも嬉しかった。





「セルジオ様、最近お揃いの色で服を仕立てるのが流行っているのですよ」

「そうみたいだね」

「ですので、いいことを思いついたんです!」


お茶会で「ミレイユ様はお揃いを作らないんですか?」と言われて以来、何かしなければなぁとは思っていたのだが、ようやくいいのが思いついたのだ。


「若草色のお揃いのものを作りませんか?」

「若草色?」

「はい、ヨアンさんの瞳の色です!」

私の提案に、セルジオ様がびっくりしたように、何度も瞬きをした。


その顔を見て、私まで嬉しくなる。


「あら、思ったより喜んでいただけたみたいでよかったですわ」

「え、なんで」

「セルジオ様、今すっごく顔が緩んでいますわよ」

「そんなにわかりやすかったかい?」

「ええ!今の顔、ヨアンさんに見せてあげたかったですよ」

「ふふ、ありがとうミレイユ。すごく嬉しいよ」

「では、早速作りましょう」

「じゃあ、もう一着は紺色のお揃いにしようよ」

「紺、ですか?」

不思議に思って、首を傾げた。


私の色にするなら緑色だし、セルジオ様の色にするなら青だ。

どちらとも違う色に疑問に思ったけれど、セルジオ様は当然だと言うように頷いた。


「マテオ先輩の瞳は、紺色だろう?紺を纏った君のことを、僕も先輩に見せてあげたいもの」

その言葉に思わず泣きそうになって、うまく笑えていたかはわからない。


「…これは、思った以上に嬉しいですね」

「そうだよ、ミレイユは天才だね」

「普通、紺を着ていいなんて言いませんわよ?」

「それはお互い様じゃないか」

「ふふふ、ありがとうございますセルジオ様」

「こちらこそ、ありがとう」


若草色のドレスでセルジオ様と夜会に行った時のダンスが、今までで一番うまく踊れた気がしたのだった。




「セルジオ様、ヨアンさんのお誕生日が近いですよね?」

「そうだね」

「よかったら、今年はこの家でお祝いしませんか?」

「ヨアンの誕生日をかい?」

「ええ、せっかくですし私もお祝いしたいなぁ、って」

「僕の奥さんは、寛大すぎないかな?」

「あら、私の旦那様に甲斐性があるからうまくいっているのですから、これくらいいいじゃありませんか」


実際、セルジオ様はすごいと思う。

この結婚生活に不満を抱いたこともなければ、窮屈にも感じないし、蔑ろにもされていない。

むしろ、良きパートナーとして心地よく過ごせるように、いつだって心掛けてくれている。

その上で仕事もしっかりして、家のことは私以上にやりながら、恋人にも献身的なのだから、どこにも手を抜かない姿勢は見習いたいものだ。


「ミレイユはいいのなら、聞いてみるよ」

「ええ、遠慮せずに祝われに来てくださいとお伝えくださいませ」

「それはそれで、ヨアンが恐縮しそうだね」

「ついでに旦那様の惚気話を聞かせてくださいと、言っておいてください」

「それは、僕が恥ずかしいのでは…?」

「ふふふ、恋人同士の話は、いつ聞いてもいいですからね」

私が笑うと、セルジオ様が困ったように笑う。


こうやって、何気ない会話のできる相手がいることは、マテオが亡くなってからは想像もつかなかったことだ。

こんなふうな未来が待っているとは思ってもいなかったし、思えていなかった。

もう一度、心穏やかに過ごせる日々に感謝している。


「そうだ。来月のマテオ先輩の命日は、僕も一緒に墓参りに行ってもいいかい?」

「もちろんですわ。…ありがとうございます、セルジオ様」

「僕も先輩に会いたいからね。それに、ミレイユを相変わらずお借りしていますと報告しに行かないと」

「きっと、大笑いするでしょうね、マテオなら」

「ああ。『お前ら、お堅いコンビだったのにそんな大胆なこともできるようになったのか』って言ってくれる気がするよ」

「ふふふ、『まあ、2人がいいならいい!』って言いますよ」

「言うだろうねぇ、目に浮かぶよ」


ゆっくり朝食を共にしながら、穏やかに時間が過ぎていく。


「そうだ、これは君に伝えないとね」

「何かありましたか?」

「ミレイユ、君と結婚できてよかった。ありがとう。僕が今楽しく過ごせているのは、ミレイユのおかげさ」

そう言って微笑んだセルジオ様に、私も笑顔で返した。


「私も、セルジオ様と結婚できてよかったです」






お読みくださりありがとうございました!!  毎日投稿88日目。

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― 新着の感想 ―
愛………!!! 恋愛ではなく友愛であり親愛であり信頼ですね!!! 程よい距離感でお互いに配慮し合うからこそ幸福に過ごせているのだとも思います。
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