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記憶

「さて、あなたの名前は?」


「本山、イシズです。」


 紫月と別れてから、希咲は俺の存在そっちのけで部屋に入り、書類整理を始めた。俺の存在など最初からいなかったかのように書類をさばきながら、それでも名前だけはきちんと聞いてくるあたり、頭の片隅には置いてくれているらしい。まるであれだ。仕事はできるけどみんなからは遠巻きにされてる上司みたいだ。

彼女は俺の返答に短く、「そう。」と返して部屋を出た。せかせかと俺を置いていかんばかりのスピードで歩く彼女に本当においていかれないように慌ててついていく。身長は低いのに歩くのも早いし態度もでかい。なんなんだこの人は。紫月といい、希咲といい、異特の人は皆変なひとばかりなのかもしれない。いや、そもそもまともな人はこんな人里はなれたところに来ないだろう。


そう。まともじゃないのだ。すんなりと受け入れようとしていた自分に驚く。ここはまともじゃない。この世界はまともじゃない。誰も知らなかっただけで、あんな化け物が普通に存在しているのだ。日々事件だらけで感覚が麻痺していたせいで、そこかしこでサイレンが鳴り響くことがいつもの日常で、平和なのだと思い込んでいた。改めて気づかされる。それは平和ではない。平和なんて、ハナから存在していなかったのだ。

 自分はこのおかしな世界に染まらないようにしよう。非現実的なものに遭遇して目を覚ましてしまったのだ。この世界の真実を知ってしまった自分は、どうするべきなのか。答えは簡単だ。人々が残酷な真実に気づかないように、今度こそ本当の意味で守りたい。警察官のくせに大切な先輩一人ですら守れなかった自分。償いではない。だが、意気地なしで怖がりな自分には、この運命くらいがお似合いなのだ。だからこそ、受け入れてはいけないのだ。たとえもう二度と日の目を見ることがなかったとしても。

 それにしても理不尽じゃないだろうか。もう一度思い直すが自分は被害者だ。よくわからないアノマとやらに襲われて、先輩の記憶は消せたけど俺の記憶は消せなくて?消せないし秘密を知っちゃったから強制的に異特に入ってね、って。おいおいうっかり流されるところだった。俺の記憶も消してくれたらよかったのに。


「今後、あなたが聞きたいこと、知りたいことを見つけたら私を呼ぶといいわ。小さい声で、ね。部下とアノマは使いようよ。」


「あの、」


俺は早速質問をした。ずっとわからないことだらけだったのだ。


「アノマって、具体的に何なんですか?」


カラン、と音がした。あの日のスマホが落ちた音がよみがえってくる。が、どうやら希咲が手にしていたボールペンが落ちた音だったようだ。希咲が勢いよく振り向く。信じられない、と言いたげな表情だ。


「信じられない。まさか彼女、そんなことも教えてくれなかったの?」


あ、言った。希咲は小さくため息をついた。彼女の歩く足がとまり、すぐそばのドアが自動で開く。


「寄る部屋が増えたわ。おいで。質問に答えてあげる。」


部屋の中は数えきれないほどの本棚とそこにしまわれたファイルで埋め尽くされていた。本棚で視界が悪いせいで気を抜けば自分の居場所が分からなくなってしまいそうだ。そしてここもまたかなり広いのだろう。希咲に続いて細い通路を、時に見失いそうになりながらなんとかついていく。彼女は今度は俺を気遣っているのか、時折こちらの様子を伺いながら歩いた。本棚を幾つも通り過ぎ、空間を照らす寒色のライトにせかされながら、やがて円形に開けた場所に出る。その場所の中心。円柱の形をとったガラスの窓は下の階の様子をのぞき込むことができた。一足先にたどり着いていた希咲がガラス窓周辺のデスクやコピー機からなにやら紙を数枚取り出した。その右隣、3mほど離れたところで立ち止まり、あたりを見回した。


「下が見えるかしら、ここから見えるのはアノマを収容している牢屋の一部。」


おそるおそるガラスの先をのぞき込む。複数の仕切られた透明天井の部屋の中に様々なものが収められているのがうかがえた。通路には数人、制服を着た人がいる。彼らはそれぞれ収められているものになにかしらのチェックを行っていた。予想とは全く違った。もっと、自分が見たような気色の悪いものであふれかえってると思っていた。その予想に反してぬいぐるみや変わった花を咲かせている植物など場所を変えればどこにでもありそうなものばかり。拍子抜けだ。


「意外に思っているでしょ。」


気づけば希咲がすぐ隣にいた。ふわりとカモミールの香りが広がる。その距離に驚いて変な呼吸音が喉から這い上がってきた。彼女は変わらず冷めた瞳で俺を見つめていた。どうやら、返答を待っているらしい。


「まぁ…はい。あれのどこが、危険なんですか…?」


彼女は先ほどデスクの中から取り出した紙を数枚俺に手渡した。


「アノマは異常性をもったものや存在、空間を指す総称。例えばさっきあなたが見つめていたぬいぐるみ。中身はまちがいなく植物性の綿なのに、人間と同じ体温をもってる。危険どうこうじゃなくて、一般常識から外れた異常をもっているからアノマなの。」


渡された紙にはアノマとは何かが簡潔に書かれていた。そのほかにもアノマの分類法、危険度指標であるスケールの意味etc…


「スケールは4つ。安全なものから順に、レイ、フォーム、エンティ、コア。仕事してりゃ嫌でも覚えるわ。新人だし、いきなり危ないことはさせられないと思うし、まずは基本知識…はシークス班に頼めばいいわね。」


