隔離(2)
建物の中は外見に反して意外と清潔感があった。確かに先ほど車の中で紫月が言っていたように、今まで働いていた警察署と何ら変わりはない。ただ違うところは圧倒的な広さ。まっすぐ続いている廊下は先がかろうじて見えるものの、あの距離を日頃から移動するなんて、書類仕事ですっかりなまってしまった今の身体のことを思うと素直に遠慮したい。自分たちの周囲では自分が今身に着けている制服の上から白衣を着た人々が忙しそうにパタパタと行ったり来たりを繰り返していた。そして俺の姿を視認すると憐れむような視線を送った。俺は歩きながらこの建物の内部をじっくり観察した。廊下の両サイドには一定間隔でドアが設置されていて、それぞれ学校のクラスを判別する札(あの、学校の教室前についているやつだ。)に部屋の概要が書かれていた。なになに?『判別検査室専用物資そのⅱ』、『北棟』、『物資保管倉庫ⅰ、ⅱ、ⅲ』…北棟。ということは少なくとももう一棟あるらしい。すれ違う人々は紫月の顔を見ると手本のような敬礼を行った。中には顔を青くしている人もいる。やっぱり上に立つ人間というのは、ああいう目を向けられるものらしい。
やがて数あるドアの一つ、廊下の一番奥のドアの前にたどり着くと、紫月はその前で俺と話していたときよりも小さな声で話し始めた。
「希咲、私だ。聞こえているだろう?」
すぐそばにいる俺ですら聞き取りにくいと感じるくらいの声量。周りが少し騒がしいのも相まって、その声で誰かを呼ぶなんてできそうもなかった。
「あの、人を呼ぶならその声の大きさじゃ聞こえないのでは?」
「大丈夫だ。ほら、すぐそこにいる。」
「え?」
彼女が指さしたのは、俺……ではなく、俺の後ろ。
「聞こえてるわ。忙しいから手短におねがい。」
すぐ後ろで声がした。
「うわぁ⁉」
「聞こえていたならよかった。今日は新入りを連れてきたんだ。」
振り向くと先ほど見た人々と同じように白衣を着た女性がいた。肩のあたりで結ばれたうすい灰色の髪の結び目には星形のアクセサリーがついている。眼鏡から漂う知的な雰囲気。身長は低い。それでも、紫月とは違う種類の威圧感があった。希咲、と呼ばれた彼女は手に抱えた大量の書類を見つめながら口を開いた。
「そう。で、私にここ一帯の案内を要求するつもり?いいわ。貸し一つで。」
「君からの貸しはたまる一方だな。貸しておいて特に取り返そうともしないというのに。」
「いいでしょ、少なくともあなたにとってマイナスにはならないわ。」
彼女は近くを通りかかった数人に持っていた書類の束をノールックで手渡し、空いた手で眼鏡の位置を調節してから俺のほうをようやく見た。濃いブルーグレーと視線が交差する。
「はぁ。イリカル班、情報処理ⅰ課、希咲ラウラ。私を呼ぶときは小さな声で。私の悪口は声に出さずに共有することをお勧めするわ。」
「希咲は地獄耳なんだ。たとえ火の中森の中、海の中や雲の上にいようと呼べば反応するぞ。」
「それはもう地獄耳の範疇を超えていませんか…?」
もはやこの人からなんらかのレーダーが出てるんじゃないだろうか。というかそんなに耳がいいのは逆に日常生活に支障が出そうである。彼女の耳を見るとしっかり耳栓がされていた。
「別にすべての音が聞こえるわけじゃないわ。心配は不要。むしろこのアノマの能力は重宝してるもの。」
彼女はそう言うと、紫月に退場を促す。紫月は俺に手を振りながらドアの向こうに姿を消した。取り残された気分だった。




