それは尊重するということ
様々な疾患の人が入院される。
私の職場には主に脳卒中や骨折の人が多く、後遺症として麻痺や歩行障害、他にも様々な症状を抱える人達だ。皆、今まで暮らしていた自宅へ戻るために治療を重ねる。
支援を行うにあたり、自宅環境や日頃の習慣などを事細かに聴取する。皆さん自分の暮らしを悠々と語る姿に「すごいなぁ」と思った。自分の生活が充実しているという。健康のために散歩を毎日2キロ行っていたり、ラジオ体操を毎日行っていたり、また地域の活動に積極的に参加し家にいる時間が夜しかなかったり、畑で野菜を育てて美味しく料理を楽しんだり、孫やひ孫の面倒を見ていたり。
私は自分の生活を人に話すとしたら、どんなことを言うだろう。休みの日は基本的に午前中はベッドから出ない。目が覚めたって小さな端末の中に閉じこもり、あっという間に数時間経っており慌てて外の空気を吸いに行く。
おそらく、機械もネットもない場所にぽんと下ろされたら、生き残るのはこの人たちだろうなと話を聞いて感じた。努力することを惜しまず、努力していることを美と考える。昔ながらではあるが、それができる人はやはり尊敬に値すると感じる。
話は変わるが、中には意識もなく、言葉も発せず寝たきりの方もいらっしゃる。
医療現場ではよく見る光景であるが、スタッフの中にはあだ名をつけて呼んだり、赤ちゃん言葉のように話しかけたり、タメ口を使ったり、、。
個人的には、好きではない。70.80年と過ごして来た期間、ご家族の気持ちにを考えればそんな奴に支援してもらうなんて甚だしい。
しかし、返答がない相手を、動かない相手を尊敬に値する人間だと思って支援し続けることの大変さも分かるのだ。
人の尊厳を守るということ。それがトイレに行けるようになるや仕事を復帰することである人もいる。しかし、寝たきりの人は、人として扱うことが最大限の人権尊重の行為である。ただでさえ、介助量が多く、人員も時間もかかる中で、それ以上を現場に求めるのはなかなか難しいのも分かるのだ。
誰でも尊敬するに値する人間である。分かっている。
寝たきりの人だって、家族にとっては立派な大切なお父さんなのである。わかっている。殴られても、蹴られても、その人は立派な人だったのである。わかっている。
私たちは、先人たちの素晴らしい経験や体験を教えていただける素晴らしい職業に就いていると思う。私は将来、若い人に聞かれた時一生懸命仕事をしていたと言えるだろうか。日常が充実していると言えるだろうか。自分のために何かできているだろうか。そして、そんな自分のことを尊敬できているだろうか。




