9.
王都入りの前日、最後の夜になった。
俺は今夜も風呂あがりのアサミ様の髪を乾かしていた。ゆっくりと櫛をいれ、寝ている間に絡まないようゆるく編んでやる。
明日からは王宮の侍女たちが頭のてっぺんからつま先まで、アサミ様を磨き上げることだろう。
俺はベッドに座っていた彼女の正面に回ると、跪いた。
「明日からはまともな暮らしができるからな。王都に着くまでの扱いはなんだったのだろうと驚くだろうが、村としてやれることはやったつもりだ。まあ、村の人間たちの言動にはだいぶ問題があったことについては村を代表して謝罪させてくれ。辛い思いをさせて本当にすまなかった。」
「ヴァンとここまでくるのは楽しかったよ。村の人のことも、恨んでないから謝んないでいいよ。まぁ、ああいうのってどこの国にもいるよね。結婚しろとかまともな職につけとかさ、よけーなお世話だバカヤローっての。」
巻き舌になってやけに威勢のいいバカヤローに、思わず笑ってしまった。
「俺も、楽しかったよ。」
アサミ様は俺の手をとって引っ張り上げると、再び隣へと座らせた。
「こっちきて最初のほうに出会ったのがヴァンで良かった。」
「そう思ってもらえるなら、冒険者を辞めて村に戻ったことにも意味があったな。」
アサミ様はしばらく黙った後で、静かに口を開いた。
「ねぇ、ほんとに村に帰るの?」
「ああ。」
「王都に残ってよ。ヴァンが帰ったら寂しいじゃん。」
アサミ様はズルい。どういう表情で、どういう話し方をすれば相手の心に響くのか無意識に把握しているのだ。ズルいと思いながら、アサミ様に寂しいと言われることが嬉しいからタチが悪い。
「今更王都に俺の居場所なんてないさ。」
「そんなの冒険者に戻ればよくない?」
ね?と首を傾げながらそう言われて、俺は一瞬王都でリスタートした自分を想像した。だけどすぐに首を横に振る。
「冒険者は留守にしがちだ。アンタ、夜一人でいるのが苦手だろ。毎日帰って来てくれる奴と暮らせ。まぁ、王宮にいりゃあ護衛騎士や侍女たちに囲まれて寂しくなる暇もないだろう。」
「その言い方って、私のこと好きみたいじゃない?」
俺は返事をしなかった。否定しても肯定しても、危ない質問だった。
「また会える?」
「こんな田舎のおっさんのことは忘れろ。王都で派手に遊び暮らしてこそ、アサミ様だ。」
「寂しすぎて死んじゃうよ。」
「人間はヒマだとか寂しさでは死なないさ。でもそうだな。どうしても寂しかったら手紙を書いてくれ。俺も返事を書くから。」
「え、あたしこの国の文字読めるけど書けないよ。」
せっかくいい妥協案を出したと思ったのに、まさかの打ち明けに俺はしばらく固まってしまった。
「…だったら、文字を覚えることが王都での最初の目標だな。手紙、楽しみに待ってる。」
きっと手紙はこない。その方がいいに決まっている。
彼女のためにつく嘘が、ゆっくりと俺の首を締めていく。でもその苦しさは、村に馴染めない息苦しさとは全く別のものだった。
「わかった。王都で出会っためっちゃいい男のこと報告するから、アタシを置いて戻ったことを死ぬほど後悔すればいいよ。」
「ああ、泣くかもしれないな。」
本当に。それ以上返すことなくアサミ様の頭に手を置く。
反動で俺の胸にぽふっと頭をあずけた彼女の頭を、ずいぶん長いこと撫でていた。
翌日、俺たちは正午前に無事王都へ到着した。紹介状もなしに幌馬車で宮殿正門にやってきた俺たちに対する衛兵の態度はあからさまに蔑んだものだった。
事情を話すといぶかし気な顔をしながら手荷物検査棟へ案内された。しばらく待たされたあとで、魔術師によるチェックを受ける。
そこから先はあっと言う間だった。
アサミ様は5人召喚されたうちの最後の1人だったらしい。王宮からわららわといろんな役職がすっとんできて、アサミ様は着替えへと案内された。
