10.
帰り道は早かった。
多少リスクのあるルートでも俺一人ならなんとでもあるし、宿に泊まる必要もない。聖女の魔法のおかげで馬車の揺れが少ないこともあって、出せる限りのスピードで走る。
そんなに長いこと留守にしていたわけでもないのに、とてつもなく久しぶりにムトマ村に帰ってきた気がした。
村の広場で元気に遊んでいた子どもたちがわっと駆け寄ってきた。王都の話を聞きたがったが、まずは村長に報告してからだと言うと再び散り散りになっていった。
帰ってきたという言葉さえ違和感を覚えながら役場に直行して感謝状を手渡すと、村長は意味ありげに頷いた。
「ご苦労じゃったの、エステヴァン。して、報奨金は?」
俺は笑いたくなるのをこらえながら深々と頭を下げた。
「それが、他の発見者は誰も報奨金を受け取らなかったようです。国に安寧をもたらす聖女様を王宮へお送りするのは臣下の務めであり当然のこと。金銭目的で聖女様を保護するなどもってのほかだと。
そのような話を聞いて私が報奨金を受け取れば、ここムトマの恥となります。たかが紙切れ一枚と思うかもしれませんが、感謝状には宰相の直筆サインが入っていますので。」
「なに…?カムイ宰相のサインだと?」
村長はじっと感謝状を見つめて「おお…」と呻いた。
金貨50枚をもらい損ねた、と顔に出ているが、貰い損ねたぶん感謝状の価値をあげるしかないと思ったのだろう。村長はすぐに部下を呼びつけた。
「おい、ガラス工房で額縁を頼んでくるのじゃ。感謝状を応接間に飾るぞ。」
俺はため息をつきながら村長室を後にした。
王都まで往復していた間に、俺の机には紙束が山を作っていた。
半分以上は俺じゃなくても捌けるものばかりだった。できるけど、面倒。そんな書類と、俺じゃなければ処理に時間がかかるか、不可能だと思われるものが押し付けられた形になっていた。
俺は前者をまとめるとベテラン職員のザインさんに声をかけた。
「これ、当日受けた職員が担当するやつですよね?間違って俺の机にきてるみたいなので、お返しします。」
なるべく角の立たないよう笑顔で差し出した書類は、不機嫌まるだしのザインさんによって突き返された。
「あぁ?半月以上仕事に穴あけといて何言ってんだ。お前がいない間にどんだけ肩代わりしてやったと思ってんだ。それに子どもが熱だしてずっと寝込んでたんだよ。独り身には分からねぇだろうが、こっちは色々と大変だったんだぞ。」
俺の仕事を肩代わりしていたなら、今ここに山積みされている書類はなんなのだろう。
あとアンタの息子はさっき広場で会ったけど、元気に走り回ってたぞ。と思ったが、言うだけ無駄なのだろう。
俺は黙って机に座ると、急ぎ処理が必要なものだけを片づけ始めた。
朝には村に着いたというのに、結局家に帰れたのは終業時間を大幅に過ぎてからだった。それでも積まれた書類は半分も減っていない。
ザインさんは感謝状を見に行ったり王都の話をしたりして、夕方までほとんで机にはいなかった。
いつものことだ。ここにある仕事をやっつけている間に、また別の仕事がたまっていくのだろう。
とぷん、どろり。胸の内に澱んだ水が溜まっていく感覚で苦しくなった。
ひどく空腹で家に帰ると、テーブルにはいつもより豪華な食事が並んでいた。
ほっとした俺が席につくと、母親は俺が不在の間どんなに大変だったかを滔々と語り続ける。正直そんな話は聞きたくなかったが、せっかくのご馳走だからと相槌を打ち続けた。
食事を終えて自室に入るとベッドに転がった。やっと今日が終わる…。
ふと、部屋が妙に片付いていることに気が付いて俺は棚をあけた。冒険者時代の思い出にと大切にしまってあったものが、ない。
「母さん、俺の部屋にあったグローブは?」
階下でお茶を飲んでいた母親はああ、とあきれ顔だ。
「ああ、買い取りの行商が回ってきたから売っておいたよ。もうボロボロだったから大した値段にならなかったけど、すっきりしたろ。」
「どうして俺に相談もなく売ったんだ?」
「あんなもん後生大事に持ってたら、まだ冒険者に未練があるんだって思われるだろう?ただでさえ肩身が狭いのにさ。」
怒りで震えそうなのに、不思議と頭は冷静だった。
「…冒険者は、そんなに恥ずべき仕事なのか?」
「そんなの、役場で働いてるアンタが一番分かってんだろ。」
「俺は、冒険者であったことを誇りに思っている。今でもだ。」
「だとしても、今はただの村役場の職員じゃないかい。グローブを勝手に売ったことは悪かったよ。でもね、あんたはいつか母さんに感謝するよ。自分から手放せなかったもんを処分してもらってよかったってね。そのおかげで今夜はいいもん食べれただろう?」
全く悪いと思っていない人間の発言だった。
いつもそうだ。いつも俺が悪い。ここにいる限り、軽く扱われ、正当に評価される機会は永遠にやってこない。そういう村だからだ。
心の中に、ぎりぎりで張り続けていたロープがふっつりと切れた音がした。
むしょうにアサミ様に会いたかった。こんなこと全部あのカラカラとした笑いで吹き飛ばして欲しかった。
ーそんな地元捨てちゃえば?
いつかの彼女の言葉がくっきりと脳裡によぎる。
俺は寝台の下にしまい込んでいた冒険者の装備一式を取り出した。
それから使うあてもなくためてきた給金をまとめると、翌朝まだ誰も起きてこない時間に静かに家を出た。




