隔離
「改めて自己紹介をしておこう。私は対異常性物特殊警官、異常性物特攻班所属、紫月キサラだ。所属は長いから、異特・ラプサー班所属と覚えておいてほしい。」
黒い車の中。高級そうなベルベット生地のシートにつき、車を運転する彼女と会話を続ける。俺は後部座席に座っているため、前のミラーでしか紫月のことを探ることができない。でもそれで十分だ。今更何になるというのだ、観察が。聞き覚えのない単語が右から左に流れていく。俺が何を話せばいいのか戸惑っていると、紫月がそのうちこれらの情報は自然に覚えられるから今は分からなくても問題ないと俺に告げた。窓の外の景色が、都会からどんどんと過疎な風景にかわっていくのを、ぼんやりとした目で見つめる。今になってようやく現実味が感じられた。
「先ほど、平田はすべてを忘れていると伝えたな。」
「…はい。」
「彼女は、私たちが捕獲している別の異常性物によって、記憶を処理された。昨日のことも、君のことも、今の彼女の記憶にはなにもない。」
「…」
車がゆっくりと減速した。信号機に引っかかったようだ。開発され切った町がはるか後ろに見える。もはやその事実に反抗する思考は俺の中に残っていなかった。過去にしがみついていても意味なんてない。今まで生きていた中で確かに学んだこと。それよりも今は今後の自分の人生について考えておきたい。…多少のさみしさがあったのは認めよう。それが、決して多少ではなかったということも。
「私たちが向かっているのは異特本部。君がいままで過ごしていた一般警察署となんら変わらない。といってもさすがにあんな量の書類はないんだが…必要ならば用意しよう」
「いえ、結構です。」
「そ、そうか。不要な心配だったな……小白さんが言うには、社畜なる人物は仕事をしないと落ち着かないと…私は違う情報を持たされたらしいな。」
「社畜…」
ドストレートに社会に飼われた家畜と言われてしまった。確かに仕事がないと違和感を抱くのは間違ってないが、そもそも誰が望んであんな地獄を味わいに行くというのだ。紫月は自身の失言にかなり焦っているのか、汗をぬぐうしぐさを見せた。再び車が走り出す。それに伴い、彼女の説明も再開された。
「異特は国家からみとめられ、秘匿とされている特殊警察だ。班というものが存在してるんだが、班は役割ごとに三つに分かれている。」
紫月は俺に渡した服のポケットを探るように指示した。手に固いものが当たる。重い生地でできた服だからかは知らないがうまく取り出せずにしばらく服と格闘する。手のひらサイズのそれは一冊の手帳だった。真っ赤なそれは、自分が今も肌身離さず持っている紺色の警察手帳と色違いだ。(正確に言えば国家警察の紋章には少しの違いがある。今までのものは六芒星に羽が4枚、左右対称についているものだが、この手帳の文様は六芒星が縦に引き伸ばされ、羽の数が6枚になっている。きれいなはずなのに、どこか歪でゆがんでいるように見えた。)「21ページ。」と言われ、おそるおそる手帳を開く。
「そこにかかれているだろう。三つの班はそれぞれ『情報管理・研究班』、『異常性物収容班』、『異常性物特攻班』という。長い上に覚えにくいのはすまない。」
手帳には国家警察の仕組みや役割が図とともに書かれていた。今までこんなものが存在していたことなんて知らなかった為、改めて今までの自分の無知を突き付けられる。俺は班の名前よりも、俺がもう戻れない場所のことばかり考えていた。みんなを守る警察官だなんて、所詮はただの一般人でしかなかったのだ。そもそもそのかっこいい警察官ではなかったのだが。俺は無言のまま、そのページを見つめた。
「この覚えにくさには総括もうんざりしていて…私たちはこれらの班をそれぞれ『イリカル班』、『シークス班』、『ラプサー班』と読んでいる。短くするにしてもどうしてこんなダサ……変わった呼び方になったかは、わからない。おそらく上の好みの問題だと勝手に思っている。秘密だぞ。」
「あ、はい、そうなんですね。」
この人は思ったよりかわいらしい人なのかもしれない。
「誰かに告げ口すれば容赦なく斬る。」
前言撤回。この人は怖い人です。