きちんと別れを告げる暇もなかったが、却ってそれで良かったのかもしれない。
流されるようにして連れていかれるアサミ様はこれが別れだと理解していないようだった。おそらく後で会えると思っているのだろう。
顔だけこちらに向けながら「ヴァン!!」と叫んだが、俺はそれに頷いただけだった。
「さて、君には少々お話を伺いたいのだが、少し残ってもらってもかまわんかな?」
アサミ様とは別の部屋に案内された俺は、宰相と王宮筆頭書記官に事情を話すことになった。
普通に生きていればまずお目にかかることのない方だ。
前時代の戦争で武勲をあげた叩き上げのカムイ宰相は、にこやかな表情を浮かべながらも凄まじい威圧感だった。
俺はただ、アサミ様がこの先安寧に暮らせるよう、あの喋り方で不当な扱いを受けないよう伝えるので精一杯だったから、不思議なくらい緊張はしなかった。
「まずは無事に聖女様を送り届けてくれたこと、感謝する。今後何かあった時のために連絡先を控えさせてもらうが、ひとまずこれで君の仕事は終了だ。掲示の通り報奨金を支払うので東棟の管財課にこれを提出して手続きしていってくれ。」
カムイ宰相はそう言って筆頭書記官に目くばせをすると、一枚の書類と小切手を用意させた。
額面は金貨50枚。村全員がひと冬越せるだけの食料がじゅうぶんに用意できる額だった。
この金を持って帰れば、少しの間俺の扱いはまともになるだろう。もしかしたらベイカー宿屋の娘よりいい相手と結婚できるかもしれない。けど、それだけだ。
俺は深く頭をさげると、書類に指を伸ばしてスッと書記官の方へ押し戻した。
「ありがとうございます。ですが報奨金は不要です。その代わり、2つほど聞き入れて頂きたいことがございます。」
グレイ宰相は眉ひとつ動かすことなくじっと俺の目を見た。
「言ってみたまえ。」
「どうかアサミ様を名前で呼んで差し上げて下さい。あの方は聖女様を呼ばれることを嫌います。それから可能な限り自由に生活させてあげてください。貴族の社交にはいささか不向きかと思われますが、不思議と人や動物を惹きつける魅力のある方です。おそらく大事に保護するより、好きに生きさせてあげた方が結果として我が国にとっても安寧をもたらすのではないかと…。」
たった10日送り届けてきただけの平民が生意気にと殴られる覚悟をしていたが、グレイ宰相は顎に手を添えてしばらく考え込んでいた。
「君は彼女と特別な仲なのかな?」
「いえ。誓って手出しはしておりません。」
一瞬、アサミ様を露天風呂に入れたことや同室で寝泊まりしていたことが脳裏をよぎったが、そこは触れないことにした。
「そうか。聖女様方の望みは可能な限り叶えるというのが王宮の方針だ。まあ、いきなり下町に放り込んで野放しにということは難しいが、本人と相談して折り合いをつけてみよう。名前についても周知させておこう。」
「ありがとうございます…!」
「正直もっと面倒なことを要求されると思っていたのだけどね。その程度の望みなら安いものだよ。報奨金はやはり受け取っておくといい。」
俺はゆっくりと首を横に振った。
「でしたら、孤児院や救貧院へ寄付でもしてください。」
筆頭書記官は、信じられないという目で俺を見たが、グレイ宰相はにっこり笑って
「では感謝状を用意させよう。」と笑って部屋を出て行った。
「本当によろしいのですか?」
何度もそう聞きながらも、筆頭書記官はすぐに感謝状を用意してくれた。寄付のことは伏せて、聖女様を送り届けた栄誉と感謝を讃える文面にしてもらった。
アサミ様に対してあんな扱いをした奴らには、こんな紙切れ一枚で十分だ。ざまあみろ。
そう思いながらもひどく虚しくて、俺は馬車が王都を抜けた頃、少しだけ泣いた。
願うのはただ、アサミ様が大きな口をあけて笑っている日々が続きますようにという事だけ。
こうして、俺とアサミ様の短い旅は終わったのだった。