俺が口をはさむ間もなく次の紙束が渡された。数枚に渡って記されている内容はすべて、一つのアノマに関することだった。



アノマ2-1 35:噂好きの婦人  スケール:レイ

2-1 35 は1冊の本である。20×13cm。紺色に染められた羊の皮で覆われている。書かれた時期は不明。本に触れると本の登場人物であるヴィクトリア婦人に語りかけられる。ヴィクトリア婦人は物語の中では自分に関する噂をすべてを知りたがるお転婆な女性として書かれている。複数回の実験により、接触による人体への害はないとされている。2052年5月11日、イリカル班の人物に語りかけて以降、異常性物としての特殊性が消失した。おそらく例のイリカル班の人物に共鳴したと思われる。



貼り付けられた写真には一冊の紺色の本が写っていた。希咲が俺の背を指でつつく。俺が彼女のほうを向くと、彼女は自身の耳を指さした。もしかしてこの報告書 (おそらく) に書かれていたイリカル班の人物とは彼女のことなのかもしれない。そう考えたら例の地獄耳にも納得がいく。


「私みたいにね、たまにだけどアノマに気に入られて能力を引き継いじゃう人がいるの。そういう人のことをここでは『共鳴者』って呼んでる。私は、はぁ。この耳ね。ふつうの音は他の人と変わらないように聞こえるけど、私に関する話は全部筒抜け。おかげで聞きたくもない私の評価とか部下の愚痴とかで頭の中の5割は浸食されてるわ。」


「気に入られる。」


「そう。後、共鳴者に近いけど少し違う人もいるわ。『被爆者』。アノマの影響をモロに受けちゃった結果、一般人とはちがう性質を持っちゃった人。この二つの違いは簡単に言うと、アノマの異常性が消えたかどうか。消えたら共鳴者が存在して、消えていないけれど異常を引き継いだ人は被爆者。本人の意思関係なくなっちゃう人がほとんど。私たちは危険なアノマから人々を守るだけじゃなくて、一般人がこういった存在になってしまわないようにする必要もあるの。」


希咲がまた別の紙束を手渡した。それを受け取りつつ、先ほどまで読んでいたものをデスクの上にそっと置いた。新しく渡された紙束。その表紙には忘れもしない、あの化け物の写真が貼り付けられていた。思わず紙束を投げ捨ててしまう。鮮明に脳内によみがえるあの存在、あの音、あの時起こった出来事と、ミハル先輩の姿。吐き気がする。俺はその場に座り込んでしばらく何の行動をとることもできなかった。希咲は静かに、何も言わずに散らばった書類を拾ってまとめなおしていた。


「トラウマよね。一般人だったのにいきなりあんなのに出会って。あのときあなたが遭遇したアノマはこの子。『無キウサギ』。粘液にまみれた2mほどの兎で、触れた生き物の姿を数分間透明にするわ。キサラに聞けばわかると思うけど、あのときあなたも例外なく透明になっていたはず。」


混乱した頭で彼女の説明をなんとか嚙み砕く。触れると透明になる。あのときミハル先輩が消えてしまったのは透明になっていたから。もしかしたらあいつに捕まってしまった先輩は俺に助けを求めていたのかもしれない。俺には見えなかっただけで、彼女はそこに存在していたのだ。たしかに、その場にいたのだ。


「私たち異特はそういった認識障害にはなれているの。ちょっとしたコツを知ってればあなたたちの姿を視るのは簡単。でも何も知らないあなたたちはお互いを認識できなかった。そしてあなたはアノマに必要以上に近づいてしまったのよ。かなり深いところまで触れられちゃったせいで、あなたの記憶を消すことはできなかったの。消したらまわりの記憶も持ってかれちゃって廃人コースまっしぐらかしら。……それでも、あなたは記憶を消さなかった私たちを恨む?」


「…そもそも、ちゃんと収めておかなかった方が…悪い、ですよね。」


「そうよね。ほんとうに。私たちの管理不足が無関係なあなたをこの世界に巻き込んでしまったわ。ごめんなさい。」


「……恨まないって言ったら、嘘になります。」


彼女はまとめた書類を本棚になおした。お互いが口をつぐんだまま、数秒の時がながれる。彼女は俯いたまま静かに答えた。


「………そのまま、アノマへの恨みを、私たちへの恨みを忘れないでいて。それがきっと、この先待ち受ける理不尽な出来事に対する原動力になるわ。」


アノマは私たちのことなんてお構いなしに猛威を振るうの。私の耳みたいにね。

ため息と重い空気が資料室を満たす。一番近くの蛍光灯がエネルギー不足を訴えて不規則に明滅した。もし俺の記憶がきれいさっぱり消せたのなら、普通の警察官のままでいられたのだろうか。もしものことを考えたらこのどうしようもない現実が変わるわけでもない。だがうけいれるのと心がついてくるかどうかはまた別の問題なのだ。彼女や紫月だってきっとそうだ。二人の瞳の中にはずっと言葉にはできない何かがとぐろを巻いていた。彼女らだって今まで受け入れがたい事象を、たとえ心が追い付かなくても必死に受け入れてきたのだろう。

ようやく落ち着いた呼吸。申し訳なさを抱きながら数分ぶりに希咲の顔を視界に入れた。


「…すみませんでした。」


「気にしないで。だれだってそうなるわ。で、あなたはこの先どの班に所属するの?それによって施設案内の範囲が変わるわ。」


「え…?」


希咲の顔がまた崩れる。その顔さっき見たな。


「…信じられない。まさかそこまで伝えられてないの。キサラったら…」


彼女は右手で頭を抱えた。なんかすみません。さっきから色々と。


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