警察署から車で移動することおよそ一時間。俺たちは都会と比べてかなりさびれた場所に到着した。周りは有刺鉄線で囲われており、本部というよりも監獄をイメージさせる。途中から車が森の中に入っていったためそれなりに覚悟はしていたが、秘匿で活動しているという『異特』にとってはこの明らかに社会から隔離された場所のほうが断然都合がいいのだろう。それにしても森の中だとはいえ、こんなに大きな建物が誰にも知られずに存在していただなんて考えもしなかった。広さは目で見た分には軽くkm単位なのではないだろうか。前の警察署のサイズなんて比じゃないくらいに大きく、建物の端が見えない。周囲を見渡す。建物の周囲はあまり綺麗に整備はされていないようだったが、複数の倉庫だろうものが建っていた。
紫月が車から降りて、俺のいる後部座席のドアを開けた。差し出された手を取って外に出る。金属でできた柵のようなゲートがゆっくりと開いて、俺たちはその中へと足を進めた。
「よし。ここならもうどんな話をしていても問題ない。とりあえず中を案内する前に制服に着替えてもらう。もし一般警察の服のまま入ってしまえば何をされるかわからないからな。脅しじゃないぞ、事実だ。」
「み゜っ…」
紫月は左手に握ったサーベルをくるくると軽やかに回しながら言った。変な声が出てしまったのは許してほしい。断じてかわい子ぶっているとかそんなのではない。昨日にとんでもない存在に出会ってしまったせいで恐怖のハードルがおかしなことになってしまっているのだ、きっと。紫月は再び俺の手をひいて、先ほどから静かにその存在を主張していた複数の倉庫のような小さな建物へと歩き出した。話の流れからして更衣室だろうか。それにしても広い。今もこうして十分な思考時間がとれるほど歩いているわけだが、ここまで広くて本当に日々をまともに過ごせるのだろうか。移動だけで時間が溶けてしまいそうな気がする。
「本当なら、着替えるのにはここを使うが、正直言って自室で着替えたほうが安全だ。」
紫月は更衣室の前に立ってため息をついた。しばらくして覚悟が決まったのか、勢いよく扉を開ける。いったい中にはどんな光景が広がっているのか。ぎゅっと目をつぶって訪れる衝撃に備える。備える。備え……?
「…なにもおこらないじゃないですか、危険って、どこが…」
「いや、危険だ。非常に危険だ。」
彼女はすぐに顔をしかめて部屋の奥を指さす。そこにはビリビリに破けた制服が一式落ちていた。
「…」
「ここは普段なかなか人が来ない…みんな自室で着替えるからな。だから誰かが悪ふざけでここに一晩泊まったり、ここにこもって隙を見て逃げ出そうとしたりするんだ。たまに。案の定、野生動物に襲われて救護室まで逃げてくるのがテンプレートだ。」
よくよく匂いを嗅いでみると鼻の奥につんとした刺激臭が伝わってくる。これが野生動物の残り香か。居心地が悪い。たしかに危険だ。彼女は俺を強引に建物の中へ押し込み、扉を閉める。外から「5分で着替えてくれ。君だって死にたくはないだろう。ここはもう野生動物にとって都合のいい餌場だからな。」と言われた。ならどうして位置を変えないんだ、位置を。資金がない?はぁそうですか。
急いで制服から制服へ着替える。異特---だったか。この制服はやはり今までの制服よりも物理的に重い。光が変に反射するところを見る限り、金属でできた糸が編み込まれているらしい。同僚が金属糸でできた海外の警察官の制服について話していたことがあったので、それをなんとなく思い出した。それにしても変わったデザインをしている。普通の襟と詰襟が共存している理由はなにかあるのだろうか。ズボンを履き、コートに腕を通す。
「こんな感じ、なのか?重いこと以外は普通の服だな、背中の紋様はやっぱり普通の警察紋様とは違うみたいだけど…」
辺りを見回したが、残念ながらここに鏡は無いようだった。見たところでただの赤い制服を着た俺が映るだけだろうけど。
「そろそろ5分経つが、着替えは終わったか?」
「あっ、はい。終わりました。」
紫月の声で思考が一気に帰ってくる。俺は急いで帽子をかぶり、扉を開けた。彼女は腕を組んで壁にもたれかかっている。俺がちゃんと着替え終わったことを確認して、彼女は俺についてくるように言った。いよいよあの大きな建物に入るらしい。そういえば自室がある的なことを言っていたが、もう今住んでいるマンションには帰れないのだろうか。うわ、警察署で話しておきたいことはあるかって聞かれたときに聞いておけば良かった…ちらり、と前を歩く彼女の顔を盗み見る。真顔だ。




